ありがとう島倉千代子さん ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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ありがとう島倉千代子さん

 
 
【テレ東『火曜8時のコンサート ~ありがとう島倉千代子さん』】
 
 
昨日(11月14日)、テレ東系で20時から放映された特別追悼番組、『木曜8時のコンサート ~ありがとう島倉千代子さん』は、病気前の島倉千代子、その歌唱のすばらしさを多元的に刻印した音楽番組としてほんとうに見事だった。島倉がテレ東系歌番組に出演した250本以上のなか(多くは80年代のもの)から見事なセレクションをほどこし、その歌唱人生と歌唱技量をくっきりとうかびあがらせた。録画したものは、ぼくの一生の保存版になるだろう。

まずは島倉の歌唱が何だったのか――その総論からゆこう。

女声は男声よりももともと声が高いから、ファルセットは地声からの連続性がつよく、自然にひびく。島倉はたぶん流行歌手のなかで最も声の高い部類だとおもうが、そのファルセットの効力を独自に決定づけた存在だとおもう。むろん高域の女声といっても、西洋のようにそれ自体が「声の楽器性」と化した「ソプラノ」とはちがう。日本性、アジア性のなかでの文脈なのは無論だ。

もともと話し声でわかるが、島倉の地声はやさしい。そのやさしさがファルセットに自然に接続されるのだが、そこでは形容のむずかしい多元的な要素が組織される。

・ファルセットはそれ自体が一種、「声の加工性」だから、さらにそこに加工性を足すのがむずかしいし、しかも煩い。したがって以下にしるす加工性は、つつましやかな縮減性のうちに実現される。島倉の歌唱が、情感をもちながらミニマルな美学を湛えるのはそれゆえだ。

・歌唱上の声質の特徴は「空気含有感」のゆたかさではないか。といってもそれはため息を基盤にしたウィスパー唱法ではない。けれどその空気は「ゆれる」。

・演歌的なギミックは、とうぜん日本の昭和30年代の歌手として定位された島倉だから、さまざまにある。まずビブラート。ところがそこでは技法的なビブラートと「生来的な声のふるえ」とが弁別できない。こうした連続性の平滑感こそが島倉の個性だ。

・コブシにかんしても「民謡的なもの」と一種の「折れ=ひだ〔pris〕」とをこれまた弁別できない。むろんその箇所は「折れ」なのだから、歌唱の一線性のなかの二重箇所として響く。ただしその二重性は現出音と倍音の二重性ではなく、なにか分析を阻むもので組織されている。たとえば奄美民謡のコブシ(元ちとせを想起してほしい)は声が折れて二重性に聴える箇所がもっときらきらしていて(金属的=メタリックで)、倍音による裏箔感がつよい。島倉のコブシはくぐもって、薄墨をながしたような感触をもつ。それは島倉が生まれた品川・青物横丁あたりの、海風と都会性の混濁した夜の空気がつくりだした感触かもしれない。むろん東海道筋だから、島倉の歌には「旅体」も組織される。

・島倉千代子を聴くことは、音の「一線性」、そのニュアンスに耳が過敏になって、眼が盲目化することではないか。発語の一定性(それが「間隙」をふくんだうえでの一定性なのに注意)、声量の一定性という基盤があって、そこでこまかく明滅する発声の運動に惑溺することだ、と換言してもいい。「いきみ」がない。誇張もない。「ゆっくり」を実現するために、なにかが真剣に耐乏されている。ところがその耐乏の感触が自己再帰的にむしろ「やわらかい」のだ。

・ルーツ的にとらえた場合は、「語り」と「謡い」の二項対立のなかで、美空ひばりの前者にたいし、「妹分」の島倉が後者に果敢に身を置いたということでもある。「語り」は説経節から浪曲を生み、浪曲調歌謡曲にいたる。「謡い」は新内を源にして、その簡素化・粋化・平滑化などをけみし、都会的な素養として長唄・清元などに分化してゆく。よってひばり的なものと島倉的なものとの対峙は、浪曲性と新内性のスパークととらえることができる。ふたりは双方の美点を、その対峙図式のなかにみとめあったのだ。ふたりはたぶん日本の歌唱伝統を真剣な「姉妹図式」のなかに身をもって転写したツインなのであって、だから89年のひばりの死後、島倉の歌唱力も、ピッチ、声量ともに不安定になって惨たらしく衰えることになる。そのひばりの位置に、島倉にさきがけて歌が上手で、しかも小児麻痺のために歌手を断念した実姉が置けるか否かは、今後の検証対象となるだろう。

