吉本隆明いろいろ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

吉本隆明いろいろのページです。

吉本隆明いろいろ

 
 
瀬尾育生さんの『吉本隆明の言葉と「望みなきとき」のわたしたち』が、『マチウ書試論』が概念化した「関係の絶対性」を、「反・反核声明」「反・反原発」の晩年にいたるまで吉本がつらぬいたことを精緻に語った好著なのはいうまでもない。吉本は「反省」しないつよさを保持しつづけて、たとえば瀬尾さんが最近主題にした山村暮鳥のよわさと正反対の生をまっとうした点に、ふかい敬意がそそがれる。ただし、「悔悛」という、生の最も劇的な感情を吉本がおぼえたことはなかったのか、それを再考したい契機もぼくのなかにうまれる。

むかし吉本に悪感情をもったのは、悪罵の激越もさることながら、『言語美』のハイライトのひとつ、狩猟民が眼前にひろがる海をまえにして「う」と発語した自己表出によって、「海」がなづけられ定位されたという考察にある虚構性、非学術性を、浅田彰とおなじように直感的すぎると受けとったためだった。ところが吉本は『母型論』中「大洋論」で、単母音そのものが意味をつくりだす日本-ポリネシア系言語における言語特質をしめしつつ、受乳/味わい/エロス/愛撫/母子の相互回帰性から連環に「大洋」を見出すとき、実際は「う」の直感を、学術的に更新している(それも謎をのこしたかたちで)。こうした思考の天才性はあきらかだが、するとその動力にやはり「無反省」が役割をはたしているとかんじる。瀬尾著作に話をもどすと、むしろ対象から発語をあたえられるとしたベンヤミンを考察の端緒として、震災における深甚な失語までを突っ切った『純粋言語論』のほうに、吉本の「う」への接近がみてとれる。

吉本の一貫性、それを冷笑の材料にした新人類以後の世代がいるとおもう。そのうちのいくらかが『日本語のゆくえ』で自分の詩集を「無」と名指されたとき、ネット上で照れてみせた。「自然」「神話」がない、とした吉本の論難は、いまとなっては本気だったとわかる。自分の『記号の森の伝説歌』を賭金にしていたのだ。その貧しさも豊饒も、その部分的な良さもわるさ(下手さ)も知っていて、書かれたものは修辞ではなく、個人を真摯に貫通した世界認識だったと自己採点していたはずだ。つまり「照れ」で対応するような案件ではなかったのだ。

吉本の悔悛は『記号の森の伝説歌』に仄見える。それは『固有時の対話』『転位のための十篇』の自己否定で、『日時計篇』など、そのまえに書かれ、のちに公表された手稿群などの成熟した自己発展だったからだ。つまり吉本の悔悛のゆたかさは、その詩に注視するいとなみからまずは出てくるのではないか。それは非顕的なのだ。吉本著作を精読すると、どこかでたとえば花田清輝にするどい舌鋒を放ちつづけたことへの悔悛も暗示されているかもしれない。とりわけ再生産理論については花田のほうが把握が精確で、しかも花田はファシストではなかった、という事後見解が、べつのなにかを語ることでほのめかされてはいないか。

著作家として生涯をみた場合、花田は出発当時の文章がほんとうに上質だ。吉本はじつは晩年に近づくにつれて文章が見事になってゆく。考察と文章とのあいだに隙間がないようにみえながら、なにか生の余裕のようなものを確実に手渡され、読者が充実に導かれるのだ。『母型論』『言葉からの触手』がその最大の結実だろうが、そういう系列の発端が、ぼくの読んだかぎりでは『最後の親鸞』だった。そこでは親鸞思想のなかで「還相[げんそう]」も、「知」の「非知」に向けての過程として摘出される。ところで「還相」がそのまま反省的な世界像・世界認識であることには注意しなければならない。ブーメランを思考のなかで比喩的に駆使したのは花田だったが、花田の生には知の加算のみがあってブーメラン運動が稀薄だった。「還相」に真向かった吉本にはそれが着実にあった。

吉本は後期著作が素晴らしい。吉本を、サブカル傾斜、消費礼賛をもって批判する者は、その後期の主要著作をスルーしているのが通例で、一時のぼくもその範疇のなかにいた。その「反省」をここにメモした。
  
 

スポンサーサイト

2012年12月14日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する