オンデマンド詩集の個人収支 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

オンデマンド詩集の個人収支のページです。

オンデマンド詩集の個人収支

 
 
【オンデマンド詩集の個人収支】

以前にも書いたことだが、オンデマンド詩集を出す場合、寄贈がもんだいになる。

たとえば、前回ぼくは思潮社オンデマンドで『みんなを、屋根に。』を出したが、このとき制作にまつわる自己負担は20万円という事前約束だった。内訳は「デザイン費+編集費」で、じっさいはこのふたつが介在しないと、オンデマンド詩集が陳腐なものになったり自己批評性をもたないものになったりするから、プロのデザインと編集は絶対必要条件だ。

しかも思潮社オンデマンドのメリットは、その編集費に、ブランドの名貸し料と、「現代詩手帖」での自社広告料もふくまれていることだ。思潮社がそうしているのは、オンデマンドによる詩集出版に、やはり「詩壇」改変にむけての可能性をみいだしているためだとおもう。

ところで、自己負担は、従来の100頁A5判300部の詩集を、通常の取次径路で出せば100万円というのが相場だった。だからオンデマンド詩集はその点で五分の一の廉価となる。

オンデマンド詩集を寄贈するばあいはどうするか。1)自分でアマゾンから大量購入する。2)それを郵送費と手間の自己負担で郵送する。――こういった古典的なかたちしかとりえない。

贈呈費用はどうなるか。一冊1500円のものを200部謹呈するなら、まず自己買い上げ料が30万円。通常の書籍小包だと一送付あたりの単価は210円だから、郵送費負担も4万円を超えてしまう。製作負担20万円の詩集の謹呈費用が計34万円で、「製作費<詩壇社交費」という深刻な逆転が生ずることにもなる。これではオンデマンドで詩集をだすメリットがきえる。それで、廿楽順治さんのいちばん新しいポストのように、「買ってください」とひたすらお願いをするわけだ。ぼくじしんも寄贈先を、ネット適性のひくいと見込まれる年長の恩人にのみ、しぼることになる。

詩壇特有の、寄贈と評価の「互酬制」はどうなるか。それについては遅効性をかんがえればいいのだとおもう。たとえばぼくが出す――それをあるひとがネット注文する。そのあるひとがオンデマンド詩集を出す。それをぼくが買う。そこで必要になるのは詩作への本当の信頼のみしかない。詩壇的な政治意識はそこできえる。

むろんひとが買いやすく価格も設定されている。通常の詩集の価格設定は一頁20円ていどが主流だが、思潮社オンデマンドでは半額の一頁10円に設定されている。しかも簡単なネット注文で迅速に指定先に届く、いう利便性も加わっている。だから「買ってもらいやすい」わけだ。

価格が安くなる理由は、書店売りの詩集とちがい書店の棚で競合しなくていいから、デザインを簡素にできる点がまずひとつ。注文されたときが買われたときだから、他の誘導要素――オビも栞も要らない。これも低廉化の条件だ。製本そのものの簡素化もある。ペイパーバック装がそうして選択されている。あるいはおおきな%収入を得る取次の経由のないことでも、価格設定の引き下げが実現した。むろん詩集は一部例外の詩作者をのぞき書店ではほとんどうごかないから、「書店をはぶく」ことにはそれなりの必然性もあるのだった。そのかわりにネット告知などが要る。

従来のように、十年にいちどくらい通常形式の詩集をつつましく出せばよいではないか、という意見もあるだろう。ところが詩篇が量産されてしまうぼくには、とてもそのペースがかんがえられない。もともとは長生きするとおもっていたのだが、気候のきびしい寒冷地へ単身赴任となって、健康保持もガタガタ、長生きを常識的には見込めなくなってきて、毎日が「末期」となった。だから詩が「出てきてしまう」ときには、それにしたがうだけだ。詩集単位でいえばそれで手法別(定型別)に、詩集をつぎつぎ自己編纂することになる。そうなると詩集ひとつひとつの自己負担を低減してゆくしかない。このながれが、いつまでつづくかはわからないが。

とりわけ岡井隆さんの影響のつよいぼくは、あるときから「日録」という形式で詩を書きだして、詩が増殖してゆくことになった。これはぼくだけのもんだいではなく、詩が、「暗喩的戦後」から「換喩的現在」へと軸足を移している証左だともおもう(これについては今度、通常の出版形式で出す『換喩詩学』にもっと理論的に書いた)。そのながれのなかにこそ、ぼくもいるのだ。

思潮社オンデマンドのこれまでの面子をみると、ネット適性のたかい詩作者ばかりという特徴に気づく。とりわけ、高塚謙太郎、廿楽順治、近藤弘文、ぼくの四人は旧ネット詩誌「四囲」の同人だった。今後もべつのネット適性のたかい詩作者が、詩集のオンデマンド化に踏み切るのではないだろうか。

むろん、詩集一冊の価値は、読まれたときに、充実感とともに不可思議な不足感をおぼえ、ついつい再読してしまう体験反復性にある。つまりCDにちかいものが詩集にはもとめられている。だから音韻が大事だし、ぎゃくに目詰まりがくるしい。読まれて達成感をあたえつつ、以後は自宅の書棚に厳めしく鎮座したまま再読されない、といった、恫喝型の詩集は、オンデマンドの本義からはずれているとおもう。かるさのなかでネット注文され、かるさのなかで再読され、一読ごとにちがうものが「つたわり」、そのペイパーバックの簡易な造本が手に何度も馴染む、というのが理想ではないだろうか。

まあぼく自身そのように馴染まれるように、詩集『ふる雪のむこう』を、『みんなを、屋根に。』につづけて考案したつもり。オンデマンド詩集の触感を、眼と脳と手、それに、のど奥の共鳴可能性でためしてみたいというひとは、ぜひ購入していただければ、と、やはり廿楽さんどうよう呼びかけるしかない。


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2013年10月01日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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