「すこし」「なにか」
【「すこし」「なにか」】
76年にリリースされたストーンズのアルバム『ブラック&ブルー』に、よれよれで、ときに場違いなほどロマンチックな内省もこめられ、それゆえに感涙必至となるラヴ・バラード「メモリー・モーテル」が収録されている。ミックの不良っぽくダルな訛り、曲テンポよりもさらになにかをスロー化させる「粘着映像的な」エロキューション(口跡)が至宝で、この年齢になってもわすれられない。その出だしの歌詞に、高校時代のぼくがすごく動悸したことがあった。訳してみると――
ハンナ・ハニーは
桃みたいにフルーティなギャル
ひとみはハシバミ色
歯がすこしだけ反っていた
四行目の英語原詞は、“And her teeth were slightly curved”なのだが、美質としてかたられる「歯の反り」の微少さslightnessがどの「程度」なのかまったくおもいえがけず、それゆえに自分の感覚の不可能な深遠に接した気になったのだった。反っ歯というハンディキャップがかわいらしさにかわる「反りの具体性」は果たしてこの世に存在するのか。言い換えると、「すこし反る」と綴ったとき、それはほんとうに顕在的に反っているのか。むしろ心情的に反っているのではないか。
ここで「すこし」という副詞(節)の不思議な作用におもいいたる。「すこし+動詞」という配合は、むろん動詞そのものを微細化・微妙化するのだが、それはその動詞効果を否定するぎりぎり手前までの極限化すら出来させるということだ。たとえば「すこし嘔く」でも、「嘔く」と「嘔かない」の中間域があいまいにひろがり、「嘔かない」のぎりぎり手前の微量を、像的に湧出させることがあるのではないか。これは「大量」をなにかべつのものでかすませる、否定よりも効果のたかい根源的否定、というべきものだ。ここで差異の本質を敵対ではなく微差としたドゥルーズ『差異と反復』がおもいだされる。
この「すこし」の特性を完全に意識したのは、1980年発行の「夜想」2号でだった。カルト&文芸カルチャー雑誌として東京ニューウェイヴたちに注視されていたこの今野裕一編集の美的刊行物は第2号でシュルレアリスム系の人形作家=写真作家のハンス・ベルメールを特集する。そのベルメールが挿絵を書いた周縁的シュルレアリストにして少女狂、ジョルジュ・ユニェの詩集『枝状に刻みこまれた流し目』が若干26歳の東大院生・松浦寿輝さんによって翻訳されていて、《彼女たちは非人間的に見える/妖精たちを隠しているから。》《彼女たちは四つん這いになる/青い砂糖を手に入れるために。》といった吉岡実的なフレーズのちりばめのなかに、以下のような決定的な詩行がみえるのだった。
少ししか夢を見ない、しかしいつも夢見ている女たちよ。
夢は見られている、継続的に――しかしそれが少量の継続という限定をともなうときに、この「すこし」はべつな形容詞に変成する。たとえば「ほそながさ」などに。それで少女的な容積のちいささのなかを、なにか銀色の川が一定のしずかさでながれていて、それが夢といわれているような感触になる。これは、夢状のものと川状のものを、許容性のすくない少女的身体のなかで出会わせる、詠嘆とともに微細な暴力なのではないか。このときの「夢」のつくりだす、ほそいひろがりがすばらしい。そこから夢見ているようで見ていない、少女たちの倦怠のひとみが意識されてくる。
前回、復刊された松井啓子さんの伝説的な詩集『くだもののにおいのする日』から、「見たこと」が連打される表題作の一節を話題にした。その詩集には、同様の主題の極限をしるしながら、詩篇「くだもののにおいのする日」とはことなり、語彙がさらに減喩的にひきしめられた見事な詩篇「誕生日」も収録されている。以下、全篇――
【誕生日】
松井啓子
あの日は映画を見た
その前に 切符もぎのおばさんの手と顔
その前に 切符売りのおばさんの手と顔
その前に 切符切りのおじさんの手と顔
その前に 知らない人の靴裏を下から見た
あの日は映画を見た
バルドウが
ブリジット・バルドウの役をする映画を見た
『ぼくはブリジット・バルドウが好き』
という映画を見た
せんだって金魚売りを見た
少し歩いて
走ってもどって
金魚も見た
●
