FC2ブログ

像と自己再帰性 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

像と自己再帰性のページです。

像と自己再帰性

 
 
【像と自己再帰性】




磯があって、海があって、白波が立って、吹き荒れる曇天を鴎がゆく…といったように、展開がそのまま視覚像に還元されてゆくような書き物がさほど上等だとはおもわない。「みえるもの」「みえないもの」が一種刺繍されて、それが織物になってゆくことが、書かれるもの特有の景物性だとおもうのだ。「織物」といえば、吉本隆明は、文学作品は自己表出と指示表出の経緯で、濃淡をかたちづくる織物だと喝破したわけだが、いずれにせよ、書き物はちがう二原理が拮抗し、せめぎあう場としていつもある。

正岡子規『病床六尺』にある一首《瓶にさす藤の花ぶさみじかければ畳の上にとどかざりけり》も、たんなる「写生」短歌ではなく、病床に仰臥する子規のひくい仰角視線を解釈に抱き込むのが通例だ。このときおもわれる子規の「位置」が、一首から読者がかんじる視覚像を矯める。藤の花ぶさの尖端と畳とのうすい隙間がそれでかがやく。ところが藤そのものの実在がそうして隙間の出現に転位したとき、「みえること」は「みえないこと」に微妙に浸食される。隙間ほど、みているのかみていないのか不分明になるものがないためだ。それで気づく。作者の位置を読解が自己再帰的に反映すること自体が、すでに「みえなくなる」ことを読解に生成するのではないかと。

吉本隆明は『言語美』で、「像=イメージ」を分析するにあたり、書字ということを前提にもちだす。指示表出で眼前にある「あれ」を喚起するときには、実際は像のもんだいが起こらない。視線を向ければ対象が実在するからだ。ところが書字されたものの原則は、えがかれた対象が書かれた紙から隔離・断絶しているということ。それでいわば補填が起こり、像らしきものがそこに代位されるようになる。



おそらく文字は、たんに歌い、会話し、悲しみをのべていた古代人が、言語についてとても高度な抽出力を手に入れたとき、はじめて表記された。語り言葉、歌い言葉との分離と対立と浸透とのわかれは、文字の出現からはじまったといっていいほどだった。(角川ソフィア文庫版『言語美』Ⅰ、110頁)

文字の成立によってほんとうの意味で、表出は意識の表出と表現とに分離する。あるいは表出過程が、表出と表現との二重の過程をもつようになったといってもよい。言語は意識の表出であるが、言語表現が意識に還元できない要素は、文字によってはじめてほんとうの意味でうまれたのだ。文字にかかれることで言語の表出は、対象になった自己像が、じぶんの内ばかりではなく外にじぶんと対話をはじめる二重のことができるようになる。(同)

書き言葉は、〔…〕語につかえるのではなく、言語の自己表出につかえるようにすすみ、語り言葉は指示表出につかえるようにすすむ。(同)



あたりまえのことが指摘されているようだが、ちがう。書かれていることばは、実在しているもの(の喚起)を担保にしている。それが書くときの発語の原型だ。書かれていることばが現在形を装着していても、じっさい書かれてあることばは、実在しているものと僅少な時差をえがく。あるいはただ眼前に実在する/した外延と、書かれてあるものが展開されて生じてくる外延には決定的な落差がある。実在的な外延には「語順」がないのだ。むろんそれは視線を投げかけた順番でもない。意識が統合したという意味で、濾過ののちに現れる語的秩序そのものの組成だ。自己表出は内部的な吟味を契機としているだけで、書かれなければ指示表出を織りこまれた組織体にもならない。このように、吉本のいう書きことばの機能を、さらに敷衍することができるだろう。

とうぜん原理的な「分類者」吉本は、品詞分類と像の形成力の相関について、思考を研ぎ澄ましてゆく。



品詞区分をかりていいなおせば、名詞から副詞のほうへ、いいかえれば、指示表出からしだいに自己表出へアクセントをうつしてあらわれる言語ほど、〔…〕像の表象力や喚起力は弱まってゆくことが手やすく了解される。助詞とか助動詞とか、感嘆詞のような自己表出語は、それ自体で像を表現したり喚びおこしたりする力をもたない。(Ⅰ、113頁)



「助詞」「助動詞」は、「みたもの」=「指示表出の根源」=「名詞化されうるもの」を構造化する骨格そのものであり、しかもその骨格化に自己表出的な衝動が隠されている。となれば、書きことばが、「みえるもの」「みえないもの」の相互で織られるのは、文構造の必然ともいえる。あるいは「助詞」「助動詞」はニュアンスの精密な付加を果たす。ところが事物ではなくニュアンスは「みえてはいても書字再現が困難」ということだろう。むろん文学的作品は「視覚像の産出」だけに拘泥などしない。「ニュアンス」を展開のなかに分離的にちりばめてゆく「構成」が、たとえば小説の原理だったりする。

