FC2ブログ

四月期新ドラマ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

四月期新ドラマのページです。

四月期新ドラマ

 
 
 
今クールは火曜日のTVドラマをとくに愉しみにしている。それで出てきた中間結論は、「女優の好き嫌いにかんして自分は理不尽だ」ということだ。

まずはNHK枠火曜22時の『第二楽章』。羽田美智子、板谷由夏のダブル主演。羽田にかんしては、このあいだ三國連太郎の訃報があったとき、森崎東の『美味しんぼ』で三國、佐藤浩市の親子共演の記者発表の画が頻繁に画面引用された。ふたりのあいだには羽田がいて、当時の女優としての彼女に悪感情をもっていたことをおもいだしていたのだった。演技力のないことが最大の要因だったが、いまでは「愛をかたる」視線に最も機微があり、同時に加齢による容色のおとろえを最も共感にかえる女優へと成長している。びっくりした。自分の不明を恥じた。

ドラマがしつらえた羽田、板谷の関係は複雑だ。往年のふたりはおなじ楽団でバイオリニストのライバルにして親友、ソリストの座を争っていたが、板谷は羽田のひそかに思いつづけていたビオラ奏者、谷原章介との子供を宿した。その妊娠を羽田が串田和美に「通報」したことから、無競争で羽田がソリストの座を獲得、以後、腕に磨きをかけつづけ、第一回放映時点ではシカゴの名門楽団のコンサートマスターにまで上り詰めている。一方の板谷は楽団を辞めて谷原と結婚、平凡な主婦に自らを封じ込めている(谷原もビオラ奏者から旅行会社の社員に転じた)。

第一回ラストシーンは、羽田が凱旋帰国をして、妊娠の告白いらい疎遠となっていた板谷と、往年のわだかまりを解き、女同士で泣きながら抱擁しあう場面。身体にいったん刻まれた相互愛着がかくもふかいのかと感涙を誘った(つまりそれは女の友情復活という理性の問題ではなく、身体性復帰の問題として見事に演出されていた)。板谷の演技にふかい情が裏打ちされ、その情の伝播力が視聴者をみたすのは彼女のファンなら先刻承知だろうが、羽田の肚にもいまでは情の力があって、ふたりがたどった警戒、対峙、懺悔衝動が「身体的に」泣きながらの抱擁へと結実するときには、ひとの身体がなにによってひらかれるかが確実にあらわれていた。物語が用意する情よりも、仕種や顔の表情の型・ゆらめきのほうが先験的なのだ。

板谷の瞳はおおきくあかるい。動物のような輝きがある(ぼくは大好きだ)。対して羽田の瞳は疲弊によってよわく薄く、そのよわさが眼瞬きや視線移動、伏目への変化により「女らしい」情緒へと変換されている。つまり羽田に装填されているのは、高峰秀子に代表されるスタジオシステム時代女優の視線演技で、しかもそれに弱体性のともなっている点が現在的なのだった。

案の定、板谷との再会は、谷原との再会をも付帯的に結果して、繊細で奔放なアーティストタイプの羽田は、俗にいう「好き好き視線」を「自制もままならず」谷原に注ぎつづけ、心中を周囲に無防備に気取られることになる。谷原も彼女から湧いてくる恋情を防御できない。しかも羽田にはコンサートマスターの座から転げ落ち、日本の往年の所属楽団に復帰せざるをえない経歴上の挫折が舞い込み、それとおなじタイミングで実母・森山良子(最初誰が演じているのかわからなかったほど、「やつして」いる)の心臓疾患が顕わになる苦境も訪れる。「守る」本能のつよい谷原のふところに羽田がなだれてゆくとき、羽田は一面では崩れた布のようにみえるが、もう一面では懐刀のするどさのようにもみえる。これこそが「魔」の状態で、周囲の理性がそれをどう査収するのかがドラマの眼目となる。むろんそうした身体上の二重性を表現できる女優へと羽田は確実に変化していた。

副筋を形成する人物に、バイオリンを羽田に習う谷原・板谷の娘(門脇麦)、それとステージマネージャー田中圭がいて、彼らの「うつくしさ」は、羽田の恋情を感知する「勘の良さ/繊細さ」に現れる。ところがその「勘の良い」人の群れに、おおらかで主婦やつれもしている板谷もさらに入りこんで(じつは彼女は気づいていた! ということ)、展開急をつげたところで第三回が終わった。板谷がもういちどバイオリンを奏で、封印した才能を復活させる場面があるのか、親友羽田と最愛の夫・谷原の恋愛推移をどう「自己抑制的に」見守るのかなど、板谷に設定されつつまだ顕在化していないドラマ上のフックが今後、開花してゆくことだろう。絵に描いたような「大人用の」三角関係ドラマなのにサスペンスフルなのは、「仕種」「表情」の繊細な展開がさらにそこへ期待されるためだ。脚本・金子ありさ。

