竹がない ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

竹がないのページです。

竹がない

 
 
竹の北限地は本州にあり、したがって北海道には孟宗竹の藪がない。すずやかな笹鳴りもない。孟宗竹は日本自生ではなく中国大陸からの移入。日に一メートルものびるそれは、土地の結界づくりにももちいられ、風景を翳らせてきた。すさまじい成長力は、竹藪のそばに建った家の畳を、ゆかから突き破るともいう。ぼくの母親は庭木にしてはいけないものに、いちじく、さるすべりとともに竹を挙げていた。竹の戦慄、というものがあるのだ。

札幌の景色の「アジア離れ」のひとつは、竹の不在によるかもしれない。翳りのない眼路の平坦。ぎゃくに都内の住宅地ではまがりくねった道のかどにとつぜん竹藪がみえて風景に強調がほどこされる。竹は樹木ではなく艸だ。それも怪物的な。そこだけなにかべつのものが青い。だから朔太郎の詩はあり、松岡政則のいう艸のひともいる。身近な分類不能性として竹はそよいでいる。復活後の谷川雁は、東アジアは黄=黄土の定着性・停滞性と、侠気の青=刺青の不測的流動性、それらの対立・交響だと喝破したが、その青は刺青のみならず竹のそれでもあるだろう。

大火にあって竹は焼尽するだろうか。焦げるだけではないか。それで木立よりもさらに、竹藪がひとの群れに似ているのではないか。竹は籠になり笛になり竹刀にもなる。そのこどもは食用に供すべく探される。筍の狩場は山中にあって秘密だ。だれでも竹の断面を知っている。空洞が実質。竹は反物質の悦びといえる。詩歌にひつような結節も竹はもつ。切字のあつかいが見事な俳句に、ひともとの竹をながめる気分がおこる。

ぼくのそだった鎌倉の家には忌まれるべき植生ながらさるすべりも竹もあった。親父が勝手にじぶんのこのみを庭師へこっそりつたえたのだ。父母は離婚し、その家は手放された。家のなかには足裏から健康を恢復する道具として、縦に半分に割った竹が置かれていた。それをよくはだしで踏んだ。親父の部屋には竹と虎を画題にした軸が置かれていた。それら竹の不吉さに感覚を涵養された気がする。いまは北海道に住んで、それらを眼にしない。眼にしない自覚はなかった。院生に「北には竹がない」と教えられ、じぶんをとりまく異調におもいいたったのだった。
 
 

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2013年07月14日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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