設問と人生 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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設問と人生

 
 
【設問と人生】


やさぐれた生活をしていたわかいころ、白夜書房の入社試験を受けて落ちたことがあった。《キャプションについておもうところをしるせ》という設問に、良いこたえがつむげなかったのだ。いまならどうしるすだろうか。例。《もんだいとなるのは、キャプションが状況説明や典拠示唆で済むストゥディウムではなく、プンクトゥムのほうだ。ぼんやりしつつなおある画像内容の幻惑的な攻撃性に、キャプションの文字連関が蟻のような行進をくわだて、しかもその写真のてまえで座礁するうごきが、かたどられなければならない。ひとつのヌードがあったとして、そこにあるはずもない内実を擬制する。写真の一枚性に拮抗すべく、文字のつくる意味とながれも同程度の量感とかがやきを、みじかく生きる。写真に規定されつつしかもその対偶にあることばだという間接性が表現されなければならない。隠喩的な照応ではなく(隠喩は写真を「おおって」しまう)、みずからが換喩になることで写真そのものの換喩性をえぐりだす、水中のことばのゆらめきも要るだろう。それらが乾いた写真に湿潤をあたえるのだ。詩的な写真にことばの詩性を投げかえせば同一物による相殺になるのだから、そのばあいはなにかべつの鋭利さで、ことばはみずからを裂開、画と文字の縫合関係へ脆い二次性をもたらし「平面の厚み」を陰謀するにしくはない。いずれにせよ時間性を覚醒させるため、「瞬間の敗北」と「数瞬の敗北」とを等価にする双対性=デュアリテこそを、世界の無意識にするのだ。それはちいさくても構造として中心紋となるだろう》。そういえばもうひとつ解けない設問があった。《キンアカの意味》。それは実生活上すぐのちに知識として得る。《印刷上、マゼンタ百%とイエロー百%のかけあわせを謂う》。
 
 

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2014年01月20日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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