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紀要論文 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

紀要論文のページです。

紀要論文

 
 
土曜から月曜にかけ、北大大学院映像・表現文化論講座がだしている機関誌「層」のために、一種の紀要論文を書いていた。映像論と文学論が自由に交錯しながら学術研究に新風をもたらす自由度のたかい雑誌で、それなりに人気があり、東京でもジュンク堂など大書店で買える。若手の大学教員や院生からの論文応募も多く、それらを査読し、ときには落とす身の上であってみれば、自分自身、あだやおろそかな論文を書けない。

ところでぼくは元来、直感型、発想のおもむくままに速書きするタイプで、詳細な出典註を付して先行研究に自分のかんがえを上乗せしてゆく学術論文の書式が得手ではない。面倒くさがり屋の性格も手伝っている。けれども今回は北大に赴任して初の学術論文なので、執筆に予定した三日間のうち、最初の土曜日は本をひっくり返しての引用箇所の精査(付箋をつぎつぎ入れた)、翌日曜日にはあつかう映画の再見(そのあと投票に行った)、のち本の引用だけで書ける第一章を書き、最後の月曜日にのこりの二章、三章を書いた。ほんとうは第四章も書きたかったのだが、それも繰り込むと字数が大幅に超過してしまうのが明らかだったので、省力も兼ね、執筆を断念した。

原稿の発想は前期におこなった学部生向けリレー授業のうちのぼくの担当「「女の子映画」を観る」。ただし授業であつかった作品は今回の原稿では割愛、「女の子映画」の映像性の原点となった、90年代半ばにブームだったHIROMIXなどの「女の子写真」を考察、それから写真と映画との換喩的な関係をロラン・バルトをつかって展開、最後の章で田尻裕司の傑作映画を(「女の子写真」的な)像の生成を着眼点に、以前とはまったく異なるやりかたで分析、換喩が「生と力の原理」だということを実証した。

「以前」と書いたが、じつは文献精査で結構大変だったのが自分自身の著作だった。何を書いたか、どう書いたのか、どの本に書いたのかをまったく忘れてしまっていて、内容を再確認しながら、以前の反復にならないようにするのに神経を削ったのだった。これからは定期的=間歇的に自分の著作の再確認をしなければならないかなあ。でもこのおかげで、映像分析/批評の方法に新機軸がくわわった。ドゥルーズへの依拠も、「ためにする」箔づけの引用ではなく、独自性を発揮できたとおもう。だいいち今回は『シネマ』をつかっていない。

とはいえ学術論文を書くのは、骨が折れる。本文を書いていて註の必要が生じたとき、本文の最終部分の下に註を書き込む領域をつくっておいて、機会ごとに註を書いていったのだが、それによって本文を書くリズムが崩壊してしまい、リズムを取り戻すために本文をアタマから読んでゆく作業が繰り返されたからだ。ほかのみなさんは、註書きをどのように処理しているのだろうか。番号だけ振って一切、あとで書くのだろうか。そのためにはワードの註機能をつかいこなさなくてはならない。やはり院生にやりかたを教えてもらおう。

以前、立教を卒業して東大の院に進学した教え子から、先生の原稿は発想力、観察力はあるけれど、文献探査力という点ではぜんぜん凄みがないですね(笑)、といわれたことがある。ぼくじしんもそうおもう。文献註をみるだけで執念と精査能力がはっきり伝わり、ゾッとさせる学究がたくさんいるのだ。映像研究分野では、ジョナサン・クレイリーとか海外に多い。

それにしても映画研究は特殊な分野だ。古典をあつかう場合には文献探索が裏打ちされなければならないし、それが海外の作品であれば、洋書文献がごまんとある。ところがぼくのように、現代日本映画を研究フィールドとする者には、当事者インタビューをチェックするほかは、実りのほとんどない同時代映画評を黙殺して、発想の補強を現代思想文献にもとめないと「間がもたない」。これはほかのひともおなじだろう。それで扱っているのが現代日本映画で、参照文献にドゥルーズだのベンヤミンだのが出てくる、倒錯的な論文が定式、主流になっているのだ。そこでは論文本体にも註にも、実際は「なかみ」がない。本体と註の対応も退屈だったりする。

そういう定式的論文ではなく「思考そのもの」を書いたつもりだけれど、自己再帰的な判断はもともと不可能なものだ。あつかっている対象は旧い観点からすればアカデミックではないし、大学の研究者にはあまり知られていないものかもしれない。彼らにはどう読まれるのだろうか。それと、だれか査読をするのかな。
  
  

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2012年12月18日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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