漆黒についてのメモ
圧倒的な漆黒でみたすことは、視覚的な表現にとっての蠱惑のひとつだろう。画布をただ黒がつややかに覆っている絵でさえも、視覚性を盲目性が凌ぐことで、それが壁にかかる厳粛な意味があるとおもう。だいたいわたしの眼にしてもよくかんがえれば、わたしではなく世界に付属しているのだ。ところが書かれる文字面はじつは全面的な漆黒を実現できない。「黒い」としるせば画数と字形において疎な「い」がはいるし、「黒」の文字そのものにも窓枠のかたちがこまかく形成され、その背後からひかりが漏れてくる。意味上の一律性をみずからその場で打ち破る、くずれるような動勢がひとつひとつの文字の孕むものだ。文字は文脈により、自身のなかでひかりを増減する。だからそこではわたしの眼も文字の裏側からわたし自身を視るほかない。