草森紳一さんが亡くなった
草森紳一さんが亡くなった。
享年70歳、死因・心不全。
あれだけ締切破りの遅筆で
あぶない原稿書きの橋を数多く渡ってきたのだから
つまりストレスフルな評論家人生を送ったはずなのだから
これは天寿をまっとうしたといっていいのではないか。
つい、相手の懐ろを読み、ストレスフルと書いてしまったが
草森さんの文章自体は発想力や飛躍に富み、
いつも唖然とするほどの柔らかさで
困難な本質を言い当てる抜群の筆力をもっていた。
僕が最初に彼の本を買ったのは、
『九蓮宝燈は極楽往生の切符』だった。
書名どおり麻雀にたいして考察を繰り返した本で
高校~大学初年まで麻雀に狂っていた僕は
何の気なしにそれを買ったのだった。
びっくりする。
麻雀の成立から中国的な卓上遊戯の数々まで
大室幹雄さんが書きそうなことを
効率的にさらりと展覧しながら
同時に当時の「話の特集」人脈で
自分がデカい振込みをした話なども臆面もなく書いて脱力させ、
かとおもったら「ツキ」に対する考察では
どこかチェスタートン=イギリス的な知性も揺曳しだす。
ぬらりひょんとしてつかめない。
それがすごい魅惑になっているのだった。
加藤郁乎の書評集『旗の台書見』に
草森さんの『日本ナンセンス画志』の書評記事が載っていて、
あの怪物ですら博覧強記と草森さんを褒め称えている。
それで大学生の僕はどこか臆し、
結局、草森紳一の本を古本屋で見つけるたびに買いだしたのは
いまから15年ほど前だったとおもう。
西荻窪にできたてだった「スコブル舎」で
大量の草森本が並べられていて、
それで女房の許可をもらい、大人買いしたのだった。
店主がその買いっぷりに瞠目している気配が伝わってきた。
周知のように、草森さんの本はノンジャンル。
おもいつくままに書いてみると、
江戸文学、江戸意匠、中国古典漢詩、三国志関係、
団地の遊園地考察、散歩、写真、イラストレーション、
女性のエチケット、アンリ・ルソー、イギリスのノンセンス、
ナチスのプロパガンダ、明治元勲の書道、永井荷風、
江戸の古地図、マンガ、日中の食客制の比較、土方歳三、
TVコマーシャル、図像学、日本人の嗚咽、詩、春画
など、著作と興味の圏域は異様な多岐にわたっている。
一行にかけられた元手が高いとはよくいわれることで、
下手すると一行一行の奥に
一冊一冊の本が伏在しているのではないか。
最近では河内紀や堀切直人が
この境地に近づこうとしている。
ノンジャンルスタイルへの僕の憧憬は
最初は平岡正明が火をつけたが、
それを確定したのが、草森紳一だった。
以来、僕の出す本も結果的にノンジャンルの集積となった。
名前をあげた人たちは実は博覧強記だが
逼塞感はすべてない(いや、堀切さんはちょっと慷慨調か)。
そのなかで草森さんはとりわけ文体が柔らかく、
しかも「自笑」の気分には東洋的な余裕もあって
読書の幸福感を導いてくれた。
編集者時代の村松友視が
草森さんの原稿を依頼しようとしたが、
ついに果たせなかったエピソードを
坪内祐三が書いていて、
その村松さんにより、草森さんへの形容「凄玉」を
教示された、というくだりが心に残っている。
草森さんの書く原稿は元手がかかっているのだから
エピソードもすごく豊富なのだけど、
不意に原理的な本質に迫る遠近変換装置もある。
「円」とは東洋ではこんな連絡をしているのか。
「三角」とはヨーロッパではこんな系譜をもつのか。
東方朔の本質はこのようにとらえればいいのだな。
食客をつくりだした東洋の共同体は
老荘的でありながら実に機能的ではないか。
書道の「跳ね」とはこんな存在論なのか。
ヤクザの起源とはこれだったのか。
表現の局面局面に現れる虎縞は東洋的な鋭気だな。
日本人は昔は政治演説会で演者も聴き手も号泣していたが
それは音声主義と根深くからまっていたのか。
――さらりと書かれたそれらの分析が
一々、腑におちて、こちらの身が灯ってくる。
本当に素晴らしい書き手だった。
永代橋を見下ろすマンションの一角にずっと住んでいた。
散歩と写真が趣味。
『円の冒険』という名著があるからというわけではないが、