・島倉の歌唱はともあれ、フラジャイルだ。脆さをゆたかにする歌唱は、たとえば病気ひとつで「ただの脆さ」に滑落してゆく。病気後の島倉を襲ったのはそういう事態で、しかも声そのものも低くなった。このとき平易にうたえる大ヒット曲「人生いろいろ」が島倉の歌全体を代表する符牒になってゆく。けれども昭和30年代からの島倉のファルセット唱法のしずかな多彩さに親炙したひとは、歌手の潜勢力にたいする見立ての縮減が起こったとかんがえざるをえないだろう。

・島倉の空気含有感のつよい歌唱の「間隙的一定性」のなかで独自なのは、「声の途切れ」が虚数として歌唱をゆたかにしている点ではないか。唄いまわしを誇張させゴテゴテとするために感情が切れて、声の途切れ箇所が生ずる似非演歌歌手は一定数存在するが、島倉のそれはちがう。最高音部にふと欠落が生じるのだが、そこが「つながる」情感の極点になるのだ。だから現象的にはその一音は無音なのに、その無音に音程がある、という物理法則に反することが起きる。これは一色が補色を準備するのともちかい現象かもしれない。

・島倉の日本語はしずかさのなかできれいだ。美空ひばりの一語一語のイメージ結像性とはちがう経路で、島倉の歌中のことばも像をむすんでゆくのだが、その像はやはり薄墨をながしたような崩壊性も「同時に」孕んでいる。独自境だろう。子音はどの行も煩くなることがない。母音にかんしては、「ア」音が無防備で、性的幻想にみちびく間口をともなっている。一方、対極的な母音「オ」音にかんしては一旦現出した音を「奥へと」しぼませる独特の働きをする(「逢いたいなアあの人に」中の「ホロリ ホロホロリ」を想起してほしい)。

以上、フラジャイル、崩壊感覚といった語彙までふくめて、島倉の歌にたいしての最初の概括をした。美空ひばりの歌の基盤は昭和20年代で、その歌の「ルーツ」の、再帰的な自己展開力が戦後の復興過程と両輪化して国民歌謡化した。その経緯については平岡正明がいろいろな本で分析している。いっぽうひばりと齢にさほどのちがいはないが、島倉の時代的な基盤は昭和30年代だ。よって島倉の歌は昭和30年代歌謡のなかでどう定位させるかといった判断からはじめざるをえない。比較対象となるのは、春日八郎と三橋美智也だとおもう。

昭和30年代歌謡は、大規模な都市集中化を背景にして、「棄郷」をまず主題にした。春日の「別れの一本杉」(昭和30年)がその嚆矢にしてメルクマールだろう。大局をいえば、特異性ではなく普遍性が表現の内実で、音楽的には「作曲構造の明澄性」(=構造の露呈)が基本になっている。これが戦前歌謡と民謡からの連続性を印象させるのだが、歌世界自体に迫ってくる「都市化」と化合すると、それ自体の危うさを発揮するようになる。だから「ゆれる」(=崩壊感覚を内包する)――それが昭和30年代歌謡の美点なのだ。のち橋幸夫が登場し、股旅演歌が定着すると歌は記号論的な自己再帰を演ずるようになって、緊張感が消える。その緊張感をずっと保ったのが、春日より三橋よりも、島倉千代子だった。

「別れの一本杉」の作曲は、ご存じ船村徹だ。口伝によってコブシそのものをも作曲要素に組み入れる船村作曲は、春日の歌唱にそのまま継承され、「別れの一本杉」は「綾」にとんでいる(むろん名唱だ)。ではおなじ船村作曲の、島倉「東京だヨおっ母さん」はどうか。コブシは内在的なグルーヴ分割の要素があるから、コブシのある演歌は浪々と唄われても耳に「速い」のだが、「東京だヨおっ母さん」では島倉特有の平滑感とスロー化が作用して、船村作曲特有の「綾」が縮減されている。それでなにかが「あられもなく」現出することになるのだ。

歌詞は、上京した母親を皇居・二重橋に連れ、そこで記念写真を撮り、いまは英霊となった兄をヒロインが母とともに偲ぶというつよい物語性を、島倉の歌にしては例外的にしるしている。ところがその物語性が島倉の歌唱の刻々で「残存しながら」「磨滅する」という背離的な二重運動を起こしているように聴えるのだ。「磨滅」は島倉の歌がコブシの綾のちりばめではなく、一線性のなかの「平滑」「間隙」「ゆれ」を微妙に組織しているから生ずる。そのなかで歌詞中の「久しぶり」「浮かんで来ますよ おっ母さん」「とりましょね」などの「口調」が歌の界面を超えて揺曳を起こし、それでやさしさから発露される深甚なメランコリーが付帯するのだ。しかも一番二番のあいだのナレーションで「兄」が登場してから、唄う主体=島倉に「妹」属性の転写が起こり、しかもその妹が兄よりも有為ではないという予想が相俟って、島倉の歌唱表面に「くらさ」が張りつくような蓄積が起こる。歌詞そのものからたとえば木下恵介の画面を聯想する聴衆は多いだろうが、この歌はどこかで悲惨な盲目化と触れ合っている。これが春日「別れの一本杉」にはない事態なのだった。