以前に書いたが、吉本は動詞を指示表出性のたかい品詞に分類している。ところがたとえば「はしる」は他の動詞と言い換えがきかない。身体を基盤とする動作動詞は、語彙がすくなく、結果、さまざまな動作の態様に濫喩的にもちいられるしかないのだ。「はしる」をニュアンス化するのは他の動詞との複合による。「はしりぬいた」「はしりぬけた」などがそれだ。ところが助動詞的なものと複合すれば、たちまち視覚性が減衰する。「はしるだろう」「はしらなかった」。これらはたんなる「はしる」との関係がわからず、実際はどんな動作を「指示」しているかまったく不分明で、じつはことばそのもののおそろしさは「複合」によって像の形成力がそこなわれるこの逆説にこそ存在している。



もしも言語が像を喚び起したり、像を表象したりできるものとすれば、意識の指示表出と自己表出とふしぎな縫目に、その根拠をもとめるほかはない。(Ⅰ、114頁)

音声は、現実の世界を視覚が反映したときの反射的な音声であった。そのときにはあきらかに知覚的な次元にあり、指示表出は現実世界を直かに指示していた。しかし、音声が意識の自己表出として発せられるようになると、指示は現実の世界にたいするたんなる反射ではなく、対象とするものにたいする指示にかわった。いわば自己表出の意識は起重機のように有節音声を吊りあげた。(Ⅰ、114-115頁)

こうして言語は、知覚的な次元から離れた。像は、人間が現実の対象を知覚しているときにはありえない意識だ。〔…〕言語に像をあらわしたり喚び起したりする力があるとすれば、言語が意識の自己表出をもつようになったところに起動力をもとめるほかない。(Ⅰ、115頁)

〔…〕言語の像をつくる力は、指示表出のつよい言語ほどたしかだといえる。この意味で言語の像は、言語の指示表出と対応している。いいかえればつよい自己表出を起動力とするよわい指示表出か、あるいは逆によわい自己表出を起動力にしたつよい指示表出に起因するなにかだというべきだろうか。(同)

言語の像は、もちろん言語の指示表出が自己表出力によって対象の構造までもをさす強さを手に入れ、そのかわりに自己表出によって知覚の次元からはるかに、離脱してしまった状態で、はじめてあらわれる。あるいはまったく逆であるかもしれない。言語の指示表出が対象の世界をえらんで指定できる以前の弱さにあり、自己表出は対象の世界を知覚する以前の弱さにあり、反射をわずかに離れた状態で、像ばかりの言語以前があったというように。(Ⅰ、118-119頁)



やや視点をずらすようだが、まず「観客モデル」のもんだいをかんがえてみよう。例示した子規の藤の一首にあきらかだが、近代以降の読み手は書きことばにたいして「観客」になる。そこでは原理的な模倣(ミメーシス)の力が作動している(ミメーシスが行動選択の原理だということは現在、現代思想の分野で数おおくいわれていて、その代表格が、大澤真幸の、イエスによるサマリア人への模倣を基盤にした、「弱者へのミメーシス」だろう)。

ところがミメーシスは、吉本用語のいう指示表出を対象にはしない。つまり子規の歌でいえば読み手は「藤」にも「すきま」にも自己変成できない。それらを構造化した原理、つまり子規の自己表出のみを、読み手はみずからに内在する自己表出の感覚=衝動に生成しかえすだけだ。ということはミメーシスの作用する領域は、つねに自己表出、もっというと自己再帰性のなかにある、といえる。

これをさらに換言すれば、あらわれている自己表出とは語順であり、換喩であり、構造であり、あるいは構造に滲んでいる再帰的な自己表出の痕跡のことだ。読み手はそれを自身に装填して、「観客の位置」から「作者の位置」に居場所を変成させてゆくのだ。しかもそうできるときの鍵がさらにあって、これが語調、あるいは音韻だろう。語調、音韻とは「みえないもの」の最たるものだろうから、読み手はまさに書かれたものに伏在する自己表出に伝染するといっていい。

『言語美』ぜんたいにおける吉本の議論の錯綜は、構造や語順を指示表出としたことではなかったか。それは自己表出/指示表出どちらにも還元できない、換喩性の作動する緩衝地帯というべきだったとおもう。