草森さんの写真テーマには
木の根元で昼寝している人を盗み撮りする、
というものがあった。
陽だまりに坐って白河を漕いでいるひとと
そのひとの頭上に聳えている樹木が
全体でピラミッド型となり、
ピラミッドパワーがその眠りのなかに刻々入り込んでいる
という分析があったが、
内実は「円寂」というものをそこに見て
感入していたのだとおもう。
草森さんはひとの後ろ姿も盗み撮りのテーマにした。
エドワード・ヤンの遺作映画の少年みたいだが、
永田耕衣的な後ろ姿の寂滅をやはり感知していたはずだ。
雲が何かにみえる姿(かたしめし)も写真に撮り続けた。
アニミスティックな感応の天上化。
自分の躯が地面に投げかける影もいつも捉えた。
世界内での位置を愉しむ「少年」がそこにいる。
「少年」はそういえば、
エロチックな小説『鳩を食う少女』も書いた。
歩行渦中の草森紳一に出くわしたことがある。
神保町の古書街だった。
長身にして痩身。ぼさぼさした白く艶のない長髪。
紙袋を両手に提げている。意外に顔色が黒い。
「レゲエおじさん」度が高い。
顎鬚がしょぼしょぼ山羊みたいで、仙人ぽいのだが、
スリムジーンズにつつんだ足は大股でかつかつ歩いている。
洒落た茶色のスポーティな革靴。
眼の前を通り過ぎたその数秒は幻だったのだろうか。
青土社で一時期「草森番」だった郡淳一郎は
草森さんは神保町を利用しないんですけどねえ、と言った。
たぶん信頼できる古本屋とじか契約して
テーマ別に大量買いをしていたのだとおもう。
慶応の中国文学科に在学のときから
年齢不相応の漢籍の知識に教授連が驚嘆して、
草森さんは院への進学を切望されたのだが、
あっさりとその階段を下り在野して
手始めにやりはじめた仕事が婦人雑誌の編集だった。
鈍色の研究からカラフルな世界へ。
職業柄、ということもあったのだろう、
横尾忠則、さまざまなマンガ家、
イラストレーター、写真家との付き合いが開始され、
インタビューだったかで手塚治虫に気に入られ
『COM』でのマンガ評論が花開き、
竹中労が来日したビートルズの懐ろに入り込めず、
日本の警察管理に問題をズラしたそのとき、
ビートルズの滞在するホテルの部屋に入って
インタビューする光栄に浴していたのも草森さんだった
(星加ルミ子だけをいうのは間違っている)。
このような若い時分のカラフルな仕事が
以後、江戸・中国といった専門域の仕事にも
色彩を与えたとおもう。
だからたとえば中国を論じて
中野美代子的な重い肉弾接近がない。
飄々としていて、それは
中野美代子の弟子、武田雅哉の仕事に先駆するものとなった。
一度、正式に会っておくべきだったな、と少し残念だ。
チャンスは二度あった。
何かの映画評に草森さんの一文を引用した。
それを「草森番」郡君が、草森さん自身に見せると
ご本人が「このひとに会ってみたい」といったという。
それと拙著『実戦サブカルチャー講義』の最終章では
草森さんの奇妙な「写真行為」を大々的にフィーチュアした。
草森さんと面識のある編集の西口徹が草森さん自身に伝え
このときも「会ってみたい」という反応がつたえられた。
「ぜひに」と僕自身が積極的になれなかったのは
むろん仙人の域に達した「知の巨人」との直面を恐れたためだ。
草森さんは80年代半ばまでは馬車馬のように書いていた。
それで腱鞘炎が持病だったはず。
たとえばこのころの写真評論はのち
『写真のど真ん中』という本にまとめられるが
人も喰う草森さんらしく、
それらは「非表現写真」の考察でまとめられている。
ぜんぜん「ど真ん中」ではない印象が最初に立って、
では「写真のど真ん中」とは何か、の考えにいたり、
それはうら寂しい非人称的な視線のことだと思い至る。
しかし実は70年代の草森さんには
「写真表現ど真ん中」の評論が数多くあった。
たとえば最初に江湖に問われるはずだった「篠山紀信論」も
結局、出版化されなかったのだった。
草森さんの本は判型が自在だ。
小ぶりで可愛い本も存在する一方で、
異様に大判の派手な本もあり、
それらにはブックデザイナーとしての横尾忠則が結託していた。
『江戸のデザイン』『素朴の大砲』。
