古賀忠昭・金愛花日記
【古賀忠昭・金愛花日記】
昨日は意欲的な若手が結集した同人誌「子午線」の第一号を読んでいた。小峰慎也さんのミクシィ日記で存在を知って、編集部宛にメールを打ち、注文・購入したものだ。ボリュームたっぷりで、内容の隅々を堪能した。巻末の50頁強にわたっては、古賀忠昭の未刊詩篇も大迫力で収められている。稲川方人の解題付き。収録は全6篇だが、頁数の三分の二ていどを占める冒頭「金愛花日記」の「異様さ」にはことばをうしなった。
「金愛花日記」を要約的に紹介することにはほとんど意味がない。ただし、はなしのきっかけとして、あえてそれをしてみよう。ひとり暮らしをし、糞尿処理と悪臭で周囲に迷惑をかける鼻つまみの老婆・金愛花の「創造的=想像的」日記だ。文面には現在と過去が交錯する。過去は朝鮮人慰安婦として中国雲南省に引き出され、日本軍人の慰み者になった凄惨な記憶にいろどられている。性器の過剰使用で、「またぐら」の「あな」に「こぶ」があるという、冒頭から提示される負徴で、すでに対象との遠近感がぐらついてくる。その後は、慰安婦時代の苦界状況や上記した糞尿のほか、暮らしの極悪、ごきぶり、不敬、川、極楽を駆逐して地獄だけになる冥府観、両親の縊死など、恣意的な聯想のなかで細部を増殖させてくる。
数詞と自分の名以外はすべてひらがなで書かれる。無教育者の手になるもの、と古賀が設定しているのだ。読点もすくなく、しかも日付による分節のほかは、ひらがな選択の誤用、九州弁、朝鮮訛が混淆した、ひらがなを「酷使」した脱分節的なひろがりとして、ほぼ文面の全体が量塊化している。よって読者は音声を自分の内面にゆっくりと反響させながら、この膠着して異様な意味をなすひらがなのながれを「ほぐして」ゆかなければならない。この作業の主体化によって、「金愛花」は臭気と哀切をつうじ読者の内側に憑依することになる。ところが金愛花の形容不能性は終始、温存される。結果、形容不能性は読む者じしんの属性へとさらに転移するのだ。ここでは、「読むこと」が「感染」なのだった。
ある特異な立脚によって、日本的時間と日本的空間、それらの連続性に叛意がしめされているのはたしかだ。日記それ自体の連続性は、常識のオルタナティヴに位置する。ただしそれがほんとうに特異性かどうかは峻厳に吟味されなければならない。特異な血というものは血液の普遍にあって存在しないのではないか。そうかんがえなおしたとき、いわば選択される言語(ひらがな/無教養による誤用/九州弁/朝鮮訛)のマイナー性とともに、だれも否定できない設定(=想像力)のマイナー性が、情感の循環発動機となる。うねり。うねりの基体となる脱分節。
これらのことばの群れは、「現にあること」によって脱マイナーなのだという単純な事実が反面にある。交換可能性が伏在しているはずなのに、交換は内在的に相殺のかたちで起こって概念だけを減数化させ、結果、ひらがなの連鎖として締めあげられたものが交換不能な現前としてはげしく瀰漫している。むろんマイナー性とは想像が安易につくりあげた趨勢にむけての変換装置で、脱意味を決裁するが、それでも意味は金愛花の範囲でうごめきつづけ、それ自身との盟約を果たしつづける。つまり「金愛花日記」は叛意の存在を指摘するよりまえに、マイナー性とメジャー性の分離不能、聖なる膠着として構想されているのだった。
これが詩かという問いがとうぜんに出る。「通説」でも、創造的=想像的な日記文学は小説の範疇におさまるだろう。ところが古賀のしていることは間歇性をむすんでつながってゆく理路の提示ではなく、マイナー性をマイナー性によって内在的に組み替えることであり、同時に「声」の憑依的な全体化なのだ。だから「金愛花日記」は詩としてとらえられるほかない。スキャンダラスであることではなく、創造=想像が突破したものに、血の痕跡と同様の、詩の痕跡がまつわりついていて、石胎の金愛花はその存在じたいが異質をころげおとす「産道」なのだった。古賀の執念ぶかい憑依は讃えられるしかない。
