ゴーストライター ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

ゴーストライターのページです。

ゴーストライター

 
 
本日夕刊の北海道新聞に、連載コラム「サブカルの海を泳ぐ」の第12回がたぶん掲載されます(夕方は自宅に不在の予定なので、予告しておきます)。今回は、今クールのTVドラマ『ゴーストライター』、北海道で公開中のティム・バートン『ビッグ・アイズ』、それに「新垣隆さんの現状」を連鎖的に紹介・考察しています。いわゆる「ゴースト○○問題」です。
 
『ゴーストライター』は〆切の都合上、昨日の放映分をみられず、その前の回までで論評した。それにしても、このドラマはスキャンダラスにみえて、つくりが堅実で静謐だ。スランプに陥った「文壇の女王」中谷美紀と、そのアシスタントにはいって、次第にゴーストライターの仕事にしばられてゆく作家志望女性・水川あさみ。そうなってゆく経緯が、追悼文代筆(代筆文は使用されず)、プロット提供、完全代筆…と、段階を経ながら丁寧に描かれている。つまり、ゴーストライター問題とともに、ふたりの女性の関係推移が、透明感を意識した映像にきめこまかく綴られていて、さすがは『僕の生きる道』『僕のいた時間』の脚本家・橋部敦子だとおもう。このひと、TVドラマの脚本家としては、抜群の力量を誇るひとりだ。
 
何回か山場がある。ふたりの位置関係がくるっくるっと反転する。懊悩、憎悪、憐憫、愛着…複雑な感情もうかぶ。水川の葛藤。中谷の使嗾。中谷の引退決意。水川の解雇。スキャンダルの発覚を恐れての水川の封印。ネットでの水川の告白。名誉棄損裁判での水川の妄想狂扱い。流離。中谷の真相告白。そのほとんどで陰謀めいた絵図を描く編集長・田中哲司が好演している。
 
むろん「誰が書いたのか」は、科学的な検証ができる。文体分析のほか、モチーフとなっている事実周辺についての認識可能性を考量することもできるだろう。「作品」はそういう検証誘導の厚みをはらむ。一篇の小説の執筆が、パソコン画面に、「(了)」と打たれた瞬間に終わるというのも、セルフ校正をくりかえすだろう執筆をかんがえると、あまりにもTV的だ。ただしそんなことはどうでもよくて、プレッシャーの有無で、書くことの生気が変化する事実が、示唆的・説得的にとらえられているほうが重要だろう。このドラマの隠れた主題は、「きのうよりも、今日さらに良く書く」ことなのだ。それを出版資本とポピュリズムがみえなくさせているが、やがて調子の落ちたことは、読者一般にゆっくりさとられてゆく。むろん「わかりやすさ」については、ドラマで問題にされていない。
 
昨日の回では、ゴーストライター使用告白で権威失墜した中谷美紀に代わり、代筆したすべての著作の名義を自分のものにかえてもらった水川あさみが、衆目注視のなかで新作を書いたが、プレッシャーで伸び伸びしていない、という展開となる。物語的にはそうなのだが、もう会う理由のなくなったふたりが、どのように再会するかでドラマは工夫を凝らす。「偶然」の使用を、可能なかぎり嫌う橋部の姿勢がうつくしい。やがて次回予告篇で、中谷に執筆意欲がよみがえり、ふたりの優劣関係がさらに逆転するのではという予感まで駆り立ててゆく。
 
現在の(大衆)小説は資料駆使が要る。それで編集者の補助が必須化される。場合によってはそうした便宜性により、出版社からの囲い込みを作家がすすんで受け入れることもあるだろう。ただし執筆そのものは、魔物と遭遇し、その魔圏のなかにはいってゆくという磁力の問題なのだとおもう。『ゴーストライター』のすぐれた点はこの勘所にふれていることであって、そこでこそ中谷・水川に相似性が刻印される。つまり、「似ているものどうしの重複とずれ」、いわば暗喩と換喩にかかわる考察が、小説執筆の具体性へと転化されていることになる。じっさいのドラマは「運動」と「方向」をも純粋に描いているのだ。それがじつはドラマの登場人物ではなく、このドラマの本当の当事者、橋部敦子の「位置」に反射する。メタ構造をかんがえざるをえないドラマなのだった。
 
中谷の気取り、水川の花のなさは、ドラマ自体が要請するものだから、なんともいえない。特筆すべきは、無表情の執事めいたキムラ緑子が発する「隠れレスビアン」の地味な妖気。昨日放映分では、それが悲劇的に発露した。そうなれば田中哲司がどう破滅するかにもいよいよ期待がつのる。
 
 

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2015年03月04日 日記 トラックバック(0) コメント(1)

中谷美紀さんといえば、黒沢さんのLOFTを思い出しました。

2015年03月07日 fearon URL 編集












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