最前線物語・再製作版 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

最前線物語・再製作版のページです。

最前線物語・再製作版

 
 
【『最前線物語・再製作版』】
 
二学期の院ゼミ授業準備のため、昨日はDVD漬け。アメリカ50年代映画作家の作品を、未見・再見あわせて丸一日、鑑賞していた。ニコラス・レイの『孤独な場所で』ではげしい不安に陥り(アンハッピー・エンディングの大傑作のひとつとおもう)、『危険な場所』でその不安が「治療」される(こちらはハッピー・エンディング)。「みずからの暴力衝動におびえる男」というのはニコラス・レイのフィルム・ノワールこそが精密化した主題で、それが夜の描写の繊細さ、女優を夢幻的に撮ることのできるレイの繊細な資質と理想的に化合する。これらはとうぜんゼミ授業で扱おう。
 
ずっと気になっていたサミュエル・フラー『最前線物語』の再製作版the reconstructionにもようやく接した。ディレクターズ・カットではない。なにしろフラーは97年に85歳で物故していて、「その後」、ワーナーのフィルム倉庫にのこっていたネガ・フィルムなどが、フラー狂のフィルム補修スタッフによって発見・検証されたのだ。むろんフラーがことあるごとに短縮を余儀なくされたオリジナル版の不十分さを嘆いていて、撮っているはずのシーンのすばらしさを生前、ずっと周囲につたえていたし、「四兵士」をはじめとする俳優たちもオリジナル版のひろがりのなさ、映像リズムの堅さに痛恨の念をもっていたためだった。
 
ネガ・フィルムに、さらにオリジナル版からカットされてしまったプロモーション映像フィルムの場面などを加え、綿密な検証を経て、再製作版が完成する。80年のオリジナル110分(116分?)にたいして、04年の再製作版は50分ほど長い163分。ほぼ1.5倍に「膨張」したのだった。
 
『最前線物語』の原題はThe Big Red One。第二次世界大戦でファシズム枢軸国と闘うため、ヨーロッパで転戦、大活躍をしるしたアメリカ「第一歩兵師団」の謂だ。フラーは当時、ジャーナリストから作家への転身を目していたが、第一歩兵師団に従軍、したがって脚本も手掛けた『最前線物語』はフラーの戦争映画の系譜中、最も自伝的な要素がつよい。『鬼軍曹ザック』などと同様、フラーらしいアクションとエモーションの、ケレンと衝撃にみちた加算もあるが、フラーとしては現場にいて見聞した「事実」を細大漏らさず構築した自負もある。
 
60年代、映画の演出でヨーロッパを流浪し、低予算映画の傑作をものしたのち(『ショック集団』『裸のキッス』)、70年代、ライフワークとして『最前線物語』の脚本を仕上げたフラーだったが、製作資金提供者がなかなか決まらずずっと難渋していた。それでもその脚本の生々しさが伝説的で、たとえば銃撃隊を束ねあげる「軍曹」役に生前のジョン・ウェインも色気をしめしたという。むろんご存じのように、ウェインを立派すぎると断ったフラーのオリジナル版では、フラー自身と同様の、熱情・寡黙・敗残の要素をもつリー・マーヴィンが起用され、作品は見事にフラーの映画として血肉化された。
 
見事とは書いたが、記憶でいうと、オリジナル版にはやはり「無理な圧縮」の気配があった。打った伏線が解決されず、従軍兵士の死と生き残りが、カット尻の余裕なく、進んでしまう感触があった。派手な爆撃シーンがあっても「淡々としている」ことが味だとおもっていた。
 
映画は北アフリカ・チュニジア、イタリア・シシリー島、ベルギー、ドイツ、最後にはチェコへの第一歩兵師団の転戦を描いてゆくが、再製作版ではドラマの進展リズムが鷹揚になり、サスペンスフルな戦闘シーンがよりまるごと投げ出され、しかも捕獲したヒットラーユーゲントの少年など、消えた人物がフラーの意図どおりに蘇っている。あるいはフランス女性の戦車内での出産を兵士たちが補助するシーンなどでも、不自然でない編集リズムが再獲得された。気づくのは、転戦地ごとに伏線と解決があって納得がかさなり、物語構造としてはオリジナル版が印象させるような拡散がなかったということだ。
 
転戦地ごとに観ている側の肚がぐっと締まると、反戦映画を結果する戦闘の悲惨さの描写、サスペンス、軍曹と四兵士の男気、次々と消えてゆく「補充兵」たちの運命的な無惨、恐怖、ユーモアなどが、大叙事詩的な悠揚さで迫ってくる。そうなると戦闘アクションの発明的な鮮やかさも自然とからだにみちてくる。
 
