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20 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

20のページです。

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かぜをひくと、正中線のながれのうち、もっともほそいのどが、瓢箪池のくびれ部分、あくたのよどみをもちはじめる。からだは、それでどうしようもない左右になり、どうじに、いかんともしがたい瓢箪となる。のどのなかに繊毛はあるのか。あるならそれも夢想になびく。そうして「りっぱにきちんとかぜを」ひくのだ。かぜでは、草のかさなる場所がからだに目立つ。
 
とけないかたまりをのんでずっと痛くただれつづけている厄介。くちをとざすまえに、すでにじぶんの中途が葡萄の種でふたがれている。体型はおなじだが意味のかわっているこのからだは、アナクレオンの恋に似ているから、ひとにばれてもならない。
 
ため息をつく。まどべにいる。肺から気管のあたりが呼吸ごとに喘鳴して、喘鳴のなか痰のうつりが微細なおとをともなう。のどが中央を割るから、からだの左右のわかれは、ぼやけたまま鮮明になって、正中線の下のふかみが湿地とかんじられる。その道をふみすすめられて、とりわけ左右のひととよばれ、そうして「りっぱにきちんとかぜを」ひくのだ。かぜでは、うるむ水たまりがからだに目立つ。
 
うすくひろがる汗。しんぴてきなはなしをするひとと誤解されるのは、咳の発作にえづきの発作がとなりあうからだ。そうだ、ひとりのなかに隣人がいる。のどが閂にとざされている。それで楽な姿勢をえらぶと、胎児型におのれ曲る。いずれにせよ、えらばれるすがたにいちじるしい後退があるから、のどを統べていた脳のようなものも、きのうのさゆよりうすくなってゆく。
 
ねてばかりいる呼吸困難からしずくがこぼれる。そうして「りっぱにきちんとかぜを」ひくのだ。こころぼそいのとはちがう。ほそくあるべきものがただ精確にほそくなっているだけだ。アナクレオンの、たてごとさながら。
 
 

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2014年10月15日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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