それでも掲出摘記した吉本の所説に、かれの卓見が瞭然としている。たとえば吉本のいう、自己表出と指示表出がひとしい混合度になる言語の場所は、たとえるなら至高点にしかならないのではないか。「満開になった白木蓮が陽光にかがやき、わずかにそよいでいる」は過不足のない措辞だが、書かれる像のおそろしい本質をつたえない。つまり像は、指示表出と自己表出の混淆において、度合が不均衡なときにのみ、ちからづよく作動すると吉本は語っている。むろんそれは、1「よわい自己表出+つよい指示表出」、あるいは、2「つよい自己表出+よわい指示表出」、これらどちらかに場合分けされるしかない。

1の例示として次の葛原妙子の短歌をかんがえる。《青き木に青き木の花 纖かき花 みえがたき花咲けるゆふぐれ》。ここでは「さだかにみえないこと」が「みえている」。つまり像そのものの本質がみえている。「青」「木」「花」の重畳は、そのかさなりにおいて像の出現力を減衰させていて、それらをみあげるか遠望している夕暮れの作者は、書かれたものの外側にあることで自己表出力がよわい。書かれてある指示表出は重畳性から一見つよいのだが、かえって重複は弱視性を結果している。かんがえれば、草の花ではなく木の花で、青に分類されるものをひとが思い描けない点には、にわかに恐怖にちかいものまで滲んでくる。

2の例示としては、西東三鬼のつぎの一句がどうか――《われら滅びつつあり雪は天に満つ》。句跨り・一音過多のこちらは、最初の十音に自己表出の痕跡がつよくのこり、それに音数をついやしたために、指示表出となるべき「雪」の表象が雑駁、寸詰まり、あるいはべつの言い方をすれば抽象的と捉えられるだろう。ところが自己表出と指示表出の強弱、その「不均衡の均衡」が絶品で、実際は天心までみあげた雪の舞いのしろいかさなりが、「われら」の亡びのすがたと照合しつくす。結果、対象の「上方」に指示表出が起こり、つよいとみえた自己表出の根拠「われら」が弱像化する点に妙味がある。

「像」における自己表出/指示表出混合での強弱の不均衡は、「像」に消滅/再生成をうながす「傾き」とよぶべきではないか。もんだいは、「像ばかりの言語以前」という、吉本のふしぎな用語だろう。「在るものが在る」「それ以上でも以下でもない」「それ自体」。それへ命名をおこなうことには、つねに「命名過剰の罪障」(ベンヤミン)がともなう。ところが罪障は「むろん」貫徹されなければならない。このとき指示表出分野の「像」が命名原理の厚みに耐えきれず「割れる」。だから葛原は「青」「木」「花」といった原理的用語にすべてをとどめたのだし、三鬼も「天」「雪」とだけつづった。ところが三鬼はそのことで動詞「満つ」に、自己表出的な像の「みえがたさ」をも付与したのではないか。

こう指摘すれば、つぎの吉本の所感もすんなりと読者の胸にとおるだろう。



言語の美のもんだいは、あきらかに意識の表出という概念を、固有の表出意識と〈書く〉ことで文字に固定された表現意識との二重の過程にひろげられる。(Ⅰ、120頁)

このことは、人間の意識を外にあらわしたものとしての言語の表出が、じぶんの意識に反作用をおよぼすようにもどってくる過程と、外にあらわされた意識が、対象として文字に固定され、それが〈実在〉であるかのようにじぶんの意識の外に〈作品〉として生成され、生成させたものがじぶんの意識に反作用をおよぼすようにもどってくる過程の二重性が、無意識のうちに文学的表現(芸術としての言語表出)として前提されているという意味になる。それは文字が固定され〈書く〉という文学の表現が成り立ってからは、文学作品は〈書かれるもの〉とかんがえられているからだ。(Ⅰ、120-121頁)



二番目の摘記にある、《じぶんの意識に反作用をおよぼすようにもどってくる過程》が重要だとおもう。吉本が自己表出をいうとき、その別様の言い方を綜合すると、「前言語的な発語衝動が最初にしるす自己再帰的な体内反響」ということになる。それとぼくは作者-読者の関係では、指示表出ではなく自己表出=自己再帰性が反映しあうミメーシスが原理となるともしるした。そこに「像=イメージ(イマージュ)」がどうかかわるかといえば、像はそれ自体、自己再帰的なかさなりにおいて自己蚕食をきたし、その過程が像をさらに強度化させるという指摘をおこなってきたつもりだ。むろん文学「作品」の「書字」行為では「構成」にむけて、多くは「推敲」とよばれる自己再帰的な影もまつわる。これら何重の意味にもおいて、自己再帰性は作品から複雑に嗅ぎとられ、読者の感覚を幸福に充填するというほかはない。