島倉のそれ以前を定着したのは、「この世の花」と「からたち日記」だろう。どちらも「初恋もの」で、これらを再帰的に記号化すると、のちの森昌子「せんせい」などになる(「からたち日記」と「せんせい」の作曲はともに遠藤実)。ところがこの二曲でも島倉的特異性が感知される。なぜ「からたち日記」の一番が終わり、島倉のナレーションがはじまるところで短調へと転調が起こるのか。初恋の記憶が唄われることと、暗色化とが、島倉にのみ「セット」となるのではないか。つまり歌は追懐のはずなのに、予行的に不幸を吸着する付帯運動をおこなう。これが島倉の実人生ともパラレルに映って、たとえば80年代の『演歌の花道』でそれらの曲を唄う島倉の姿に、ひとは息を呑むことになる。森昌子ではそういう作用が起こらない。むろん島倉の人生推移は、島倉の個別性であると「同時に」、昭和の多数の普遍でもある。そう、「闇の吸着」がもんだいなのだった。

島倉の歌唱が、清元や長唄などを淵源にもつとつづった。となれば、「粋」の領域にある素養をだれでもイメージするだろう。むろん「いき」は九鬼周造『「いき」の構造』によれば「諦念」と対だ。ところが島倉の特異性は、「粋」を除外して「諦念」だけを奥底でひびかせるその切断性・単独性にある。歌詞から現象されるものの次元ならそういえる。ところが前言した歌唱にひそむ「一線のなかの二重性」が、この単独性を救抜する。それで歌は一種の恩寵としてひびく。稀有なのだ。

いまのことは別の観点からの言い換えもきく。もういちど「東京だヨおっ母さん」を想起しよう。「久しぶり」「嬉しさ」「浮かんで来ますよ おっ母さん」「とりましょね」の「口調」がやさしい空気のように瀰漫する島倉歌唱の独自性を前言した。むろんそれらは高い声域のファルセットで唄われ、嫋嫋たる情感を全うする。これを原理的にいうと、「嫋嫋たるもの」のもつ治癒力が島倉の歌に降臨しているということになる。だから美空ひばりのゆたかな像の形成力にたいし、島倉の歌が誇るのは耳への触感性なのだ。そのかぎりにおいて島倉はほんとうに不世出の歌手、昭和の至宝だった。

『木曜8時のコンサート ~ありがとう島倉千代子さん』から、さらに具体的な考察を(順不同で)すすめてみよう。「逢いたいなアあの人に」(詞・石本美由紀/曲・上原げんと)の二番のテロップはこうだった――《たばこ畑の 石ころ小道/はいた草履に 夜露がホロリ ホロホロリ/逢いたいなア あの人に/今夜もこっそり 裏山に/出てみりゃ淋し エー おぼろ月》。「石ころ小道」での二度のk音の見事さ。それは通常のk音のように何かをひっかけ、駆り立てるのではなく、k音そのものの物質性を「やさしく」伝授する。「ホロリ ホロホロリ」のオ音母音の「奥行」にむけてのすぼみについては前言した。最後手前の「エー」の囃しの「泣き景色」。結果、つたわってくるのは、情景であると「ともに」、「夜露」のしめりの「触感」なのだった。この「触感」はひばりのつたえる「物質感」とはちがう。ということはひばりにあるのは「唯物性」、島倉にあるのは霊性ということになるだろう。

「襟裳岬」(詞・丘灯至夫/曲・遠藤実)。一番をテロップから転記すると――《風はひゅるひゅる/波はざんぶりこ/誰かが私を 呼んでるような/襟裳岬の 風と波/にくいにくいと 怨んだけれど/いまじゃ恋しい あの人が》。歌詞そのものはつよい荒廃の風景を「描写」しているはずなのに、一定性のなかで嫋嫋とゆれる島倉の歌唱は、二重化の「こちら側」にやさしさを前面化してくる。そうさせているのは、「歌唱のかたどるスローモーション」「コブシの縮減」「ふるえ」などだろう。結果、島倉は歌詞世界を「緩和」する。荒い風景を鎮める神力こそが島倉の声の(うすい)ひかりなのだ。奇蹟としかいいようがない。しかも岬にのこった生の凄惨が唄われているはずなのに、「誰かが私を 呼んでる」の一節からは「旅体」がしずかにせりあがってくる。