一聯で視覚記憶が遡行してゆく。「切符もぎ」「切符売り」「切符切り」と微細な偏差をくわえられてゆくそれらは、順にモギリ嬢、切符売り場のひと、駅にまだ自動改札のないころの改札駅員ということになるだろう。つまり繁華街の映画館で映画を観る行動が、「見たもの」によって逆回しにされている。とすれば、詩の主体は、遡行そのものを、順行のあとに「見返した」ことになる。そうした再帰性が視の体験の本質のひとつだと作者がいっているようなのだ。となると「知らない人の靴裏を下から見た」のは映画にむかう駅の階段での体験だろう。このときの仰角視こそが遡行を促したとすると、仰角視線と遡行記憶になにかの関連を作者がみとめている予想が立ってくる。
第二聯はフレーズ「映画を見た」が、反復による律動効果以上に、冗語的同質性を発散させていて、それでなにか体験=空間が入れ子化する感触がある。観られた映画は、ベベが本人役でカメオ出演する『ボクいかれたヨ!』だろうか。いずれにせよ、映画のなかの本人役は関係性の入れ子をつくりなす。そのことがこの聯の詩法をメタ的に決定しているとかんがえると、このなんでもないような冗語にひそんでいる哲学性がすごいとかんじるようにもなる。冗語を「見る」ことと「入れ子」を見ることがおなじ――作者はそういっているのだった。つまり冗語は空間的な奥行に「たまる」。
脱論理的な体裁ながら、「遡行を見ること」「入れ子内包を見ること」と論理的にすすんできたこの破天荒な詩篇は、第三聯=最終聯でしずかに爆発する。「せんだって」という語の斡旋の軽快さ。少女語が期待される文脈に、「せんだって」という「おやじ語」もしくは「公用語」が混入し、それにより詩のわたりに微妙なひねりが生じ、それが詩そのものの「動作」を動物的に生産するのだった。夏の風物誌、「金魚売り」がいつごろまで見られたかはつまびらかにしない。だからこそ読者の曖昧な記憶に、「せんだって」という時制が密着する。
金魚売りは、リアカーに金魚鉢、それに金魚を満載させて夏の日盛りを「金魚、金魚」と呼びかけをくりかえしつつあるいていたはずだが、「金魚売り」のもつアナクロニズムを意識し、主体は動悸しながらすれちがい、結局、金魚売りという「ひとの属性」だけが意識に刻まれ、その商売の物質的な証左となる「金魚」を見逃してしまった。だから《少し歩いて/走ってもどって/金魚も見た》。この「走ってもどって」の動作が、子どもじみていて、それは「せんだって」が相当の往年を指示しているか、金魚売りにより詩の主体が子ども返りしたか、それらどちらかの事態をしるしているだろう。
むろんこの文章の眼目からいうなら、「少し歩いて」の「少し」が「歩く」動作の実行範囲を朦朧化させる機能があげられなければならない。主体ははたしてどれだけ歩いたのか。それは第三聯が何を見たのかにかかわってくる。文字上では見られたものは「金魚売り」「金魚」になるが、実際は「客体」とその「付属関係性」、あるいは「往昔」そのものが見られていたのだ。
見ることは動作的には回帰(あともどり)をともない、その回帰がたぶん身のひねりtwist程度で充分であるなら、「少し歩いて」の「少し」はかぎりなくゼロにちかい歩行距離、じっさいは足でなされる方向変更ではなく、視線でなされる方向変更だったのではないかという気もしてくる。つまりここでは足の動作が書かれることで首の動作が無効化されている。身体部位間の消長がしるされているのだ。しかもその消長こそが「少し」と形容されているのではないだろうか。「すこしだけ」首と足とに奇妙な連携が走り、それで身体がざわめいたのだ。こんなに微細な身体哲学が、こんなにたくらみのないことばで書かれて、びっくりしてしまう。「うまい」のではない。「すごい」のだ。
「すこし」が動作の曖昧化をもたらすなら、名詞で曖昧化をもたらすのは「なにか」や「もの」など、間接性をつくりだすことばづかいだろう。その実例として、おなじ詩集から最後に詩篇「夜 あそぶ」全篇を引いておこう。ここでは詩篇「誕生日」(しかしこのタイトルがなぜつけられているかについては、いくつか予想をたてたが、結局かんがえがまとまらない)の意志的な抒情性低下とちがい、抒情性がたもたれている。「見た」という動詞がつかわれなくても、見たものが列挙されながら、時間が魔的にすすんでいったのもわかる。
【夜 あそぶ】
松井啓子
日暮れの庭で
母子が白く動いている
なにか している
頬をよせて
あちこち地面を指でなすっている
わたしには見えないものを
しらべたり
運んだり並べたりしている
けさ 四階の窓から
わたしは洗濯バサミをとり落とした
一緒になにか
あっと落とした その
下の方で
今は木琴の音がしている
のぞきこむと 暗い庭に
母と子の姿はもう見えない
深いところへ
もっといいものをさがしに
二人で降りて行ったのだ