メモ ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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メモ

 
 
ひとに教えるとはあやういことだ。

了解のとりつけのためには、興味をいだかせる展開が要る。ということは教示内容とともに、時間の形式をも教示しているのだ。教示内容をさまざまな機会に反復することは反感を買う。ということは、反復は、変容の色彩によって隠さなくてはならない。

提供者と享受者が「ともにかんがえること」が極上のかかわりだとしめす必要もあるが、いつまでも相手が了解にいたらないときには自分の無力とともに世界の無力にもそめられる。その意味で、教えることはいつも、「諦念を克服しなければならない」という諦念につながっていて、そういう憂鬱をも教えなければならない。むろん教えられない非力を、教師が生徒に教える逆説も、教えの裏がわには膚接している。

きみはひとりだ、と告げること。それはひとりでは構成されない世界にきみがひとりで投げだされている痛みを愉しむことだ。

だから教える順序も以下のようになる。一、内容。二、展開。三、痛み(孤立)、四、余裕(連帯)。最後にかたられるべきが、五、救済の意味、だろう。知らなかったことをかんがえはじめたという事態は、生徒の自己のみならず教師をも救済する。そういうちいさな救済でながれる時間が填められている。だからこそ「みんな死ぬ」という定理も満尾するのだ。

これらのことはじつはすべて偶有性において複雑で、教えは日々の転変に満身創痍になるしかない。そこには万全堅固なものなどなにもなく、教えるひとの色彩もそれじたいをとらえられない中間色しかしていない。これは教えにともなう必罰で、そういうことがあやういのだ。
 
 

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2013年07月16日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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