平出隆・遊歩のグラフィスム ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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平出隆・遊歩のグラフィスム

 
 
昨日は平出隆さんのすこぶるつきの名著『遊歩のグラフィスム』を「いまごろ」読んでいた。07年、岩波書店刊。目次の章題と幾何学的なレイアウトのうつくしさに惹かれ、「勘」で買い置きしていた著作だった。

おおきくいうと、随想にかかわる随想、だ。この再帰性に知的な眩暈の生じる仕掛けがある。第一の随想が第二の随想に到達するときに媒介されている想像力とは何か。それはどの人生にもある時空の囲い(限定)を、詩的に肯定する力だろう。しかも「日録」型随想がピックアップされ、それが「月刊」の「図書」に随想として連載する形式がとられてもいて、再帰性は微妙にずれている。

このずれがいわば襲ね模様となって、そこに高山宏なら「テーブル」と呼ぶだろう画板の矩形(それは病で仰臥生活をしいられた子規が掲げながら書いた「机」だ)、さらには「罫」や「方眼型グリッド」といった幾何学形が付随してゆく。日録や遊歩がいかにグラフィスムのうえに建てられるかを自在な類想でつづってゆく平出の文には、随想家の名文に方法論的な詩性もが上乗せされていて、その見事さに唸った。平出は、いまは詩をあまり書かなくなっているが、すこしもことばの造型力が減衰してはいない。やわらかい措辞のうちに尖ったエッジがあるとすれば、それらはみな幾何学からの原理的な由来なのだ。

出だしのほうで、「一行なしに一日なし」(一行も書かない一日なぞありえない)というプリニウスの格言に、ベンヤミンが「一方通行路」で「だが、数週間となると、どうだろう」と付け足して、それを箴言化した「書記的な」事実が強調される。平出のしめす格言/箴言の弁別法がすばらしいので、まずはそれを摘記しておこう。



〔※格言の〕「格」の第一義は「いたる」である。「きわめる」「ただす」がそこから来る。〔※箴言の〕「箴」の第一義は「しつけばり」である。「いましめる」「さす」の意味がつづく。「さす」があらぬ次元への通路を感じさせるというのは、私だけの語感かもしれない。

「アフォリズム」aphorizmeの語源探索をすれば、限界線horizeinを離れたapoもの、ということになる。このことばには、地平線horizonが隠れている。〔…〕それは、読書の宙に亀裂をひらいて走り去る稲妻のごときものであって、そのことばがなにを意味したいのか、ついには分らないことさえある。分らないが、出現して消滅するばかりの叡智のかたちは、たしかに生を変えるほどの力を示してくることがある。



出現し、消えてゆくもの。それは「こちら」からはどこへともわからない通路をもしめす。再帰性の策略に富んだこの『遊歩のグラフィスム』では、平出の書式もまた「一旦は書いて」それが消滅することで「通路」の所在をあふれさす全肯定が志されている。いろいろなものが「連絡」する。まずはグリッド(タイル)のなかに日本的裸体の土俗性を捉えた「浴室」シリーズの天才画家・河原温が、日本での名声を捨て海外渡航し、当地のことばで、それをえがく日の日付のみを精緻なレタリング文字で(無味乾燥な)「絵画」にした、「日付ドローイング」シリーズ(それは当日の24時を過ぎて完成しなければ廃棄される)と、病身の正岡子規のいとなみが二重化されてゆく。世界各地という「空間」がただの「日付」に圧縮還元される河原の「絵」と、脊椎カリエス等から根岸の簡屋で一切うごけない病床での仰臥生活をしいられた子規の所業。かれらは、いわば「遊歩」の実績/願望を、書かれるべき基底材の矩形のなかに消滅させる日録形式をとったことで、表現のありようが一致している。

平出が注目するのは、子規の画文『仰臥漫録』中の「絵」だけではない。地図やランプへの「書き入れ」が子規にとって手近なドローイングに転化していることを読者に想起させたうえで、家屋にほどこした障子硝子や蚊帳や糸瓜棚が、子規を「矩形」で取り囲み、そのグラフィスムの「装置」のなかで子規が「みえていること」を「みえてはいないこと」に架橋していった、「一方通行路」をひそかに浮上させるのだ。屋内を限定的ではあれ世界的なパサージュとした子規の逆転力。

