混ざる
三村京子さんと共謀して僕のほかに
『点火期』『袖口の動物』の詩人、杉本真維子さんにも
三村さんの唄う曲の作詞陣へ加わってもらった。
昨日はその杉本さんの歌詞を三村さんが唄うデモ音源で聴いていて
杉本さんがすごくいい歌詞をつけているとわかり
気分が一挙にいいほうに戻った。
杉本さんも僕と同じくコードストロークと「ラララ」だけで唄う
三村さんのデモ音源から歌メロの「感情」を計測し、
それに字数を合わせて歌詞をつける方法をちゃんと選択していた。
その曲は「くつをとばせ」と杉本さんによってタイトルされた。
ひとりの女が入浴し、自分の躯をみるときに生じる寂寥の述懐が
歌想の中心になっているが、
その女の恋の情況、その女を取り巻いている世界へと
歌世界は見事に延長されてもいる。
杉本さんは「欠性」「暴力性」「助詞発見」に富む
現代詩での自らの言葉の方法をギリギリまで縮減して、
歌の可聴性ということを考えていた。
その杉本さんに僕が送った絶賛メールは、
三村さんの活動を伝える大中真慶くんのkoz blogに転載されるとおもうので
杉本さんの歌詞についての細かな評価はそちらに譲るが、
大切なのは、杉本さんが作詞陣に加わったことで
三村-阿部の混在状態にさらにひと色が添えられた、ということだ。
「混在」――僕が志向しているもののひとつが、まさにそれだった。
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三村さんのCDジャケットのデザインが
僕が紹介したマルチデザイナー(マンガ家やミュージシャンですらある)、
小田島等くんのもとで着々と進んでいる。
サンプル音盤も聴いている小田島くんは、
少女性や透明性といった三村さんの基盤のうえに
不定形で動物的な何かが「混在」しているとよく見抜いていて、
それで二色印刷という(経済的)条件のなかで
印刷のインク色に、通常のスミに加え、特色ピンクを選択した。
表1、三村さんの「カワイ子ちゃん」モノクロ写真には
そのピンクが不定形に侵食することになって、
結果「昼か夜か不明」「室内か戸外か不明」「従順か不敵か不明」
「田舎臭いか都会的か不明」「天使か娼婦か不明」といった
魅惑的な「中間地帯」がCDの顔――表1に実現された。
「フォーキィなアヴァンポップ」、というジャンル印象は
何とか保たれるだろうが、
実質、そのアルバムが演歌かサイケすら心許なくなるざわめきもある。
「同定性」が過激に剥奪されている、という、
作品で一番伝わってほしい芯の部分は
この小田島デザインにも現れているということだ。
アルバムタイトルを書いてこなかった。
『東京では少女歌手なんて』、四月には店頭にもお目見えです。
このデザイン作業もまた愉しい。
メールでは小田島くん、三村さん、僕がつながっている。
最初、ほかに写真ない? と小田島くんが訊ね、
三村さんが出してきた写真に、
僕とは性質のちがうポップ少女ぐるいの小田島くんが
「聖子ちゃんみたい」と狂喜した(笑)。
これを使いたい、という小田島くんに
そういうデザイナーの前向きの欲望が大切、と僕も応じたことから
以後、軽快な相互提案の流れができてしまう。
たとえばその次段階でインレイ(CDケースの裏にみえる部分)や
オビのデザインを小田島が送ってくる。
僕はもともと雑誌編集体験をしたときから
デザイナーとはもう25年は丁々発止状態でわたりあっているので
デザイナーが示したデザインの範囲内で
デザインの偏差値を上げる付加提案をするのも好きだ。
それをメールで伝える。
すると小田島くんも「それ、いいですね」となる。
もともとCDジャケットの写真素材はとうぜん三村さんなのだが、
それに小田島くんのデザインが上乗せされ、
さらに僕の発想が部分的混在的にそのうえに足跡をとどめる。
この製作過程もまた、僕は素晴らしいとおもっている。
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三村さんはアルバム発売に合わせ、自分のサイトを
デザイン、コンテンツ、機能ともリニューアルする決意をした。
で、webデザイナーをどうしようということになり、
去年前期の僕のweb編集演習で「赤」班のデザイナーとして大活躍した、
立教現役生にしてマンガ少女・市川香織さんを紹介した。
ここでもたぶん市川さんのデザインのうえには
三村さんや僕の「混在」がさまざまなかたちで実現されてゆくのではないか。
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昨日からマンガ評論集の初校ゲラを見だした。
編集は、立教卒業をした元・生徒で、僕の連詩仲間・明道聡子さん。
彼女は編集プロダクションに勤務している。
その編プロは書籍の請負編集や自社編集本の版元譲渡もしているが、
自社での出版コードももっていて、
今度の本はその自社出版コードで出す、ということになった。
社長さんが明道さんの情熱に感じ、
より本を編集しやすい環境を整えてくれた、ということだろう。
明道さんはまだ編集者としては駆け出しだが、
難解さで鳴る僕の本を、より多くの若い読者に向け「砕きたい」という
攻めの姿勢で最初から編集作業に臨んだ。
「四六判主義」の僕にたいし、
マンガ画像を大きく引用したいからより大きいA5判型にしたい、
というのは当然かもしれないが、
加えて、読解の手助けになる精密な註を文(版面)の下部に
満艦飾に施したい、という。
そうすると僕の本がもっと営業的に好転すると信じているのだ。
それで結局「著者註」「編集部註」が交互するような註構成を実現しよう、
という意見一致をみた。
当然、「編集部註」は明道さんが書く。
「著者註」は僕が書く。
だからここでも以前明道さんとやった連詩同様、
「抱き合わせ」に近い「混在」が
紙面の見た目にまた実現されてゆくことになるだろう。
以上、何から何まで「混在」つづき、というわけだ。
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このマンガ評論集は著者校正がいちばん
これまでの本のなかで厄介かもしれない。
版元の意に添う頁数までの原稿圧縮はさほど難儀でないのだが、
考察の材料とした原典マンガとの細部照応確認や著者註の作成など、
完成までに面倒な手続きが数多く予定されている。
おまけに僕は映画資料などとともに
マンガ資料を研究室に集約してしまっているので、
ゲラチェックが本格化する段階になれば
そのための研究室への「出勤」をも余儀なくされてしまう。
ミクシィなどで仕事がだらだらする、などということも
その条件であればおのずから断ち切られるとおもう。
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ということで、来週はほぼミクシィでの日記書きはやらない予定。
他人さまの日記への書き込みもままならなくなるのではと予想している。
不義理に映るかもしれないので、あらかじめ謝っておきます。
二月一杯で、他人の日記の書き込み欄に詩歌を書く、という
ミクシィの文芸化も「休止」です。
その書き込んだ詩歌を集成した「機会詩篇集成」も
さきの段階でつくったものを増補して内容を確定してしまった
(詩や詩論を書くひとでそれをほしいかたは
どうぞ僕のミクシィメールにアドレスを書いてご連絡ください)。
ということで、ミクシィ小休止の前の言い訳を
実はこの日記で付帯的に書いたのでした