構成化とは作品化のことだ。このとき吉本が構成を指示表出としたのは早計で、それはむしろ自己表出と指示表出のあいだにある緩衝地帯のことではないかと前言した。ところがこのぼくの言のほうが、ひとつの局面からは早計だということが、『言語美』Ⅱの諸部分からわかるから事態は厄介だった。



抒情詩は〔※土謡詩・叙景詩からの〕〈転換〉としてみればそれほど複雑になったわけではなく停滞したとみていいのだが、構成としてみれば表出の奥行きのほうへと立体的にのびていったことを意味している。口承時代の言語のその場かぎりの響きはなくなり、文字からつぎの文字が喚起されるかたちにはいった。詩の構成が、いわば有機的に統覚されるようになった。(Ⅱ、73-74頁)

〔…〕芸術の形式は、〈架橋〉(自己表出)の連続性からみられた表現それじたいの拡がりであり、芸術の内容は〈架橋〉(自己表出)の時代的、個性的な刻印からみられた表現それじたいの拡がりである〔…〕。(Ⅱ、244頁)



二番目の摘記は、吉本が実際にそのことばをつかっていないとはいえ、「換喩」機能をまず語り、そのあとで換喩そのものが作品化にいたる要件として「内容」をもちだしている機微がかんじられる。自己表出になく、指示表出(作品性の客観的な外観)にあるものの第一は、語順、構文だろう。換喩として衝動された語順は、自己表出の域から「即座に」指示表出の域に立脚を移す。この瞬時性が「書くことの魔術的な生成」そのものだともいっていい。吉本は芥川龍之介の次の言を引く。



わたしの並べかたと言ふのはさう言ふことを言ふのではない。「秋深き隣は何をする人ぞ」と言ふか、「秋暮るる隣は何をする人か」と言ふか、或は又「何をする人と隣りて暮の秋」と言ふか、――と考へる時の並べかたであります。つまり辞の達するか達しないかと言ふ並べかたではない、生命を伝へられるか伝へられないかと言ふ並べかたであります。(Ⅱ、248頁――吉本による芥川龍之介の引用)



ぼくはいわば自己表出と指示表出にかかわり、折衷案を提起した。「構成」にかんしては結局、指示表出の領域に位置させるのにやぶさかではないが、その単位となる「構文」「語順」にかんしては換喩が機能を発揮している以上、自己表出として惹起されたものが瞬間的に指示表出へと反転するとしるした。この「瞬間の厚み」が「書くこと」を実質化しているとさえいえる。自己表出/指示表出の刺繍的な二元論に終始した『言語美』も、実際は峻別的な二元論ではなく、折衷を志向している。それがもっとも顕わなのが、以下にある、「言語の自己表出の指示的展開」だろう。玩味されたい。



文学の内容と形式は、それ自体としてきわめて単純に規定される。文学(作品)を言語の自己表出の展開(ひろがり)としてみたときそれを形式といい、言語の自己表出の指示的展開としてみるときそれを内容という。(Ⅱ、250頁)



そうして、『言語美』Ⅱは、以下の結語をもって、いわば「創造的な中途半端さ」でまさに中断的におわる。



わたしたちは像を言語の構造にくっつけてかんがえてきた。それは、まず像を表出の概念として意識にむすびつけることによって、つぎに表出を還元から生成へと逆立ちさせることでできるとしてきた。(Ⅱ、327頁)





「像」を生成しつづける文というものは原理的にありえない。ところが「像」の形成力を減衰する創造的な工夫ならありえる。「あなたは――する」という二人称構文によって生起する事象が「同時に」読み手への「指示」とも錯視されるマルグリット・デュラスの『死の病い』、あるいはデュラスの声の交響性を導入したモーリス・ブランショの『期待・忘却』などがたちどころにおもいうかぶが、現代日本の詩作者として独自の境地から、このことをふかく思索したのが、畏敬やまない貞久秀紀だろう。まずは彼の文を引く。



 小さなことから思い出してみようと思う。ある年のあるとき食卓でワサビの葉を食べた、というほどのことである。
 それは早春のこととして記憶していたが、メモには十二月十日とあるから、その頃にはもう葉ワサビは出まわっていたのだろう。爽やかな苦みが春らしいので、記憶もそれにあわせて変えられたのにちがいない。ふだんは忘れている風味が、毎年この頃から春にかけてこれを食べるたびに思い出されるが、食べるまでは忘れていて、口にふくんではじめてああこんな味だったと思い出される。それがこのときは、その初々しく張りのある歯ざわりと風味をたのしむうちに、この香りから何か葉ワサビではないべつのものが思い出されるように感じられ、それを思い出そうとして思い出せず、しかし味をたしかめながらかんがえるうちに、それがほかでもない当の葉ワサビであることに思い至ったのである。(貞久秀紀「明示法について」(上)、「現代詩手帖」2010年6月号)