平出の文。《ところで、子規が小さなガラス板を透かして対象を見つめていた、という話は、子規が写生になにを求めていてのことであったか想像させて、興味深い。/ガラス板の効用として第一に考えられるのは、構図を得るためということであろう。一枚のガラス板という矩形によって現実の配置を切り取るということが楽しまれていたのかもしれない》。子規の文。《ガラス障子にしたのは寒気を防ぐがためが第一で、第二には居ながら外の景色を見るためであった。果してあたゝかい。果して見える》。この「見える」には、存在がどんな原理によって世界に対峙しているかの深遠がひそんでもいる。

『遊歩のグラフィスム』は平出が河出の編集者時代にふかいかかわりをもった川崎長太郎の話題になると色調がかわる。平出においては、川崎のぐらぐらしている挙止のほうが、「私小説の極北」といった一般通説よりも優先される。脳の障害で半身不随となり、「左手」で原稿書きをしいられるようになった川崎の、フキダシと消し線に富んだ生原稿そのものにある不安定なグラフィスムは、それでも通して読むと遊歩の呼吸をみごとに一貫させている。となれば、小田原から消滅した遊郭「抹香町」の路地をあるいていた川崎には、からだが不自由になっても温存された身体があって、それはやはり「みながらあるく」ことで錬成されたものだったはずだ。このとき川崎が文学的な「書く」という用語を否定し、「記録」と自分の作品を規定していたことのふかい意味がたちあがってくる。

平出の随想がこの川崎からベンヤミンにふたたび飛び火したとき、『遊歩のグラフィスム』はプルースト的な大団円を迎える感がある。まずはベンヤミンが盟友ヘッセルの文から抜き出したことば、《私たちを見つめているものだけを、私たちは見る》に注意喚起がなされる。このことばにたいする平出の変奏が執拗で、その執拗さがじつはうつくしい――

《私たちは、私たちを見つめるものだけならば、見ることができる。/私たちがものを見るのは、私たちがそれを見つめているからにすぎない。/私たちを見つめているものがなんであれ、ただそれらのほかに、私たちは見ることができない。/私たちを見つめていないものを、私たちは見ることができない。/私たちの見ることができないものは、私たちを見つめてはいないだろう。/私たちを見つめているものを見ないことには、私たちはなにも見ることができない。/もしそれらが私たちを見つめてくれていなかったら、私たちには見るということさえないだろう。/私たちを見つめているものたちは、私たちのほかをも、見つめているのか。/見つめあっているのではない、見つめているものを、私たちは見るばかりだ。》。

事物からのまなざしは、メルロ=ポンティやラカンも考察したことで、ベンヤミン自身も、「まなざしは見つめ返される期待を内包している」としるしているが、見ることの恣意性によって世界が出現し、見ないことの恣意性によって世界が消滅する経路を平出は問題にしている。綜合すれば、視線とはいつも「創造的に」半盲なのだ。このときベンヤミン『ベルリンの幼年時代』における「乞食と娼婦」の章を過たず平出は対象化する。



少年〔※ベンヤミン〕の目の前で、街路は宗教的儀礼をこなごなにし、代りに神話と呼び交わす聖なる経験を現前させる。/「実際に目に捉えているもののうち、その三分の一は見ていないかのようなまなざしが、このときは私に役立ってくれたものだ」とは、自身のまなざしを指すのだろうか、それとも街に立つ娼婦のそれを指すのだろうか。/主体と客体とがまだ融合しているような陶酔的経験の状態にとって、それは文章の曖昧さではなく、その両方を同時に指すというべきかもしれない。〔…〕