癌で余命わずかと宣告された古賀が、途絶していた詩作を復活させ、編集・出版の命運を稲川に託したことは、詩の愛好者には「伝説」視されている。古賀の遺志をうけた稲川は彼じしんが産道となって、古賀詩集『血のたらちね』『血ん穴』、それに「スーハ!」4号掲載詩篇をころげおとしてきた。そうしなければならない使命の連絡を、古賀のオルタナティヴな立脚や声がもっていたが、これもまた詩壇に衝撃をあたえるためとくくると短絡してしまう。たぶん「それじたい」がその遠心力そのままに拡大しなければならなかったのだ。その意味で稲川は一見「媒質」だが、やはり古賀と同等の「産出者」だといえるだろう。だから「金愛花日記」をぜんぶカタカナ書きに変換してほしいという古賀の遺志を、稲川は無視して、ノートに書かれたオリジナル形態のひらがな書き状態を掲載にあたり貫徹した。負徴を過剰に重複させることの損失を、稲川は「ほとんど作者として」冷静に算段したのだった。
死の直前、なにへの伝達か不明のまま詩作を復活させた古賀の動機を、真摯な詩作者みなが自問するだろう。結論をさきにいえば、この答は出ない。古賀がルサンチマンで書いたのではないし、死の到来が目前になって奇怪なダイイング・メッセージを発したのでもない。むろん捲土重来でもない。書くことそれじたいの権能が、古賀自身のなかで問われたが、そこに野心的な根拠など一切なかったことは、書かれたものの異様がそのまま照らしている。たんにオルタナティヴ、マイナーが自身を裂開するように発現されなければならなかったのだ。
となると、古賀の個性よりも、書かれたもののほうが本源的で、古賀の問題は、マイナー化が詩文の状況にたいして起動し否定斜線を引いたのではなく、彼自身に否定斜線を引いてしまったということなのではないか。だから否定斜線のひと稲川が古賀を代理する。むろん書かれたものには古賀の人生、するどい語感覚のすべてが動員されている。これらすべてを統合したとき、地層のずれ、時空のずれ、自他のずれといった、要約しがたい動勢的な複合が感知されるだろう。
死がカウントダウン状態になってノートにつむがれていった古賀詩のうち、マイナー性の作用力がもっともつよいと一般がかんじたのは、『血のたらちね』所収の「ちのはは」だろうかとおもう。「金愛花日記」は量的にも質的にもそれに匹敵する。しかも不敬要素、グロテスク、スキャンダル性、哀切、声の貫通力は、私見では「ちのはは」を凌駕する部分もある。これが『血のたらちね』などに収められなかったのは、作品の禁忌性がおそれられたためではないだろう。おそらく、古賀が書く体力をなくすまで全体が書き継がれていて、結果としては「未完」だったことが顧慮されたのではないか。ただし聯想の恣意を推進力にもつ「金愛花日記」は読み終わっても未完性をかんじさせない。それでも稲川が解題でしめした古賀自身のその後の展開案を知れば、やはり未完がおしい、とはおもう。
「金愛花日記」の一節にある、それ自体への救済部分がわすれられない。「しろいぬの」が出てくる日録部分だ。そこで、「ちょうせんじん」であることが最終的に、高度にひきうけられているのだ。実地に読まれたい。
それと、古賀が選択する異様な書法は、べつだん宿命的なものではなく、字義どおりに選択的なものだとおもう。古賀が構成的で安定的な詩もみごとに書けたということは、掲載詩篇中の「古賀廃品回収所」がとりわけしめしている。
さて詩がなにかという設問は、たえず詩の拡張のためになされるべきだ。古賀はそれに身体と声をとおして応えている。そういえば昨日は、前田英樹さんから恵投をうけた講談社選書メチエ『民俗と民藝』も読んでいた。柳田國男と柳宗悦に共通しながらズレをかたどる語、「民」を、それぞれの思考の詳細から高次に交響させようとする前田さんの新著だ。前田さんの書くものはいつも思考を澄ませるが、ここでは最近の著作とつながって、やはり日本的な起源が稲への技術と、稲の植物的呼吸のふところへと、うつくしくはいってゆく。前田さんは柳田の資質にも柳の資質にも「詩」を意図的に濫発している。むろんこれも詩の拡張のためだ。それでも本の終わりちかくで引用される民藝運動の陶芸家、河井寛次郎の文章、またそれに呼応する前田さんの地の文は、「それじたいの詩」というしかなかった。
いいおとしたが、「子午線」第一号では、向井豊昭を論じた錦野恵太の長論「遊歩する情動」にもつよい感銘をうけた。