始源
【始源】
よくしるすのだが、「詩を書くことの恥しさ」という、現在では回避できないもんだいがある。事態はさらに入り組んで、どうやってその恥しさを自覚しつつ、たとえば文法破壊などで恥を回避しているのか、そのすがたに気づくのが共感の基準になったりさえする。つまり「ネタ」「ベタ」「メタ」でいうと、「メタ」を読みうるかどうかが、いまや詩の読解の中心なのだ。文明病とはいえ、詩の始源状態からいえば、やはりこれは甚だしい倒錯といえるだろう。
詩の始源国では、いつでも詩は公然と誇らしくうたわれたとおもう。ラテン諸国のみならず、となりの漢詩の国でもこちらの和歌の国でも。
日本の明治以降、朗誦の慣習が徐々にうしなわれていったのは、まずは武張った精神が抒情を冷笑したからだとおもうが、難解を人の耳に強要しない遠慮も起因したはずだ。明治時期に確定する漢語和語の混淆状態が、耳でする詩の理解を困難にしたことは、詩の伝達にかかわるおおきな障害となった。おおきくいえばそれで詩の位置が流行歌にうばわれた。
詩の授業をしていると、みずからつくったプリントに詩の引用が満載されていて、説明の都合上、詩篇を部分的に読んでから解説をはじめることがほとんどだ。読みをしめし、詩に内在する律動やひびきをつたえる必要があって、これはもう、しようがない。むろん恥の意識がわだかまっているから、リズムはつたえるが高らかには声をあげず(つまりうたわず)、訥々としないていどにぼそぼそ読むのがぼくの流儀。授業での通常の解説や思考することばよりも声量を絞ったりもしている。なにしろぼくは朗読にかんしては「ミュージシャン読み」「俳優読み」「アナウンサー読み」を眼前の他人にみるのも苦手で、そうした蛮行を自身にも適用できないでいるのだった。
恥のかきすてを渡世の効用とおもうことがある。たとえば旅路の僻村での混浴などがその理想郷だが、意外や中国人留学生などとゆくカラオケもそれにちかい。カラオケは場の共有にあるていどの圧力があって、マイクをもっての歌唱をただ恥しがるだけのひとはその場から居ながらにして除外されてゆく。反対に「マイ・ウェイ」的なバラードを陶酔してうたうナルシズムとオッサン性のわだかまった「人格」などもとうぜんひと目で忌避される。カラオケにおけるパフォーマンスの批評内在性は、自分の声質と、文明批評、それに自爆精神をかけあわせた選曲センスが第一にものをいう。ところがやがて場が歌唱そのものへの称賛に移行する逆転が、カラオケの醍醐味だったりする。
昨日はGWの谷間だったが、しっかり全学授業「日本の歌詞をかんがえる」が、こよみどおり開講された。演目は「高田渡vs遠藤賢司」。じつは曲調と歌詞の関係をしめすために、やけっぱちで唄ってみせることがこのところ多くなっている。加齢で恥意識のタガがはずれたのだろう。昨日はそれで、ウディ・ガスリー「ドレミ」のサビ部分を英語で板書したのち、その部分と、高田渡「銭がなけりゃ」のサビ部分を唄いわけてみせた。そうでこそ、エデンの園たるカリフォルニアを皮肉たっぷりにとらえたガスリーを、東京・青山へと高田渡がいかに換骨奪胎し、ホーボーにとって冷ややかな都市を、海を越えてつないでみせたのかがわかろうというものだ。
昨日は必修ゼミが休講になってぼくの授業を覗き見にきた講座院生がちらほらいて、全学授業でのみしめされるぼくの「蛮行」にびっくりしていた。全学部生という講義対象のひろがり(彼らのほとんどは二年次以降、ぼくの授業をとらない)と、音楽というジャンルがぼくを開放的にさせるというしかない。恥意識の漸減が能産につながる過程は、このように詩の授業に発端し、音楽の授業で増大してゆく。授業を聴き終わった飛び入り院生の顔が上気していた。
高田渡ついでに山之口貘の詩集をめくっていて、素晴らしい短詩があったことを失念していたと気づいた。以下――
【夜景】
山之口貘
あの浮浪人の寝様ときたら
まるで地球に抱きついてゐるかのやうだとおもつたら
僕の足首が痛み出した
みると地球がぶらさがつてゐる
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あすからは女房と小旅行、旅先がつづくので、日録をやすみます。