病床での仰臥から得られた子規の限定的な視角は、ベルリンの悪所をぬけ相互値踏みの磁場にはいったベンヤミンと娼婦との限定的な視覚場に転位される。この転位に、物理的なものが質的なものに変幻する移行がはいりこんでいる。ところがそれらは時空の限定をうけている以上、薄暗くても明るみのなかにある、といえるのではないか。それが人の生なのだ。その生の質が、いわば日録の根拠となる(これは平出と親しい岡井隆にも援用できるだろう)。

平出は子規とベンヤミンの共通項をこうつづる――《子規とベンヤミンは本質的に通うところがある。断章形式を選んだところ、収集と分類に熱をあげたところ、ジャンルの畑をかまわず横切り、道のないところに道を見出したところ、道のありすぎるところにも道を見出したところ、言語と絵画の相互浸透に惹かれたところ、手当り次第に神話を剥奪していくところ、遊歩を好んだところ、などである。その詩学はともに、現実的な距離感覚によって冷却される。》

この文の前のほうにしるした、プリニウスの「格言」につけたしをしたベンヤミン「一方通行路」の箴言はこうだった。《一行なしに一日なし――だが数週間となると、どうだろう》。平出はこれにたいする新訳をみつける。こうだ――《ひと筆もなき一日があってはならぬ――とはいえ、そんな数週間はあってもよい》。この新訳から、なにか別のものが生じてくる。ぼくのことばでいってみよう――日録は創造の自然な形式だが、日録しないことも日録ととらえうる。その日録のない日々はいわば創造の緩衝帯となって、日録に励んだ日々全体を夢想的に「内部」化する。このとき「日録のない日々」の最大値を死後とよぶこともできるだろう。

平出が引用したベンヤミンからショーレムに宛てて書かれた手紙文面に、以下のようなものがあった。《カフカは究極の失敗が確かに思えてから、途上のすべてが夢の中でのようにうまくいったのだ》。カフカの全長篇小説は、完成のしるしという点からいえば失敗をしめしている。ところがその細部、その微々たる過程はすべて峻厳で精確だ。いわば失敗の壺に、成功の水が盛られている奇異がカフカ小説のひとつの眺めであり、それは表現が「内部」をもつことの恩寵をそのまましめしているといってもいいだろう。

「内部」は内部にいる人間には「みえている」と信じられている。ところが外部にいる者には、そうとはおもえない局面がある。ということは、自己を自己が査定できない以上、「内部」は内部者にとって、「みえている」と同時に「みえない」ものとしてしか規定できない。それが子規の家屋内であり、ベンヤミンにとってのベルリンの悪所の内密性であり、カフカにとっての長篇小説の「中身」ということではないか。そのどれもにたぶん、矩形やガラスがかたどられている。だがそれは表面的な事柄だ。実際は、ライプニッツのいうように、「モナドに窓はない」。

最後に日録的な表現にかかわる平出の具体的な詩論を、ややながくなるが摘記しておこう。



いったいどうして、〔…〕句集や歌集というものはあんなにも次々と刊行されてゆくのだろう。〔…〕一般的な行替えのかたちをした自由詩形の詩をあつめた詩集は、けっして循環的な時間とその日付、すなわち季節のめぐりや歳月のめぐりとのあいだに、暗黙の契約を交わしていない。対照的に句集や歌集は、客観的な(と見える)時間軸をうちにふくんでいて、この時間軸との連係が、一書の編纂にとっては大前提としてあつかわれる場合がほとんどである。〔…〕

〔…〕自由詩のごく短い散文形式もまた、大きな時間との接触において、多産に結びつくことがある〔…〕。とくに断章やフラグメントといわれるかたちに近づくとき、日記的合図とともに火花をつくることがある。〔…〕

〔…〕「一行」という短さに近づくとき、「一行」が反復を求め、多産を呼び出す〔…〕。



じぶんの詩業の質を指摘されているような気がした。自由詩はみじかいことで日録的になる。同時に改行意識を研ぎ澄ますことで、みじかくなくとも多産が生じる。それらは可視性と不可視性の織り合わせとしてあり、散文詩の乱射的な垂れ流し(垂れ流しそのものが「みえている」)とはちがう境位にあると、ぼくはこの平出の一節を志向的に読んだのだった。
 
 

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2013年05月14日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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