終結
【終結】
書きだしに存在しているものが、おどろきとゆるやかさの双方であるときには、その後の中間も期待されてゆく。いわば破壊が水面下にひそんでいる形式のエレガンスを、やがておとずれてくる中間すべてにもずっとあじわうことができると予測するのだ。けれども終わりについての期待はおなじ蓋然性からは測りだされない。終わりそのものに特有性があるためだ。まず終わりは書かれていたそれまですべての終息であるどころか可視的な破壊でもあって、同時にその流儀に、単位的に独立したあざやかさをつくりだすものだろう。しかもそれは「終わることそのものが哀しい」というメタレベルすらふくんでいる。ほかとちがう終わりの単位性はつぎのようにも換言できる。それは余韻を差しだすものだが、じっさいにはその余韻が書かれたもの、読む者、そのどちらから出来しているさえ不分明なことが特殊なのだと。眼のひきはがしは終わりでのみ、とくべつに起こる。だからすばらしい終わりを体験しすぎてはならないとおもう。