火曜のお愉しみドラマのもう一本は、フジ系21時~『鴨、京都へ行く。』で、主演は松下奈緒。身長180センチを超えているとおもわれる彼女は、基本、怒る局面で「プンプン」とやりそうな学芸会演技なのだが、その身長による画面への「余り感」によっていつも憎めない。財務官僚、自信家のキャリアウーマンだった松下が、実母・市毛良枝の死去により、京都の老舗旅館「上羽や」の女将を継ぐことを余儀なくされる設定で、「高ピーキャラ」が鼻っ柱をへし折られてわらわせるのは、往年の松嶋菜々子主演『ヤマトナデシコ』ゆずり。しかも彼女には旅館の赤字累積にたいして財務通の実績があり、同時に母親生き写しの「頑張り」が彼女を素人扱いする板場・仲居・男衆からひそかに瞠目されている。

旅館売り渡しという予定がずれて、結局、仲居頭のかたせ梨乃らを中心にして「上羽や」復活のための女将に祭り上げられながら、同時に仲居の仕事を周囲(むろん京都人らしい「底意地のわるさ」が、満載というほどに描写されている)により一から叩きこまれている段階が第四回までの現在なのだが、松下にひそかにぬきんでている統率力と客思いの萌芽性、それと風呂の洗い屋、京野菜の仕入れ先、漬物への手入れ、生け花、掛け軸、掃除、水打ち、旅館組合など、京都の「伝統」のうえにのった接客業の諸局面がいかに「もてなし」の厚さと文化的奥行きをもっているかを「学ばされて」プライドを折られる姿とが、いわば対位法にのっとって「音楽的に」展開され、毎回、クライマックスで感涙に導く作劇が見事だ(脚本は森ハヤシほか)。そのなかで、向日性と負けん気と不器用を装填された松下に魅惑が集中してくる。それと成長への「予感」といった未来時制が、ドラマの現状に透視される。これらのために、松下奈緒の「高すぎる」身長が配置されているともいえる。アクション爆発の水位上昇までの「遅さ」をその身体にみたしてゆくクリント・イーストウッドの背の高さとは、だから意味がちがう。

脇役をふくめた演技アンサンブルによって、出演者すべてを活かす作り手側の温情、それと作劇の速さも相俟って、この作品の出来の質は、前クールでの秀作、『dinner』を髣髴させる。俳優はみな二律背反を負わされていて、それで複雑な輝きを放つ。出色は、旅館買収を画策しつつ、松下を「つい手伝ってしまう」コンサルタント椎名桔平(肚のうちはむろん明かさない狡猾キャラ)だが、その他、高ピーの松下をえげつないほどに「訓育」しながらひそかに母ゆずりの血の完全開花を「期待」している仲居・調理場・男衆の歴々も、実際は、「松下にたいする洞察力」が繊細なために、みなうつくしい。たとえば松下が「謝ること」をおぼえたら、未払い仕入れ業者に「連座して」みなも平身低頭で謝るというように、ここでも仕種が「音楽的に」伝播してゆき、それで泣かせるのだ。それにも京都らしいギヴ&テイクがからまっているから、作劇は甘くない。旧いタイプの「女将もの」とはここで一線が画されている。

とぼけていて、しかもモノが最も良くみえていて、生け花への愛着を隠さない寡黙な男衆の笹野高史も、椎名桔平に負けず劣らず「いい味」で、松田優作のそっくりさんで脚光を浴びながら以後、キャリアをうまく積めなかった板前役・高杉亘にコミカルで男気のある実在性が温かくあたえられ、賦活を導いている点も素晴らしい。

じつは仲居のなかに格別のフェイバリット女優もいる――色白で丸顔、中年ながらエロい仲居役、現在の演技派の代表格・堀内敬子だ。第四回では一人前多く料理を注文する二人客を「陰膳」と見込み違いして、松下同様の「反省」を負わされる「役得」があるが、松下が従業員をいったん解雇して、しかも大事な客をとったことから、こっそり仲居たちがサポートした以前の局面では、他の仲居たちとともに慌てふためきつつ、ちょこまか隠れるうごき全体を、彼女が煽動していた(「ネズミみたいに」とでもいった演出上の指示をうけたのだろう)。これがものすごくコミカルで、彼女は演技アンサンブル的音楽性の中心に位置していた。花田清輝の「ミッツィー・ゲイナー論」が適用できるアルチザンが彼女なのだ、と最大の敬意をおくりたい。

その他のドラマについては、今クールはコンサバな選択となった。『ガリレオ』『遺留捜査』という再開ドラマ(『ガリレオ』については、ダウジングがテーマの第二回がこれまでのなかの出色だった――柴咲コウの後釜で、これまた「学芸会演技」が心配された吉高由里子もだんだん良くなっている)、それに『潜入探偵トカゲ』を観ている。唯一の変わり種が、演劇性をそのまま温存して驚異的な長回しで俳優たちの勢いを撮りきってしまう深夜枠の実験コメディ『間違われちゃった男』。ぼくは大好きだ。
 
 

スポンサーサイト



2013年05月01日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する