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じぶんをうらなうことをしなくなった、ひとから不吉にみえていようとも。かぞえるのすら、花びらをむしるようなやりかたではもうしない。あつみのないからだでは「裏綯う」のもまやかしとおもわれた。日のおわり、その日の見聞のうち数条をおもいだすまま糸にして、うすくまかれてはあかくねむる。
東京からのポストでは、金木犀がかおりだして、空間が二重化しているという。この木の北限は本州のどこかなので、その意味の「裏綯い」もこの北地にない。そのかわりだろうか、さっぽろの自販機にはマウンテンデューの缶がたかい比率ではいっていて、あれが金木犀の味だ。ただの共感覚かもしれないが。
ひとの鼻は三角錐をふくみもつ。それは都市の匂いが「あまい」「腐っている」「焦げている」に三分されるためだろうか。とりあえず味覚とちがい「鹹いかおり」といったものがない。ところが磯にゆけば、よっつめのかおりに鼻なども四角い布となって、おもざしから剥離してゆく。
剥離。蚊帳のなかにろうそくをともし、過去世からの愛憎がおぼろにもつれてゆく夏の三人芝居へ、大学のころ狩りだされた。最後、ぶきみな主人公のなかにおんなが塗りこめられ、恋敵のわたしが「形而上的にころされる」。もう記憶もさだかではないが、じぶんの屍臭をあらかじめ嗅ぐといったわたしの一節があって、稽古で小鼻をひくつかせたら、演出家の先輩から叱られた。嗅ぐ顔はただ世界にたいし鼻孔を正面化するため、すこし顎をもちあげるだけでいい、というのだった。
「鼻で息を吸え。小鼻のうごきは要らない」。それが顔の飛行機。表情は飛ぶ。
うらがわが感情や動物性に綯われている顔のうるささ。うすやみにただ白磁のうかんでいるようなひとの頭部の気配にもこがれる。ゆきのころ北地ではそんな物象が視界の隅へあふれてくる。こがれれば焦げたにおいがするのかこの髪も。
そういえば墨臭という精神のにおいもあった。それをまとう炭酸飲料が自販機にないか。あつみのないのどへそれをとおしたい。むかしのよすがに。