探したものが現下にあった。だが、それを探したこころもとない感覚が、充実として残存しつづける。貞久のいう、この妙な感触・感慨は、たえずこころもとない人間を肯定する世界観と接触している。何度かつかわれている「思い出される」の措辞は、よわい自発の感触をつたえていて、そこに自己再帰性がとおさからの反響という感慨をもちながらも、それが決定的な内部体験としてある矛盾が顔を覗かせている。この葉ワサビ体験を契機に、貞久は(詩)文の自己再帰性が像を減衰させて不安定にゆれ、その「ゆれ」が実存的かつ感慨的につかまれる詩の本質をかんがえはじめる。



「枝が風にうごき、そのうごきにあわせてゆれる。」

 という文も、読者の注意は暗示された枝の「うごき」とは何であるかをかんがえたり推量したりしようとして発動するが、それが文中に明示された「ゆれ」と同じであるとわかるや否や、この文のいい表していることが結局は「枝が風にゆれうごく」ことであるのにすぎないというひとつ所に落ち着く。しかしひとつ所に落ち着きながらも、「そのうごきにあわせてゆれる」という妙な記述があるかぎりは、この「うごき」が「ゆれ」とはべつの何かであることが依然として暗示されつづけるのではないだろうか。そして、何かが暗示されているかぎり、その何かをさがしもとめて注意はうごき、はたらきつづけるのではないだろうか。

 この文を読み、この文のいい表していることがらを思い浮かべようとするとき、読者の注意はそれが単に「枝が風にゆれうごく」ことだとわかり、そのひとつ所に落ち着くにもかかわらず、この妙な記述によって暗示された何かを読み解こうとするはたらきが発動したままであるために、その何かをさがそうとして落ち着くことがない。いわば、この文のいい表していることがわかるとともに、わからないでもいるような、宙ぶらりんの不安定な状態でありつづけるのである。この文は、ひとつ所にとどまりながらうごきまわるという注意の矛盾したあり方を説明しているというよりは、ネッカーの立方体がそうであるように、文そのものがそのようなあり方になっているといえよう。(同(下)、同7月号)



散文体で書かれている貞久のこの文章そのものを詩とよべる。法則がある。同語反復の横溢だ。あるいは論理の迂回にみえて、螺旋形に進行してゆく文意が、ゆっくりとつぎの思考をつかんでゆく時間的/非時間的実質だ。ともあれ、貞久は葉ワサビ体験から、この「枝のゆれ」をつかった例文までをつらぬく感覚と思考が、文としては聞きなれない「明示法」という分類にはいるのだという。



〔…〕明示法の文では、暗示されているものがすでに文中に明示されていることを、読者みずからの注意がはたらいてかんがえたり推量したりして読みとることができなければならない。なぜなら、葉ワサビによって暗示されるものの正体を知ろうとして注意が生き生きと働きながらも、結局はそれがその葉ワサビのことだとわかるという遠まわりな発見――いわば発展性のない発見の体験は、読者もまたそのように注意をはたらかせてみてはじめて体験できるからである。(同)



「そこに在るもの」が物質性、形象、体積をともなって「当のもの」を実質化していながら、「当のもの」は「それ以外」の外延をふくみ、自己否定に傾斜している。その自己否定を掬おうとすると、「そこに在るもの」がふたたび感覚において実質化される。この感覚は、「在るもの」が「それ以内」と「それ以外」を同時に体現しているとする(古代インドの)融即哲学とつうじている。あるいは言い方をかえれば、ヴィトゲンシュタインのいう「語りえないもの」とは、まさに眼前の「それ」「それ自体」だということでもある。吉本のいう、《像ばかりの言語以前》も当然に想起される。それは、通常は気づけないが、途轍もなくかがやいているものなのではないか。貞久はこの「明示法」による言語哲学を自分の詩作へとあざやかに実践してみせる。



【石のこの世】
貞久秀紀

この石はひとよりまえからこの世にあり、ながめていてあきる
ことがない。思いがわいてくるでもなく、
 みていてこの石でなしにみえることもない。
 ここに石としてひろがり、
 みえるもの、ふれうるものとしておおい隠されずにありながら、
この石でないところではひろがらない。
 にもかかわらずあきない。そして、思いがわいてこない。

(『明示と暗示』、思潮社、2010年刊)



