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おおきな川へ、いやに厚みのある橋がかかっている。橋の道そのものはひらたい屋根で、そのしたに長屋めく住居がつりさがっていたのだった。ぎゃくにいうと、住居のつながりが橋になって、平屋根に行人をとおしている。つりさがる住居には、ゆくすえをかえるひとたちが住む。
たてものの構造は石づくりで堅牢らしい。おもさをたたえながら数百年をながらえたようにみえる。もとの設計が緻密だったのだろう。川のうえに住むというありえなさがたしかに住人をとうめいにしている。往来にふまれるのもよろこびらしい。
そうした生をあかすように、部屋ぬちにはめぼしいものがない。竈と寝床、それに調理器具と食器のあるばかり。がらんどうのなかから川をみて、日々をすごしている。大水になれば住居のまどは川下向き、川上向きともにあけはなたれ、橋ぜんたいが川に沈下する火急に、水のながれをとおしてゆく。住人はどこにいるのだろう。そんなときも迅い水のうごきのうちで、かたることなくわらっているのではないか。
橋(住居群)はせかいが彎曲する箇所にかかっている。それがたまたま川の蛇行するくだりというだけだ。遠望では、橋の背景が暮色にそまる確率がたかい。
のみ水は縄でくくった桶をおろし、川から汲まれる。かれらが銅カップでうつくしい真水をのむすがたをみたことがある。精確にからだ半分でなしていた。からだののこり半分はどこかへ放ちやっている。だからそんざいのまんなかにはいつも境がみえて、かれらのこころに水がゆれているとかんじられる。
なんの寓話だろう。わからないが、かれらはじぶんを愛するために、ながい時間ではなく、ながい空間を生きている。