輪郭
まなざしがまわし撫でれば、そとがわからとらえたその腕も、つながりながら内らへおのずとむかう。まわるものこそ量感の表面とおもわなければならない。それでからだには秘めあふれるしろさがあっても、そこに輪郭などという抽象がないとわかる。ただしそうかんがえるときには、こちらの視が一点からであることが否まれていて、輪郭のないかたちのやわらかさは、こころもとなくみずからを、こちらへ投げかえし、あらゆる位置をまわし、こちらまでしろくさせる。量感のもつ外への拮抗ならはかなくなる。こうして視の愛はきえゆくたがいをさらに消す時のなかにあり、しめされるうごきも回転、色彩も白だと、その音楽に近似する腕の、まさにそのうちがわから、ただしずかに、したたりをもって、うれいはじめるのだ。