「思いがわいてこない」という詩句のふかさを戦慄的に賞玩すべきだろう。「石=在るもの」が吉本のいう指示表出である以上、それは自己再帰性を反射しない。それで自己表出=「思い」の外側に、存在が峻厳に存在するしかない。ところが書かれているものは練りあげられた哲学的な構文の連鎖だ。しかも「発想の詩」「換喩詩」に通常ありがちな語彙の飛躍はなく、どこまでも用語は「石」へと再帰的に着地して、みずからがみずからに重複することによって「像」を熾烈に消してゆく。みずからがみずからを蚕食する影になっているものが物質なのだ。その影は外延ともよばれる。石が石の範囲にしかひろがっていないとき、そのひろがりは唯一で、その唯一性は一面でまったく唯一でもないから、こういう感慨が起こる。

同時に構文の連鎖のなかには哲学性とともに「かすかに」詩性がにじんでいて、読者はその詩性のかたどる自己表出性・自己再帰性を伝達されて、自身のなかに自己再帰性をともす。それで「思い」がみちてくる。ところがそれは、「思いがわいてこない」という「思い」なのだ。それでも伝達そのもののゆかたな充実が読者の身体に装填されてゆく。これこそが、作者と読者とに真にあるべき換喩関係ではないだろうか。とりあえずこの詩篇では、読者は暗喩詩のように作者の手許など探らない。「在るもの」は「在るもの」としてかがやくように「みえている」。ところがその満足は、換喩が再帰性へと割り込むことで、「存在」の像を厳粛に縮減させている。ここでは語彙も縮減されていて、とりわけ固有名詞が遮断されている。

私見ではこの貞久の詩篇は、まど・みちおの以下の著名な詩篇ととおく交響している。「それがそれとして在る」ことの恐怖と充実という点で、着眼がひとしいのだ。



【リンゴ】
まど・みちお

リンゴを ひとつ
ここに おくと

リンゴの
この 大きさと
この リンゴだけで
いっぱいだ

リンゴが ひとつ
ここに ある
ほかには
なんにもない

ああ ここで
あることと
ないことが
まぶしいように
ぴったりだ

(1972年)



ここでも「リンゴ」は「みえている」ようで「みえない」。「みえるもの」と「みえないもの」を考察したメルロ=ポンティが結局、「世界の肉」(世界の組成は隙間だらけなのに、その隙間は肉状に充実している)といい、「間主観性」をもちだすのは、それが「みえない」からで、その「みえなさ」が「みえるもの」すべてを高度に保証するためだ。

貞久が方法論的な「明示法」を主張するまえにも、同語反復によって語彙を限定化し、そのことで世界を哲学的に規定、そこに詩性を交錯させる独自の方法を達成していた。これを換喩というなら、換喩は想起による外延を志向せず、みずからに折れ曲がることで停滞をつくり、その厚みに世界を流入させるまぶしさをもって、世界と同等の充実をミニマルかつ極大につくりだしていたということになる。

「像」は峻厳に忌避される。「関係」の提示が主眼になる。その「像」の縮減のためにひらがなの使用が発効し(漢字はほんらい象形性をもって成立したから結像性がたかい)、音韻そのものの換喩性のみに換喩効果も限定されてゆく。しかも「改行」という、吉本なら指示表出とよぶべきものが余韻(脱視覚性)と呼吸に忠実なことから、自己表出的な「みえなさ」(透明な盲目性)を錬成しつくす。日本語の詩でこういう達成をみせるものは、むろん稀少だ。その例示――




【全体に並ぶ】
貞久秀紀

ひとり
のときひとり並んでみよう
そうおもうことがあった

並べるようにおもわれた
木や
そらにではなく
全体に
けれどみずからが
全体にふくまれるかぎり
並べないようにもおもわれた
桑をとりにゆき
ひとり
口をよごしている
ひとりよごれていると
ひとりでも
群がることができた
木や
そらとともにいて
ときに
よごれたまま
しずかにあおむいている

全体
をみずからがふくんでいる
そんなふうにもおもわれて
いつまでも
並べないのだった

(『昼のふくらみ』、思潮社、1999年刊)



「なにに並ぶのか」。「木」「そら」「全体」に、と詩篇では「明示」されている。ところが「並ぶ」にふさわしい対象は「列」を形成しているはずで、「木」がその要件をみたすにしても、「そら」「全体」といった瀰漫する形象はその要件から「みごとに」はずれてゆく。そうして動詞「並ぶ」にある実質が漂白されてゆき、結果、「並ぶ」と発語された自己表出が、「並べない」に帰着する。この相反するものの動作・動態の重複は、「みえているもの」が「みえなくなる」こと、あるいは「明示」されているものがわからなくなり、探されてふたたび「明示」の域に復帰することと同位だともいえる。