「すみだ川」(詞・佐藤惣之助/曲・山田栄一)。ご存じ東海林太郎の戦前のヒット曲だが、東海林の「律儀な」歌唱を、島倉が換骨奪胎してカバー、曲自体が志向する清元の感触を前面化したのを記憶しているかたもいるだろう。番組では東海林一番、(転調なしで)島倉二番、三番はオクターヴちがいのユニゾンで東海林・島倉が合唱する展開が映された。作曲には「お江戸日本橋」ともかよう、いわゆる「短→長」の「一瞬転調」(ハズシ)があって、そこでの島倉の音程がゾクゾクくる。むろんそれは精確なのだが、精確さとはちがう価値のしずかな強勢もあって、どうしてもこれを言語化することができない。「聴くしかない」とはこういうことだ。

「星空に両手を」(詞・西沢爽/曲・神津善行)。オリジナルどおり、守屋浩とのデュエットだが、収録は01年。病気後のゼロ年代には島倉の歌唱から精確さ・微妙さがきえているはずなのだが、これは見事だった。守屋の歌唱力が高齢化で衰えたと察知している島倉がとりわけ奮起したのだろう。むろん奮起といっても精神的なもので、力感の前面化といった野暮と島倉がかかわるはずもない。島倉の録音した全曲を精査すれば「星」の主題が多く散見されるのではないか、と予感するが、その代表的な成り行きがこの曲にある。《星空に両手をあげて/この指を星で飾ろうよ》。ジャン・ジュネのようにうつくしい着想だが、じつは像をおもいえがくと、星にかざした手はシルエット化によって朧化・黒化する。反転恐怖の映像がうかぶのだ。そこに「影の吸着」という島倉的な主題を改めてかんじた。

「皆の衆」(詞・関沢新一/曲・市川昭介)。五木ひろしとの輪番歌唱。村田英雄で知られる浪曲歌謡だが、島倉のファルセットで、コブシを縮減した嫋嫋たる歌唱は、曲が秘めていた清元調をあかるみにだす。その歌唱は「一線」を一瞬「破線」にする「途切れ」が見事で(そこに情感の奥行がみえる)、節回しに「途切れ」をともなってしまう五木とは好対照をえがく。むろんどの歌もおなじ節回し・声音で唄う五木とはちがい、島倉の歌唱はその一回一回が創造的なのだった。

「愛のさざなみ」(詞・なかにし礼/曲・浜口庫之助)。じつは島倉のヒット曲のうちの例外的なポップチューンで、その例外性がぼくの偏愛のもととなっている。島倉の嫋嫋たる歌唱は一定性のもつやわらかさだから、じつはポップ調だと原曲の良さを歪曲なしにつたえることになる(往年の原田知世のようだ――それでも知世とちがい、微妙に「ゆれる」)。ここではポップチューンだから編曲にリズムが強調されているのに、じつは島倉の歌唱はそのリズムを緩慢化させるような、ポップ曲では経験できない作用をする。それで生じた「単純ではないやわらかさ」が、この曲のポップ感の真諦なのだった。ひばりでいえばブルーコメッツのかかわった「真赤な太陽」にもあたる位置なのだろうが、ひばりがGSを「生きた」のにたいし、島倉はポップスをそのまま転写しない。変成をしるすのだ。

ともあれ「愛のさざなみ」の例外的成功が記憶にあって、たぶん「人生いろいろ」(作詞は中山大三郎)の作曲者にふたたび「浜庫〔ハマクラ〕」が登板したのだろう。ところがこの曲の島倉の歌唱ではリズムの緩慢化が起こらなかった。着物姿の島倉は足袋と草履の足をリズミックに小刻みさせ、ときに手が拳を結んだ。島倉の歌は、ひばりの歌以上に、女性たちのカラオケ歌唱にとって困難だとおもうが、この曲だけは例外で、じつは一線性のうえの「緩慢化・間隙化・ゆれ」が稀薄だから、カラオケ最適曲となって大ヒットを記録したのだとおもう。ぼくの母親がシングルカット当時、愛唱していたのをおもいだす。

とまあ、「木曜8時のコンサート ~さようなら島倉千代子さん」の映像を導きに、島倉千代子の偉業をふりかえった。「演歌の花道」と「懐メロ番組」から全18曲の映像がえらばれたのだが、さすが演歌や懐メロ番組にずっと熱意をしめしてきたテレ東だけに、セレクションも抜群だった(とりわけデュエット曲の選択が、島倉歌唱の「稟質」をつたえていたとおもう)。放映当日の島倉の葬儀にいって全体の紹介を編集スタジオからおこなった宮本アナウンサーのコメンタリーも、意がこもり、かつ適確で、おもわず涙ぐんでしまった。番組は以下のテロップをしるして終わった――《島倉千代子さん 忘れません》。

人柄もそうだが、やはり類例のなかったその歌唱の奇蹟が忘れられてはならないだろう。むろんファンもそれを知っていた。だからながれた葬儀の映像も、島倉が「芸能神」だったことを如実につたえていたのだった。合掌
 
 

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2013年11月15日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

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2016年07月30日 編集












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