あすのプリント ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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あすのプリント

 
 
※先週にひきつづき、あすの国語表現法にて配布するプリント。またも保坂和志、カフカ、正岡子規の引用のみだが、読まれると各断章にひそかな連関をかんじられるとおもう。よろしければお読みください



国語表現法配布プリント【保坂―カフカ―子規】 
その2
 
 
●保坂和志『カフカ式練習帳』〔文藝春秋、二〇一二年〕より

 小動物と暮らしている人たちは必ず思う。子犬や子猫たちならなおさらだ。馬や牛や象のように自分より大きな動物でさえそうかもしれない。
 「天使みたいだ」
 しかし天使とは物質界の法則に従わない存在なのだから、時間の影響を受けない。人が「天使みたいだ」と感じる動物たちは人よりも強く時間にさらされている。生涯の時間の進みが人よりも速い。
 ならば私たちの天使は衰弱するのだ。私たちの目の前で、あれほど軽やかに跳び回っていた天使が、私たちを追い越して衰弱してゆく。
(一一六頁)
 

 
 通勤帰りの時間に郊外から都心に向かう逆方向とはいえ、午後六時の電車はつり革が半分以上埋まるほどに混んでいたが、電車が急に速度を落としてのろのろした走りになり、そのうちにいったんは停止してしまっても車内は苛立った空気にはならなかった。電車が運転を再開すると車内放送が流された。
 「さきほど線路内に犬が侵入し、しばらく電車の前を走っていたため徐行運転をいたしました。」
 笑いがもれ、電車は速度を上げていった。しかし、電車は高架を走っているのだった。犬はどこから来て、どこへ行ったのか。
(一二九頁)
 

 
 高校二年の土曜の昼、野球部、といっても軟式野球部だが、部員が校庭の隅の壁の前に五、六人で並んですわって弁当を食べていた。そこですでに早弁を済ませたレフトの高木がやって来て、ショートの成瀬の頭ごしにボールを壁にぶつけて、「早く食べろ」と催促し出した。壁にぶつかったボールがワンバウンドして高木のグラブに収まり、高木はすぐまたボールを成瀬の頭ごしに壁にぶつける。高木に急かされて成瀬はむっとしてわざとゆっくり弁当を食べる。私は成瀬と親しくなかったから成瀬の食べる速さを知らなかったが、わざとそうしているとしか見えなかった。だいたいなぜそこに私はいたのか。目撃するためにいたのか。
 高木はワンバウンドでなくツーバウンドしてグラブに収まる力加減で投げ出した。そのうち高木の投げるボールは山なりになり、弁当を食べている成瀬のすぐ目の前にバウンドするようになり、そしてついに壁に弱く当たったボールが成瀬の弁当箱に落ち、弁当が飛び散った。あわてて駆け寄る高木に成瀬は目を合わせず、「お母さんが朝早く起きて作ったんだぞ」とだけ言い、高木は顔をこわばらせて棒立ちになった。
 高木は一週間前に母親が亡くなっていた。成瀬はそれをどこまで意識して、その言葉を言ったのか。高校生の男がふつう口にしないはずの「お母さん」という言葉を成瀬は、高木に向かって使った。話はそれだけだが、成瀬が不自然な事故で死んだという報せを聞いたとき、私はあのときの真意を成瀬から聞けなくなったと思った。
(一三六~一三七頁)
 

 
 公園の猫たちに毎日夕方餌をやりに行っている妻が、
 「ホントに失礼しちゃう」
 とブリブリ怒って帰ってきた。事情を聞くと、ここ二、三日で、猫たちの口のきき方が急にぞんざいというか下品になったそうだ。
 今までかわいく控え目に「ニャオ……」と鳴いていたのが「ニャアオー」と脅すみたいに催促する鳴き方になったとか、妻が缶詰の中身を皿に出すのが待ちきれずに手を出して引っ掻くようになったとか、そういうことだろうと思ったら、
 「ひとみって呼び捨てにしたのよ」
 と言う。
 「まさこが呼び捨てにしたと思ったら、よしひこなんかババアって言うのよ」
 「頼むから、おれに言うときは“三毛のまさこ”とか“茶トラのよしひこ”とか言ってくれないか?」
 「なんで?」
 「柄をつけてくれた方が猫って理解しやすいだろ?」
 「いいけど、まさこは白でよしひこは黒トラよ」
 「わかった。
  それで『ババア』っていうのは、どういう鳴き方なんだ?」
 「だから『ババア』よ」
 「ニャアオオか?」
 「バカねえ。『ババア』は『ババア』よ。
 『ババア』って、あたしに言ったのよ」
(二一八~二一九頁)
 

