昨日今日 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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昨日今日

 
 
きのうは休みやすみだが、ほぼ一日、「現代詩手帖」用の原稿を書いていた。岡井隆さんの歌集/詩集同時の「現代詩文庫」発売にからめて、特集「詩型横断」が企画されていて、ぼくは短詩形と換喩詩学をあわせて考察するよう依頼された。思案のすえ言及を俳句に固定、素材としては正岡子規と敬愛する安井浩司とをつないだ。

原稿があいかわらず大幅に字数超過しそうな雲行きに、きのうの昼時点でなったので、K編集長にSOS電話をする。上限20枚だったが、30枚くらいまでなら大丈夫ですよ、といわれ安堵、けっきょく原稿も、安井浩司の紹介が嵩張って、30枚ちかくにまでふくれあがってしまった。

リキを入れる原稿がなぜかいつも30枚になってしまう体感があるようだ。「ユリイカ」での往年の執筆感覚がからだにのこっているのかもしれない。自分の「勤勉さ」もかんがえる。特集原稿はつい「仕込んで」しまう。書き方は――情報展開をできるかぎり圧縮しながら、それを円滑化するながれ、修辞をつくってゆく、というものだ。これが基本的に自分にとっての「書くこと」なのだから、なかば確信犯的に「仕込みすぎて」しまうのかもしれない。

原稿は、「俳句、驚愕をつなぐ声の力 ――正岡子規と安井浩司と」と題した。今年度中に出さなければならない『換喩詩学』の冒頭ちかくを飾る一篇という位置づけが編集部にもぼくにもあって、「換喩」をどうとらえるかについても、作家論の部分以外で多元的にしるしてある。むろんこういう原稿は引用箇所をどう決定するかが勝負で、そのために子規の小説以外の岩波文庫、安井浩司の著作を、意をかたむけて再読した。自分のこやしにもなったとおもう。

俳句を読むのは短歌を読むより心地よいかもしれない。けれどもつくるのは下手だ。子規を読むとその理由がよくわかる。月並から逃げようとしたときの無理筋がたたるのだ。子規の傑作俳句は、じつはぼくのいうところの「減喩」によっている。曖昧に書くことの魅惑は最近のぼくの詩作をもつつんでいるが、俳句は十七音の見渡ししかないために、つい、語どうしの照応がみえてしまう。そこを残酷に機能不全にしないと、驚愕に感慨がとけこむ怪物的な幽玄句ができないだろう。もっと勉強しなくては。

きょうは、オープンキャンパスで、学校へ。訪問するかしないかわからない進学希望者のため、研究室で待機をしいられる。去年はだれも来ず、読書をつづけただけだった。今年もおなじだろう。そのために、今日は詩関係を携行してゆく。大橋政人さんの、遅れて到着した往年の詩集、待望・水島英己さんの新作詩集、「現代詩手帖」の最新号などなど。プレッシャーもあった〆切をクリアしたので、本日は詩でひさしぶりに仙境にはいってみたい。
 
 

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2013年08月05日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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