メモまたもや ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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「水はぬれているWater is wet」「火はもえているFire is burning」といった、意表をついた意味上の再帰的構文を、「空気」を主語にしてはつくれない。ふとおもいつくのが、「空気は呼吸しているAir is breezing」という構文だが、そこでは「なにもないこと」を統括し物質化し流動化するなにかが、空気の内側に暗示されてくる。そういうのが空気の特性だ。詩を書いてゆくと行ごとにつくりだしている理路が円満し、これで一篇を書き終えるという導きが生ずる。そうなれば整えればよい。これはたんに「Water stops flowing」「Fire stops burning」ということのできる原質に詩作が忠実だったことをあかすだけだ。ところがやはり「空気」はこうした言い方にけっしておさまらない。おさまらず、ととのえることができないものが空気で、それはそれじしんをみとめさせないことで場所や時間をみさせている、超越的な持続というしかない。「水の詩作者」「火の詩作者」は数多い。「空気の詩作者」はまれだ。それでも数人はいて、そのひとたちが畏れをおぼえさせてやまない。
 
 

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2013年07月19日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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