岬
湾から岬を遠望すると、視ることがなにもない先にまでのびてゆく。ことばのもんだいかもしれない。すなわち「視=先」がみずからの眼にまねかれるのだ。あのみどりの尖端は、在る形状が形状自体のさきゆきを消しているのだから、視えることが視えないことをふくんでいる。いっけん海へと仮託される眺望装置と映りながら、とがって終わる地形は、みずからへ折れもどるしかない。
いずれは岬が連続している海岸線がないだろうか。海の女性性を繍いこむべつの女性性が音楽のようにたかまっている場所、愛しあうための場所。むろん地形から性愛をかんがえてゆくと、あまりの迫真性に、ゆううつがもたげるしかない。岬の勃起のかたちは、ゆううつによる男性性の消去でもあり、それが視の筒状へと形骸化される。だから視ることをふやすためにおもう、岬の連続を。