水歌
【水歌】
たがいの語関係をなだめ、つながりをたたえ、しかもあいだのささえをふくめ有音にするのが、こころをぬらす歌だろう。ためにこころからは境がきえ、おもいかえすことがだれのものでもなくなる。ひとつひとつをうつわというなら、ひともそれぞれのうつわにほかなく、容れる容れられるは水にあってこそひとしい。のどと声に、そうしてこころではなく、ところをかんじるのだ。この「ところひとしさ」が分割を旨とする句になく、うたでは交換にまかれるとおなじく、計数までもが等価性にふるえる。しかも七七の対称相殺をもってみじかいながれがきられ、まぶたのうらをくらくさえしてしまう。ほんしつは無差異、これらをひとののどに知るうれいが水歌で、ほとをめぐるまぶたのおぼえに犯人のいないさまが、はんにんを問わず語りする泥句ともしずかにことなる。