「在る私」がなくなったその場所に、肉状に充実した世界(のすきま)がかがやいていて、読みなおすほどに一篇の感慨が増大してゆくことになる。この読了直後の再読誘惑性こそが詩の本質だろう(貞久が尊敬する江代充の詩作にもそれがある)。それは読了が疲労をともなった達成感と「絶対に一致しない」詩だけが志向する秘術でもある。

貞久のこの当時の詩篇は身体的なあからさまさでは露呈していない呼吸を、その改行のなかに探ることで読解が成り立つ。それは端的にいえば、改行単位のどこで読解が「。」を打つかという試練へとずらされる。この詩篇でいえば、とくべつに打つべき「。」は、三行目「そうおもうことがあった。」と四-五行目「と/並べるようにおもわれた。」とを「。」で分離し、八行目に「全体に。」というように「。」を打つことで倒置構文をみてとれば、それで済む。こういう読解作法はおなじ『昼のふくらみ』に収録された傑作詩篇「夢」にも適用できるものだ。

措辞における自己再帰性は、主体を消し、主体像を縮減する。その縮減のぶんだけ、読者のふところに力がはいりこむ。このとき形成されるのは、読者が読者自身をみやる視覚のようなものだろう。自分の影になっている自分の視野の、原理的な親しさ。ぼくじしんも最近、ある詩篇の書きだしを《みあげることが月をみた》とした。そこでは「かれは月をみた」「わたしは月をみた」よりも「像」の形成力がすくなくなっている。むろん「明示法」そのものの、自己領域への迂回的な再着地もある。短歌でいえば、この自己再帰性は、葛原妙子につよい影響を受けた初期の水原紫苑にみられる。

足拍子ひたに踏みをり生きかはり死にかはりわれとなるものを踏む
(水原紫苑『びあんか』1988年)

「踏む」「かはり」のルフラン(リトルネロ)がやはり像の減殺効果を喚起しているが、「われ」の像が減ってゆくことにはナルシズムと脱ナルシズムの同時性がある。ナルシズム一辺倒の詩歌とは別次元のものが水原のばあい初期段階から志されているのだ。たぶんこの一首は能の足さばきを練習した過程からうまれていて、だから能役者における「自己」「非自己」のもんだいとも抵触している。結果、能役者の非自己が死の領域にひたされているというおそろしい見解までにじんでくる。

自己が自己を打ち消すことは、むろん詩のもんだいにかぎらない。まずは詩と「隣接」する箴言から例示をおこなってみよう。



三種類ある――
自分を、なにか未知のものとして見つめること
見たということを忘れること
しかし、得たものは記憶にとどめること
あるいは二種類だけかもしれない、三番目は二番目を含むのだから。
――フランツ・カフカ『夢・アフォリズム・詩』(平凡社ライブラリー、吉田仙太郎編訳、106頁)



最初に「三種類」を提示して、その二番目と三番目が類似するから、種類を二種に訂正したという「うごき」をもつ「構成」だ。吉本でいえば訂正は自己表出の領域にあるが、それが即座に「書かれて」、指示表出へと転位している。「自分」を「未知のもの」として「見つめる」ことには自己離脱、自己幽体化、離人化の契機がふくまれていて、それでもその自分は「見つめ」られる領域に一旦定位される。ところがその「見る」に「見たということを忘れる」、それでも「得たものは記憶にとどめる」というさらに二種の格言(自己法則)が重複する。すごいのは、この重複が、重複の通常に志向する暗喩ではなく、換喩として生起している点だろう。

第二項と第三項の「相殺」が意味的におそろしい。仔細にながめると、「見たということを忘れること」こそが「得ること」だという見解が隠されていて、つまり獲得の本質は喪失だという逆転がここに介在しているのだ。しかもそれは世界の事象すべてに通約されてゆくものではなく、カフカはそうした相殺をただ自己領域に限定している。このときこそ、「自分」を「未知のもの」として「見つめる」ことが完成される。ということは、数式でいうと、「3-1=1」という正解ではない数式が自己ということにもなる。なぜそんな誤謬が出来したのかというと、当初の段階で自己領域に「3」を設定した慢心・倨傲がもんだいだったのだ。カフカはこのようにして、「自己による自己の打消し」を三重化していて、これを哲学的な文章にすれば、キルケゴールでも数頁を要するだろう。そうならなかったのは、換喩のもつ喚起力が箴言に駆使されたためだ。

