秘められた生3
すはだを寄せあっていても、相手のからだに疲れ倦んだ感覚は、わたしと相手、それら交互におとずれる。いつか厭になる、は予言のしるす暗い歌だ。このときからだは、ひとりでいるときよりも傷ついている。対面性の蠱惑如何にかかわらず、からだのなすすべてが単調、もしくは短調を病むのだ。からだは肌とはべつのもの、たとえば諧和で囲われていなければならない。けれど何を挿しあっても相互の賦活へいたらない減退は、次善としてみだらさをえらぶだろう。それをゆるすのが個別性だと哲学的に銘記しなければならない。からだの向きを変え、裏返したり、倒立させたり、部分性をつよめたりする逸脱。たしかめられているのは性器の所在ではなく、むしろからだのかたどる慮外の曲線のほうだ。ひとつのカーヴが精神の属性へとひろがるわずかな可能性がそこで賭けられる。ねじれた動物化がじっさい特異性のようにうつくしい瞬間もあるが、からだとともに相手のこころまでもがみごとに曲ったことに、潜勢特有のありよう――撓むひかりをかんじるのかもしれない。そうしてひとには枝も関連する。むろんそれは「ある」のではなく「現れる」。