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へちまが見える ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

へちまが見えるのページです。

へちまが見える

【へちまが見える】

くだらないことがしたくなって心はするめ
草原のポポイー がこの足許を擽ってゆく
くろがねの帽子をかぶる頭で考えたのだ、
「二、三の風鈴が浅く沈む川は心なし深い」
せっくすをしようとべっどを両端で運び
森の手前を動く男女が一瞬風に掻き消えて、
辞書中に眠る万語を果物のようにおもった
映画だった 以後とりたてて言葉はない
優雅なブラウンの縦笛もとめ (古代)
この口がおちょぼに伸びるだけ
以後とりたてて言うことはない
キッスを憶いだしてこの口がおちょぼに

猥褻か否かを問われれば 「哀切」
作業工程中の浚渫もひじょうに重い
「犬の一杯いる坂って?」――「わんさか」
くだらないことが言いたくて心はうるめ
詩篇の一節に疣があったので撫でてやる
昔からそういうことが好きだ (古壁)
カツを褒める詩に古来、傑作はないなあ
皿の端にこそ串を並べるべきでは。
べらんめえで書かれた新説「ベラミ」
このくらいの洒落と春雨が必要だった
春の宵の口には――雨の酔いのうちには。
ダッシュして神棚の枇杷を奪取した

モノホンの貞操帯だよ、これは(ウワずる)
銀とはいえあっさりした紐状だったんだね
意外な結末は推理小説のみの特許でもなく
たとえば鈴木正子の影踏みのさみしさ。
食い込むものは食い込みをひりひりさせて
鈴木正子の足もまた影のなかへ沈んだ夕暮
ぼくらは唄う、ろーろーまいしゃどう
はーめるんが笛のように側溝を流れてゆく
七面倒を考えて必ず出現するヴィジョン
七面鳥に顔が七つある? べらんめえ
十一面童子が銀粉を振ってあげてるようだ
いずれにせよ季節の一節、ぬばたまの。

あれれ、ちゃんとベッドが置き忘られている
衣通姫と信長の森だったんだね、きっと
まぶしい白がそのシーツだとして
我国は白旗を国旗に掲げたかったのでは。
いやん いやんと ヴァイオリンの弓が
身震い中の気がして不謹慎に笑ってしまう
壬生類と呼ばれるもののふの中気あはれ
死ぬ前に脛骨をしゃぶりたくってなあ
くだらないものが食べたくて心はむすめ
誰しもに憶えはあろう、身は錆でしかない
唐傘をぐるぐる回し遠くの寺塔を見る
この場合すでに塔に「遠(く)」が含まれて

福間邸と伏魔殿は一見似ているが
奥さんのモツ煮絶品だった(ふと憶いだす)
あのころのわたし羸弱か強弱
いろんなドアを開け閉めしてきたものね
国立を七つ発ち 江ノ島を九つ発ち
「友達たち」を「友人たち」に変えろと
真心で告げたものだった。「言葉たち」不可
風の吹く場所を存分に歩いた
とうぜん朝立ちは俳句には適合する
《朝立ちやへちまの見ゆる狭き庭》
カバレロよ、煩悩はあと十年かあと百万円
ヒョータンヒョーロンカ クワレロ

瓢箪からコマの 「コマ」って何?
駒か独楽か狛か齣か 言うことが細かいな
「齦」は実際に見るのも字も怖い
確かに笑い方に問題のある少女性が増えた
くだらないとこを揉みたくて心はみるめ
川海苔の蒼いなびきで川水もより流れる
わたしは わたしに わたしを
そのようにしてデュランス川も流れれば
時たまの追憶にロンパリが泪する
霞むものあり――自叙の「最深」には。
わたしは わたしに わたしを。
いつだって膳では最後、鶉卵を取り置いて

《日が暮れて未知と牛》
牛たちの合同文集「秣ものがたり」如何?
肥満体は食事でぼろぼろこぼす
笑ってばかりいられない残酷がある
ひとつの遠くと 別の遠くが
かこーん、かこーん、で連動する
そのとき地上全体に埒を感ずる
痴情にもまた徒歩[かち]があり
妾宅行きにハイヤーを使わぬのが主義だ
そうして俤から重い影を解き放つ
軒下の若者めいて葉桜が揺れる
ヒョータンヒョーロンカ クワレロ

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2007年06月22日 現代詩 トラックバック(0) コメント(0)












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