次は、カフカとも関連のある石川淳の小説から――



 国の守〔かみ〕は狩を好んだ。小鷹狩、大鷹狩、鹿狩、猪狩、日の吉凶をえらばず、ひたすら鳥けものの影に憑かれて、あまねく山野を駆けめぐり、生きものと見ればこれをあさりつくしたが、しかし小鳩にも小兎にも、この守の手づからはなつた矢さきにかかるやうな獲物はついぞ一度も無かつた。さういつても、弓は衆にすぐれてつよきをひき、つねの的ならば百発あやまたず真中を射ぬく。しかるに、これが狩場となると、その百中の矢はどうしたことか、まさに獲物を射とほしたとは見えながら、いつもいたづらに空を切つた。ただ不思議なことに、あやふく矢をまぬがれたはずの鳥けものは、とたんにふつとかたちを消して、どこに翔りどこに走つたか、たれの目にもとまらない。いや、その矢までがどこの谷の底、どこの野のはてに落ちたのやら、かつて見つけ出されたためしは無い。ひとびとの耳にしるくのこるのは、はげしい矢音だけであつた。
――石川淳『紫苑物語』書き出し



弓矢の名手として国の守がいて、「百発百中」がうたわれながら、それが記述のなかで次第に自己否定され、ついには矢も射止めた獲物も空中にきえるといった経緯だ。いわば貞久秀紀の「明示法」の逆がおこなわれている。古典もしくは古典的講談を模して、なるべく和語の語彙が蒐集され、七音、五音を分節単位にちりばめ、その調子によって説話が驀進してゆくとみえながら、読む者はいわば「見消〔みせけち〕」をつかまされる。この虚無感、徒労感はじっさい石川淳『紫苑物語』の総体を「矢のように」つらぬいていて、そこでは「矢の力」「歌の力」の拮抗が、中世的な壊滅感のなかで熾烈に無化される。「それでも」説話の躍動は刻々にしるされて読者を魅了するという複雑な結構に全体がある。

吉本もむろん『言語美』のなかで石川淳をあつかっているが、「小説体」よりも「話体」のつよい書き手として石川淳をとらえるだけで、「像」の消去力と説話驀進性という矛盾的両輪を石川淳の本質とするまでにはならなかった。むろん矢音だけがひびき矢が「みえない」という設定は暗喩的だが、「精神の運動」として一行目から最終行までをただ「順に」書いてゆく石川淳は、小説に「構成」(≒指示表出)ではなく、換喩(=自己表出)をもちこんだ作家といえる。むろんその換喩が空間的な隣接性ではなく「精神の気合い」に拠っているのだから、石川淳の小説は、ロマン・ヤコブソンのいう意味での換喩性を実現しているわけでもない。

最後に、否定だけが像を消すのではないという確認のために、もういちど詩を俎上にのせよう。



【韮】
八木幹夫

にらの花はかなしい
にらの茎はおいしい
にらのにおいはくさい
にらの畑はさみしい
西日にゆれるにらの花

(『野菜畑のソクラテス』、1995年、ふらんす堂刊)



俗謡・童謡的なものが北原白秋や西條八十などへとつらなる系譜が、「現代的に」模されている。もんだいは、ここでの「にら」が可視的かということだ。「にら」の語が重畳したことで、じっさい「にら」は「像」の不可視性を帯びてくるのだが、貞久秀紀的な「自己再帰」はここにみとめられない。あくまでも叙述の「並列」だけがおそるべき単純さで実現されている。ということは、たぶんここでの「像」の消滅は、構文の仕組む構造にではなく、ただ音韻のみによっているのだ。

「聴覚映像」と訳され、いまはシニフィエ〔意味されるもの〕と呼びならわされているソシュールの概念をおもう(むろんそれは、視覚映像=シニフィアン〔意味するもの〕=概念と対立する)。言語学の学術性を無視すれば、音韻もまた疑似的な、しかし視覚化できない「像」をもつのではないか。「なめらか」/「ごつごつしている」、「あかるい」/「くらい」などの弁別は、聴覚的な音の舞い込みに経験的に存在していて、むろんこれが詩作の起動力のひとつになっている。

ということは、この八木幹夫の詩篇では、平明な叙述で一旦定位された「にら」の諸相が、聴覚映像(聴像)から抹消をほどこされ、像の可視性をうばわれたというべきなのではないか。ただしこの検討にはさらに時間を要するだろう。

ともあれ、この「像」の消滅を捉えなければ、この詩篇の根源的かつ生理的な「さみしさ」が読者に自己表出しない。ところがゆいいつ、この詩篇を指示表出的に捉える見方も存在する。全体を暗喩詩とみなす、というアプローチだ。このときむろん「にら」は「人間」の表象となる。それでもかまわない、という身軽な気概が、八木幹夫の選択した措辞にはあふれている。だからこれは「みじかさ」なのに、「みじかさではない」詩なのだ。それも「みえている」のに「みえていない」ことと精確に対応している。
 
 

スポンサーサイト



2013年05月17日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する