クライマックス
クライマックスはオーガニズムに似ている。どちらも「ものがたりが死にそうになる」、その消滅をまえにしてのあえぎなのだ。とうぜん世界ではなく自己にあらわれがむけられている。それらはみずからの来歴に乗じ、あらゆる光景やことばを同時にいい、それでものがたりを死なそうとする不穏な衝動だ。身体的には痙攣してわななく咽喉をおもわせ、しかもそこから起こるのが吐瀉ではなく、ありえぬことに放精だとも幻覚させる。咽喉と性器の倒錯。それでもかわりに到来するのは、ありうるとすればカデンツァのような高速分散でしかない。そうして真に価値ある量感がいわばパラパラマンガにまで貶価され、そのなかを俳優身体なども右往左往するのだから、笑ってしまっていいのかもしれない。ほんとうにおそろしいクライマックスは、平静をくずさず、内部重複の不可視性を、受け手に陶酔的ではなく不機嫌にさしだす。それも受苦の継続時間ではなく、寸刻の流し目として。