 
〔…〕
以前、ある仏教学者が言った。
「インドではそこらじゅうにヨガの行者がいるんです。食べ物はいったいどうしているんだろうと思って、私は見てたんですよ。そうしたら、行者の前にポンと、人が食べ物を投げるんです。
 日本でもお地蔵さんには必ず何か食べ物がお供えしてあるでしょ?
『あ、あれと一緒だな』って、私は思いましたね。でも、食べ物が行者からちょっと離れたところに落ちた。一メートル、いや一・五メートルくらい離れてたでしょうかね。手を伸ばしても届かない。
 どうするのかな? と思って見ていたんですが、行者し知らーん顔してる。
 ところが、私がちょっと目を離した隙に食べ物が消えてて、行者が口をもぐもぐやってる。私は何人も見たんですけど、一度も食べ物を手で取る瞬間が見れなかった。
 あれは変でしたねえ。」
(二四一~二四二頁)
 

 
 ぼくの夢はいつか地球が人間が猫の寿命になって猫が人間の寿命の星になることだ。
 猫は八十年くらい生きて人間は二十年くらい生きる。人間は猫を家族で代々飼うのを伝える。自分が生まれたときに猫がかりに十歳くらいだとしたら僕が死ぬときに猫はまだ若いさかりの三十歳だ。僕が死ぬのを猫は暖かいような少し無関心のような眼差しで見送る。二十年しか生きないということは当然いまの四倍のスピードで人間は歳をとるから、人間は五歳で大人になる。人間の動きは今の人間より四倍とはいわないがだいぶ早く、猫の動きは今の猫よりもだいぶ遅いかもしれないが、猫だからやっぱり人間より素早いのかもしれない。
 〔…〕
 八十年も生きるのだから、猫は二十年か三十年は同じ場所にいる。今、僕の家のお向かいの家の玄関の上の小さな屋根が張り出しているところに昼間は毎日必ず、うちで「キナコ」と呼んでいる猫がいる。猫の寿命が八十年になると、キナコはきっと、僕がよちよち歩きのときから歳をとってよぼよぼ歩きになるまで、お向かいの玄関の上の張り出した屋根の上で僕のことを見ている。
〔…〕
(二四九~二五一頁)
 

 
〔…〕
――彼は自分の中に、泣こうとしている傷ついた少女がいるのを感じた――苦痛で泣くのではなく、さらに危害を加えようとする人物をなだめるために泣くのでもなく、貧者を見捨てる町の冬の通りに放り出されることを恐れるかのように泣くのだ。
〔…〕
(二七三頁)
 

 
 
●岩波文庫『カフカ寓話集』〔池内紀・訳〕より

【使者】(全篇) ※六三頁

 王となるか、王におつきの使者となるか、選択を申し渡されたとき、子供の流儀でみながいっせいに使者を志願した。そのため使者ばかりが世界中を駆けめぐり、いまや王がいないため、およそ無意味になってしまったお布れを、たがいに叫びたてている。だれもがこの惨めな生活に終止符をうちたいのだが、使者の誓約があってどうにもならない。
 

 
【小さな寓話】(全篇) ※六四頁

 「やれやれ」
 と鼠がいった。
 「この世は日ごとにちちんでいく。はじめは途方もなく広くて恐いほどだった。一目散に走りつづけていると、そのうち、かなたの右と左に壁が見えてホッとした。ところがこの長い壁がみるまに合わさってきて、いまはもう最後の仕切りで、どんづまりの隅に罠が待ちかまえている。走りこむしかないざまだ」
 「方向を変えな」
 と猫はいって、パクリと鼠に食いついた。
 

