草餅
【草餅】
類推は同一性にむけての架橋ではない。びみょうだが似ているたがいに橋をわたすことで事物を脈絡させるのだから、その本来の機能も、類似をわかって二物間に緩和や解決を灯すのではなく、あくまでも連絡付与にともなう想像域の空間化のほうにその眼目がある。むろんこの空間化はよくとらえてみるとその内実が分割のはずだ。おもいがけない遠点ふたつをまぜてキメラをつくりだしながら、じつは意味の怪物性を想像の褶曲へと給付している。ゆえに判決文の並置だけあって主文のささえのないまでに類推の速度をたかめてはならない。判決など二角形のようなもので、像を脱容積化してしまい、執着もってなでさするべき面を蒸発させてしまう。それでは単語にくるうだけのことで、助詞にみだれつくすことにもならない。やがて老化すれば類推は植物の総体をたずねゆくような段階化へかわる。あたまのなかに草餅のほとけができて、それはもうキメラにはない蓬香をはなつ。