戦争の「大局」をつくる司令部などほとんど描かれず、戦地の兵士たちが死体と生きている戦友しかみない(つまり「敵」がつねに部分的にしか現れない)状況とは閉塞的なのだ。戦地が空間的にひらかれていても閉塞的。この血脈がのち、イーストウッドの『硫黄島』連作、マリックの『シン・レッド・ライン』などにもつながってゆくが、それらの描写の「現代性」にたいし、50年代的な熱気をものこしている『最前線物語』再製作版は、ぼくにとってはバランスが理想的な戦争映画となった(もともとは戦争映画というジャンルが結構苦手なのだが)。
 
第一次世界大戦にも従軍したリー・マーヴィンの「軍曹」。彼には停戦決定を信じずに、決定後に敵兵を刺殺した(つまりそれは戦闘による必然ではなく無意味な「殺人」だった)過去がある(冒頭シーン)。このトラウマがラストシーンでどう救済されるかが『最前線物語』全体をつらぬく基軸となる。その意味で、『最前線物語』は「渦中」と「事後」の哲学的な考察をもテーマに秘めている。五年以上前、黒沢清監督に四方田犬彦さんとインタビューをしたときにも、黒沢監督はジャンルとしてはホラー映画ではなく、戦争映画を撮ってみたいと語っていたが、彼の念頭にフラー『最前線物語』のあるのがわかった。やはり、「戦争は現場でどう終わるのか」を口にしていたためだ。情報アンテナのするどい黒沢監督は、『最前線物語』再製作版をすでに見聞していたにちがいない。
 
DVD『最前線物語・再製作版』には特典映像集が別巻で収められている。もともと本編が163分に大延長されていると既述したが、なんと特典映像のトータル時間は本編よりもさらに長い197分なのだった。これもすごい。未使用映像集、第一歩兵師団にかかわるニュース映画、プロモーション用のダイジェスト版(先にしるしたように、オリジナル版にないカットがある)なども貴重だが、四兵士役を中心にした俳優が現場の記憶を語り(とうぜんフラーとマーヴィンの男気が「伝説=神話」語りの中心となる)、再製作版のスタッフが作業経緯を細かく語る、トータル40分以上のインタビュー映像がまず圧巻だ。
 
再製作版がほどこしたデジタル補修の実際よりもさらに気をつけなければならないのは、いたずらに上映時間の拡大を目指さず、のこっているマスター・ショットと押さえショットの痕跡から、フラーがディレクターズ・カットを許されたとしてもNGとしただろう、シーンとカットにかかわる綿密な見極めがあったという点だ。スタッフたちのスタンスは、たとえばプルーストの草稿研究者のような、学究的なものだったことに感動してしまった。
 
もうひとつの特典映像の目玉は、生前のサミュエル・フラーのインタビューが収められていること。映像論的な質問に、映像論的に答える姿が、茶目っ気もあって、しかも矍鑠としている。最老齢にあって客気がぎらぎらしているのだ。過去作品の具体的な召喚も心憎い。むろん往年のリュミエール叢書『映画は戦場だ!』での昂奮が蘇った。こちらも60分ちかくある。
 
『最前線物語・再製作版』は、本編と特典映像集を併せると、6時間の長丁場ともなる。むろんそれは6時間の映画的至福、昂奮だ。これほどフラーがゴダール『気狂いピエロ』で語った、《映画とは、戦場のようなものだ。愛、憎しみ、アクション、暴力、死。つまり、エモーションだ》が合致するものはない。いまアマゾンでDVD価格を調べると、なんと1540円で買えるのだった。早いもの勝ち。気になったひとは、ぜひ。
 
ともあれシラバスを変更して二学期の院ゼミ・テーマは完全に「アメリカ50年代映画作家の検証」としてみよう。受講予定者におねがいするそれぞれの研究発表についても、だんだんイメージがわいてくる。きょうは、ロバート・アルドリッチ作品をいろいろ観る。
 
付言:「再製作版」が今後もいろいろ出ないか。むろんオーソン・ウェルズ作品などが筆頭候補だ。たとえばストーリーがはっきりわからないのに、映像が極度に幻惑的な『上海から来た女』の未使用ネガ・フィルムが倉庫に眠っていることを夢みてしまう。
 
 

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2014年09月01日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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