骰子
しぐさはひとにつらなり、そのつらなりを憶えきれなくなったところで、そのひとの場所にうわずみがみえる。ながれのなかの差異は蒸留されてひとの奥行を透かし、てまえにたたえられたあかるさを、みずからのくらさのかわりに、うつくしいとただ憶えてゆくのだ。手を卓に置いたポーズは、すでにその奥行じたいがさそう。それは子どものころによく気づいていたことだから、いまも坐りながらかすかにゆれるひとを、眼の底にそのままおさめたいとねがえば退嬰をかんじざるをえない。もうまくにおさめたものをさらに内にむけ骰子のように擲げても、奥行までのあかるさが塵のように舞うだけだ。それでも椅子に坐るすがたすべてが、ひとの骰子だと、眼に渦をまく力がひとまずまとめようとする。