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「OL」「整体」「潮吹き」「老廃物」で検索できる動画が、かかれていないのに書かれている詩のようだ。はじらいの暗愚にかたちのよさがまつわり、みごとに疑念と期待とが中間化されている。それでもこの世にありえているひとりのおんなが、そんなしぼりこみ検索だけであらわれるのなら、おんなみずからを超え、インデックスがあらわれの紡錘までをも、すでに牽引していることになる。つづめれば刻々の姿態がもはやインデックスの質感なのだ。これも詩の現在の要件となる。
段取りによって機械化するやりとりが、速まりと、それにあらがう遅れとのあいだに、きれいなからだを容れて純粋にうごいている。この背反こそがインデックスへとつながるのだから、からだ以上に糸がゆらめいている。映っているものはショットごとに埒だが、意味と無意味の二面をなそうと真半分に折りこまれた、出口のないうすいかさなりのうえにしか、その埒がのらない。みえている対よりもこの基底のすきまじたいがもう男女のぜつぼうだ。
そうだやがては索引だけの世となる。からだはそれじたいをへらすが、反映をもってふえる。総体では質感がうすくなる。そうしてこころが巻末の形式だけにうながされるのだ。モザイクのかかった整体師がきえ、自失したOLがひとり診察台に大の字でのこる。これらみたことの天秤をかんがえ、あたうかぎり目次にあたるものまで後知恵で精密化してゆくと、それすらインデックスの代替となって、ついにすべてがこわれてしまう。
にんげんがきえ、本文がきえてしまった書物の中間には、みずからがみずからのインデックスとなった、のちの世の草木がゆれる。図鑑のように。