この巨大本というのは、晩年も量産した。
『北狐の足跡』『荷風の永代橋』『あやかり富士』。
書道本の『北狐の足跡』などは何部刷られたのかわからない。
そういう本の存在は知っていたが、高価だったためか
どんな大型店でも見かけたことがなく、
郡君などと「幻の本なんじゃないか」と笑いあっていたものだ。
それをサイト「日本の古本屋」で
ついに見つけたときはびっくりした。
ともあれ本がどのような姿をとるべきかの見切りが
通常人とはまったくちがう。
東洋的巨人だった、ということだろう。
そうした巨大本と
「草森方式」と呼ばれるものがかかわっている。
草森さんがある雑誌特集に書く。
それだけで大した分量なのに、
それは中途で終わってしまっていて、
「次号完結」と末尾に示される。
一種の特例措置だろうと読者は考えるが、
「次号完結」はその後も延々と続き、
実際は連載と謳われていないのに
連載が永続というに近い状態で続いてしまう
――これが「草森方式」。
担当編集者の胃袋には穴が開くだろう。
雑誌文化が沈滞して、
草森さんが編み出した奇策だとおもう。
けれどもそうして、
『食客風雲録』『荷風の永代橋』などが生まれた。
と書いて気づく。
「草森方式」で気絶的に長い時間、「文学界」に連載された
「副島種臣の中国漫遊」はその死後、単行本化がなるのだろうか。
晩年の重量級連打のなかに
新書体裁の『本が崩れる』が紛れ込んでいるのが
草森狂にとっての気軽な嬉しさだった。
あのような「知の巨人」の部屋のなかがどうなっているのか、
それがあの本ではついに開陳された。
足の踏み場もないほど床には本が散乱している。
草森さんが胡坐できるスペースと文机だけがあって
その机のうえにもすでに平積みの本が林立し
書棚にいたってはすべて本が収蔵されていても
その前が平積みの本でまったく蓋がれていて用をなさない。
廊下にも風呂場の脱衣場にも本の山脈が続き、
どこにどんな本があるかは当人の感知するのみで、
しかも草森さんは胡坐スペースに置いた身を
坐ったまま不精に回転させて、
あの長そうな腕をひょいと伸ばし、目的物を掴む。
宮崎アニメの釜爺をおもえばいい。
興味があっていずれ書くだろうテーマの本の大量買い。
絨毯爆撃のような本の買い方らしい。
どのような古本屋が背後に控えていたか
(古本屋といえば先日『月の輪書林それから』を読んでいて、
著者の古書店主・高橋徹が、
草森本を未経験だったのが意外だった)。
草森さんの自慢話にはいつも侘びた味がある。
彼は自分を、隙間なく本の山を部屋内につくる達人だという。
同じ判型のもので平積みを揃える。
ところが頁折りをしてなくてもどちらかにそれが傾く。
傾きは別の山の傾きで対抗させ、
しかも隙間なく山を連続させると
積み上げの強度がいっそう増す。
それで本でできた壁が部屋内に幾つも増殖し、
結果的にあの痩身を横向きにして通れるだけの導線が
やっと生活空間のなかに不自由に残るのだという。
自慢できないそんな話を自慢したあと、
草森さんにはとうとう天罰が下る。
詳細は読者の愉しみのために書かないが、
そのエピソードが涙が出るほどの抱腹絶倒。
書物に憑かれた者の
「あわれ」や「いぎたなさ」や「無頓着」を
これほど笑いに定着できた例も稀有ではないか。
書物狂にはぜひお薦めしたい文春新書だ。
そういえば僕の書棚の小さな自慢は
入手しにくいものもふくめ
草森本が「ほぼ」揃っていること。
「ほぼ」というのは、
揃い価格でえらく高い『絶対の宣伝』全4巻を
じれて一冊だけ買ってしまい、
残りがバラで入手できないために起こった事態だ。
ほかは『オフィス空間』とか『女のセリフ捕物帖』といった
変種の本まである。
トータルで60冊くらいだとおもうが、
これらの多くは十数年、古本屋を歩いた結果だ。
ただし『実戦サブカルチャー講義』に書いたことだが
草森本がトータルで何種あるのかは世間の謎になっている。
僕はこのようなことをしるした。
「郡君、今度草森さん自身に著作が一体何冊あるのか訊いてみてよ」
「そんな恐ろしいことできませんよ(笑)」
これも笑い話だろう。
とりあえずは、合掌――