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駅ではなく野なかに架かる、日本最北の跨線橋はどこだろうか。宗谷本線の北上途中にある気がするが、ネットでしらべてもたしかなこたえがでてこない。それでも線路上でさみしい籐のあみめが、うしろからの夕映えをきらきらこぼしているすがたがみえる。恋のおこなわれる空中として、いつもひそかに泣いているのだ。
川とからみあう鉄路。宗谷本線に身をまかせていると、ひらたさをめざしながら懶惰に蛇行してゆく天塩川との共鳴がなまなかでない。ねむりながらのたうつ臥龍を串刺してゆくように走路がほそくのされる。かわもから樹のつきでているなげきもかずおおくあって、たいくつな縦が横にひたされている。ひろがる水流とふれる葉がこまかくふるえつづけていて、ひとに俄然さわりたくなった。
それで跨線橋をかたどった首かざり、といってみる。そのとたん、闇をくりぬこうとするおんなの上体がスーパー宗谷となる。流線力学でつよめられたからだなら、よどみない性愛を鰭打つだろう。ねどこもまないたへかわって、とおいじんるいのにおいをはなつ。けれどどんな夜にだろう。おんなの奥ではなく雲丹の奥をみせてくれる小屋なら、むかし稚内にあったはずだ。発情するまなざしを昆布いろにしてやると語った面構えが塩に似ていた(とおもいだす)。
この北地ぜんたいに一定分布のあるもの。むすめの分布がきえた奥に、エゾシカやキツネよりもさらに、ひとのかおにみえる、しんぴてきな樹皮のひきつれがちらばっている。それらがあやしく樹からぬけでて、
縦に横を手かざした跨線橋で、朝までにはきえてしまう、からだの恋をした。