「阿吽」第八号 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

「阿吽」第八号のページです。

「阿吽」第八号

 
  
土曜日に、北海道・北見が拠点、綾子玖哉(金石稔)さん主宰の詩誌「阿吽」第八号が届いた。その第一号では笠井嗣夫さんがぼくの『頬杖のつきかた』を絶賛してくれた、存続が嬉しい詩誌だ。

「阿吽」は同人誌ではない。編集部が書き手に毎回依頼して誌面を構成する硬派な「作品特集」雑誌だ。その「自由」度がすばらしい。だから書き手も小詩集とつながる連作形式で、字数・行数任意の依頼に意欲的にこたえている。ぼくも以前、「阿吽」の誌面を20頁以上、「占拠」してしまったことがあった。

びっくりしたのが「寡黙な」近藤弘文さんの詩が連作形式で大枚16頁にわたり、掲載されていること。松本秀文さんも相変わらず「阿吽」命、みたいで、こちらはもっと多い48頁の大作だ。

その他にも紙田彰さんの87年の未刊詩集が32頁、たなかあきみつさんのヨシフ・ブロツキイの訳詩集が26頁にわたり堂々掲載されている。

一篇単位の掲載にしても大作がそろう。平川綾真智さんの10頁、藤原安紀子さんの8頁、がそう。こういった大盤振舞だから、全体頁も200頁になんなんとする。これで定価千円は安い。安すぎる。

ぼくの掲載詩篇は「岸辺出し」というタイトルで、これは6頁の掲載。ネット未発表で、聯数の自由な二行聯詩という、現在の連作の端緒となった愛着ある作品だ。仮構=擬制形式で、ススキノで出会った女とのゆきずりの性愛をえがいている。わかるひとにはわかるかもしれないが、同時に過去(の方法)との訣別をしるし、ぜんたいに悲哀感が浮上するよう目論んでいる。

いずれ、この号の「阿吽」は5-10部、ぼくのもとに追加郵送される。いつもは詩の好きな学生に残部を配っていたけれど、この号ではほしいひと(詩作者)からリクエストをつのろう。メールください。

「阿吽」の誌面をみていると、最近の詩状況が「詩手帖」などとはべつのかたちにみえてくる。それぞれの詩は、上に言及しなかった高塚謙太郎さん、海東セラさんにしてもそうなのだが、モチベーションが「ことば」にあって、自分の身体の「記録」ではないようにみえる。そうなるとことばが壊れなければ、「詩を書くことの羞恥」が打開されてゆかない。だから詩作の原動力が自己破壊、それにある厚さと薄さの検証といったことになるのではないか。詩の現状に危機をおぼえずにはいない詩作者の、そういった気概がよくつたわってくる。

このなかで散喩ともいうべき書式にいつもつうじている藤原さんの詩篇が、とりわけさすがだとおもった。自分の詩篇も、彼女のように成熟しているだろうか。ご叱声を乞う。
  
 

スポンサーサイト

2013年05月20日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する