追悼・伊藤猛 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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追悼・伊藤猛

 
 
今月七日、伊藤猛さんが肝不全で亡くなったらしい。享年52歳。近年は健康を害していたのが見た目にもわかっただけに、あるていど覚悟はしていたものの、やはり享年の若さが惜しまれてならない。

内田栄一の『きらい・じゃないよ』1・2からぼくは彼のことを意識したが、やはり瀬々敬久の90年代の傑作ピンク映画群でのすがたが心に強烈にのこる。ガリガリの長躯、くらい瞳、どことなく怪しいエロキューション、不器用さを隠さない演技と存在感。いつも僻地を希望なくさまよう「壊れた」亡霊のような印象があった。なににたいしても連絡をつくらないトリックスター。すべてにたいする「事後」。だからその孤影が縹渺としていた。

瀬々脚本、上野俊哉監督の『連続ONANIE・乱れっぱなし』ではそうして湯田中をさまよったし、瀬々敬久監督の『高級ソープテクニック4・悶絶秘儀』では不安定な時制シャッフル話法のなか、出所→狂気の徴候をしるす伊藤猛にゾッとするような凄味があった。ソープ嬢になっている旧知の栗原早記に「ひかるまで、俺を洗ってくれよお」と嘆願しながら、次第に失明の度合いをたかめてゆく。ちらりと語られる幼女殺しの暗示も怖かった。最後、伊藤猛は宮沢賢治の「よだか」よろしく絶望的な「飛翔」をしるす。瀬々のピンク映画が完全に一般に浸透した時期の『雷魚』では雷魚を川べりで「火葬」する伊藤猛のほそながい立居が、朝霧のゆらめきのなかにあって、うつくしかった。

そのように記憶をたどりなおしてみると、定住不能者にまつわる「絶望と美」の不分離が、ピンク映画では伊藤猛にずっとあてがわれてきたことがわかる。ピンク映画の身体・貌は女優中心にとらえられがちだが、伊藤猛は彼女たちにからむことで、暗闇のようなものをよりふかく分与した。とうぜん濡れ場のリードもうまかった。かといって、唯我独尊的な存在だったわけでもない。たとえば他の男優たちとのアンサンブルにも長けて、佐野和宏の倦怠的なダンディスム、小林節彦の破壊的な飄逸、下元史朗の洒脱とうつくしさ、川瀬陽太の暴走などとも、いつも見事な対をなしていた。

痩せたなあとびっくりしたのはいつごろだったか。それでもサトウトシキの青春Hシリーズの傑作『青二才』では痩せたことによって顔をふかく刻み始めた陰翳が息を呑ませた。あの作品では長回しがすばらしかったが、そのなかで――たとえば冷蔵庫の扉をひらいてあかりに照らされた伊藤猛が、嘔吐をくりかえしながら、うずくまって暴飲していた。そんなとき伊藤猛は、長回しであたえる緊張よりも、「何もなさ」を、身をもって体現する画面への自身の置き方で慄然とさせたものだった。無駄な演技をしないひと。加齢の仕方がイーストウッドに似るのかも、とおもったこともあった。

もっとキャリアをかさねてほしかった。ぼくにはとてもいいひとだった。変わった物書きと見込んで、ずっと敬意をしめしてくれたとおもう。狡猾さのない性格だった。どうか安らかに。合掌。
 
 

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2014年09月11日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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