 
●カフカ『夢・アフォリズム・詩』(平凡社ライブラリー、吉田仙太郎・訳)より

 ほんとうに判断を下せるのは党派だけである。しかし党派である以上、党派は判断を下すことはできない。そのためにこの世には判断の可能性はない、あるのはただそのほのかな照り返しだけである。
(一〇二~一〇三頁)
 

 
 独身生活と自殺はよく似た認識をもっている。自殺と殉教死はまったく違う、結婚と殉教死は似ているかもしれない。
(一〇三頁)
 

 
 信ずるとは、自分のなかの〈不壊なるもの〉を解放すること、より正確には、自分を解放すること、より正確には、不壊であること、より正確には、〈在る〉こと。
(一〇五頁)
 

 
 天空は沈黙している。ただ沈黙している者に対してだけは、こだまを返す。
(一〇六頁)
 

 
 〔…〕罪の原因となるものと、罪を認識するものとは、同一である。〔…〕
(一一〇頁)
 

 
 嘆き――もしわたしが永遠に存在することになったら、あすわたしはどうなるのだろう?
(一一二頁)
 

 
 われわれの課題が、ちょうどわれわりの人生とおなじ大きさであることが、その課題に無限性の外観を与える。
(一一二~一一三頁)
 

 
 認識は、われわれがすでに持っているものである。ことのほか認識を得ようと努力する者は、認識を得まいと努力しているのではないかと疑われる。
(一一五頁)
 

 
 堕罪に対しては、三つの刑罰の可能性があった――いちばん穏やかなものは、事実上の刑罰、すなわち楽園からの追放。
 二番目は、楽園の破壊。
 三番目は――これがいちばん残酷なものになっただろうが――生命の木の隔離、そしてその他のものすべての、変更されることのない放置。
(一一六~一一七頁)
 

 
 すべての責任が君に課せられると、君はその一瞬の機会を利用して、責任の重さに屈服してしまおうとすることもできる。しかしそうしてみたまえ、君は気づくだろう、君にはなにひとつ課せられてはいなくて、君が責任そのものなのだということを。
(一一八頁)
 

 
 
●正岡子規『仰臥漫録』(岩波文庫)より

 長塚より鴫〔しぎ〕三羽小包にて送る由の報来るその末に
 
昨今秋もやうやうけしき立申候 百舌も鳴き出し候 椋とりもわたり申候 蕎麦の花もそろそろ咲出し候 田の出来も申分なく秋蚕〔あきご〕も珍しき当りに候

とあり田舎の趣見るが如し ちよつと往て見たい
〔…〕
夕飯後鴫の小包到着 三羽一くくりにしてあり

淋しさの三羽減りけり鴫の秋

(五五~五六頁)
 

 
【『仰臥漫録』中の「蚊帳」句】

病人の息たえだえに秋の蚊帳

病室に蚊帳の寒さや蚊の名残

秋の蚊の源左衛門と名乗けり

秋の蚊のよろよろと来て人を刺す

残る蚊や飄々として飛んで来る

(六〇~六一頁、一部表記変更)

筆も墨も溲瓶〔しびん〕も内に秋の蚊帳

(七二頁)

二つ三つ蚊の来る蚊帳の別かな

蚊帳つらで画美人見ゆる夜寒かな

(八〇頁)

寝処をかへたる蚊帳の別かな

痩骨〔やせぼね〕をさする朝寒夜寒かな

(九一頁)

●正岡子規『病牀六尺』(岩波文庫)より

百二十五 〔※一八四~一八五頁〕

○足あり、仁王の足の如し。足あり、他人の足の如し。大磐石の如し。僅かに指頭を以てこの脚頭に触るれば天地震動、草木号泣、女媧氏〔じょかし〕いまだこの足を断じ去って、五色の石を作らず。
(九月十四日)
  
 

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2013年07月10日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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