つぎの詩集
昨日の夜は「詩手帖」の亀岡編集長と、詩集ゲラを受けとりかたがた浅草で呑んだ。夏バテのままの過労で一部に健康を案じさせた彼だけに、炉端焼のカウンターでぼそぼそ話す感じがとてもよかった。
編集者と作者が、当該作者の話題をすることは、人世冥利につきる。亀岡さんの発言でとくにおもしろかったのは、「阿部さんの詩集は書評がすごくむずかしい」という指摘だった。書評をしるすにあたって焦点がさだめられない。それというのも、明快を表面的に印象させても、奥行きが何層もあることが如実につたわり、一種、底知れないその感覚が書評者を畏れさせるからだ、という。しかも基体となっている創作上の詩論が、変貌性を秘めていて単一視できない。それは阿部さんの最近しるす換喩詩学が、明快なのにやはり難しい点と軌を一にしている、とも指摘してくれたはずだ。
話題になっているのは、去年暮れ、思潮社オンデマンドで出した『みんなを、屋根に。』。そういえば、ぼくの詩集は送られてきた礼状でも褒め筋がかぎりなく分岐する。松岡政則さんのものには「荒川洋治に対抗できる詩集」といった一言があったはずだ。瀬崎祐さんは「悲哀」の感覚を称賛してくださった。貞久秀紀さんには「詩の瘤」という概念をぼくの詩集から見出していただいた。「詩手帖」に載った書評では、震災詩が震災前に書かれ、震災後にはそれが途絶する構造の不可思議を、江田浩司さんに見抜いていただいた。
しかも特別な佳篇と太鼓判をくださる詩篇が、それぞれで見事に異なっていて、この傾向はその他のかたがたでも同様だった。海東セラさんでも、期末レポートの余白に詩集の感想を織りこんでくれた某・北大生でも。ようするにそれぞれのかたの意見を綜合しても、「阿部像」が定まらないのだ。なかなか自分が不安定な場所にいるなあ、と妙な感慨をもつ。それが、賞と無縁なぼくの詩作位置を象徴しているかもしれない。
まあ私事を措くと、亀岡さんへはぼくのほうから、「詩手帖」の未来を提言した。とおからぬ未来に「詩手帖」は「戦後詩」世代のバックアップをうしなう仕儀になるだろうが、そのときのために詩は独善を捨て、「読んでつたわる」詩へと回帰し、読者をとりもどさなければいけない。それでないと「詩手帖」がつぶれる。そのための「誘導」が必要なのではないか。だからたとえば「アイドル」の場所にみずからを置こうとする文月悠光さんなどが現象的な逸材なのだ、とぼくは語った。編集長はこの発言ににこやかに応じた。たしかに「難解派」はいま詩集の売れ行きがわるいと補足もしてくれた。
そんなこんなで、今日は読書やフェイスブックへのポストかたがた、自分のつぎの詩集(これも思潮社オンデマンド)の校正をおこなう。詩集の校正が自分の詩作の最終判断となり、緊張もしいられるが、これほど愉しいこともない。判断ポイントはいつもおなじだ。○読んでいて疲れないこと(自分のリズムや縮約性で書いているのだからこれは当然のようだが、気張っている詩は阻害要因となる)。○読了後に爽快感やふかい余韻ののこる構成になっていること。それと、これがいちばん大事なのだが――○自分が書いているのに、他人が書いた感触があること。自分の癖や「独善」の峻厳な追放があったかどうかがそこでわかる。むろんぼく自身の記憶力がわるく、書いたことを忘れるから生じる判断基準でもあるのだが。
とりあえず校正してみての自己判断は「是」。自分でいうとバカみたいだが、「いい感じ」だった。完全入稿主義のぼくの校正紙はいつもきれい(編集者もラクだ)。ワープロ的な略字を正字にかえる直ししかない。ただし一箇所、語句の重複を改めた。
そのぼくの思潮社オンデマンド詩集のタイトルは「ふる雪のむこう」。初めての札幌で体験した「雪」のみを主題として扱っている。立脚の共通性は主題だけではない。型式的にもすべて二行聯が五つの作品で構成されている。去年の十一月から今年三月までになした連作をまとめたもの。方法としては、ぼくのいう「減喩」が駆使されている。順調に行けば、廿楽順治さん、近藤弘文さんの新詩集とともに、今年九月に出るはずで、不確定要因はそれぞれの表紙デザインのみということになるだろう。
そういえばこのあいだ、柿沼徹さん、廿楽順治さんと八重洲~日本橋で呑んだとき、そのぼくの『ふる雪のむこう』が話題となった。なにしろ全篇が「2*5」のスタチックな形式でまとめられているので、石田瑞穂さんのこないだのH氏賞詩集の二番煎じとおもわれないか心配だとぼくがいうと、廿楽さんが「そんなこと、絶対にないって」とわらったのが印象的だった。廿楽さんも、ぼくの詩業のつかみがたさをいおうとしていたのかもしれない。