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「永田耕衣」「松井啓子」 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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「永田耕衣」「松井啓子」

 
 
【「永田耕衣」「松井啓子」】
 
 
「減喩」という説明しにくいものを例示解析するには詩ではやわらかい詩作者たちがいろいろ存在するが、俳句では永田耕衣がいちばん近道かもしれない。それも耕衣とくゆうの禅臭にみちた衝撃句や諧謔句ではなしに、句的均衡のとれた非有名句をさがしだすのがコツだ。
 
両岸に両手かけたり春の暮
 
『殺佛』(1978)にみえる。均衡はとれているが、なにか世界認識の根源にであわされた震撼をおぼえる。話題になったことはなかった気がするが、耕衣の生涯句を最新集成した『而今・只今』(2013、沖積舎)の栞に中村苑子の往年の一文があって、それで生前の高柳重信が絶賛していたと知り、さすがの慧眼をおもった。
 
句意はいっけん不明だ。まあ「両岸」としるされて川をおもう読者が多いだろう。その川の左右の岸に「両手をかける」には、身体が川面に仰向けに浮き、膨張し透明化し、それで両手が磔刑像のようにのばされなければならない。
 
となると句の真諦は、句作者の自己身体幻想を読者自身のものにする読みから生じることになる。ともあれ句の主題が身体なのにそれは「両手」という部分でしかしめされず、場所の明示もないといった、ないないづくし、減少づくしで一句が組成されている。しかも初五と中七の「両」が換喩的な頭韻をかたどるというより、同字のせいで十七音のヴァリエーションを「減少」させているようにもおもえる(耕衣はこうした再帰性が自在だった――たとえば有名句《死蛍に照らしをかける蛍かな》)。
 
減少による欠落が、そのまま句意や「句の身体性」となって内在余白の位置から反転的にもりあがる。かたちであり、空間だ。この機微を「減喩」とよびたい。読者の心理にうかびあがったからだは、春ゆうがたの疲れはじめた川水と一体化して、しかもその疲労を全身で受けながしている。掉さしている。このとき世界内事象にたいする達観が身体経由でみごとに、かつ恐怖裡にもせまってくることとなる。
 
耕衣型の減喩は種類豊富だ。最晩年の直前期にそうした佳句があふれてくる。《減つて行く我や夕顔の遠近[おちこち]》(『葱室』1987)。破調がうつくしい。「我」の減少が明白に主題化されているが、夕顔のひらきあう不気味な原をまえにしている光景そのものが重要だ。夕顔の開花の無限。しかしその無限は無限のまま夕光のなか茫洋としてくる。幽霊化してくる。欠落的なまだらもある。その「多」に照射されて「我」の「一」が「一以下」に減少する体感が詠まれている。なんという照応図式だろう。
 
《朝顔の時間の高さ思わるる》(同)。「時間」に「高さ」という矛盾的な配合。どこにも蔓の「ながさ」への措辞がなく、読解がゆきまよう。朝がくれば朝ひらくその花を統べているのが「時間の高さ」なのか。それは花の鮮明を片方でもたらしつつ、蔓を朦朧化し、結局は朝顔の総体を「減少」させてしまう。
 
《曲ぬちに曲の滅〔めつ〕あり桐一葉》(同)。虚子《桐一葉日当たりながら落ちにけり》などの従来作が念頭にあるだろう。耕衣は桐の落葉を微視して、そこに音楽を聴いている。その音楽の「うち=ぬち」に、滅亡の芯まで聴きとる。視えているのは桐の落葉であり、音楽の減少、もっというと減少を内在させることでさらに音楽化が再帰する音楽のメタ次元なのだった。
 
《娑婆白うして黒白の牡丹哉》(『人生』1988)。色覚の減少。この世は白一色にしかみえない。そのなかに白牡丹が気配として咲くが、同時に「黒牡丹」もその陰画として隣在し、結果、「世界」は白黒=モノクロームのみずからを達成する。いずれにせよ、色彩世界は理不尽にも減殺されている。「白」といったん宣言・措辞して、しかもそれが「黒白」へと加算されるのは、「減少」世界ならではの図式なのだ。おなじ論理のゆくたてが「三つある」ではじまるカフカの箴言にもあった。
 
《六百年ざくら拝むや六秒弱》(同)。樹齢六百年のさくらは偉容と、おそらくは彎曲による妖気にとむ。とうぜん礼拝価値をもつはずなのに、句の主体は「六秒弱」しかそれを拝まない。六百年から六秒弱への縮減。だが「六」百-「六」秒の頭韻は、なにか本質的な同位性を掘りあてている。つまり六秒は同韻により六百年化するのだ。一瞬の礼拝は永遠の礼拝につながる。それにしても耕衣の「六」の数値にたいする親和はなぜかくも奇怪なのか。有名句《少年や六十年後の春の如し》をおもわざるをえない。
 
《女一人二少年と化す貝割菜》(『狂機』1992)。「一」が「二」になったのだから主題は増加ととられそうだが、時間は進行遡行が自在だ。しかも微視的にみられているのは茎が根もとから分かれているあおい貝割菜だった。したがって一単位=双葉状の貝割菜にあって「二少年」は総体では「女一人」であり、そこでは性が飛躍するほか、「一」と「二」がおなじという脱論理まで付帯させている。増加すなわち減少。貝割菜への嘱目詠をおもわせる結構は一見ちいさいが、減少にかかわる認識の深遠にまで届いている句柄は哲学的におおきく、これまた耕衣の代表句とよぶべきなのではないか。
 

 
松井啓子の詩作の総体的な印象は、詩行的な加算のズレがユーモラスに、かつリズミカルにうまれてくるながめだろう。だからそれは換喩的とひとことでいえるが、真骨頂は以上のべてきたような減喩、その生動の瞬間にこそある。これがなかなかつかまえがたい。というのもその瞬間には、「みえるもの」「みえないもの」の葛藤があり、そこに身体が出現する定則があるからかもしれない。
 
いまのところ最後の詩集刊行となっている『順風満帆』(1987、思潮社)。いっときの彼女は競輪ファンだったのだろうか、冒頭収録詩篇「先頭固定レース」は競輪を題材にしている。発想が奇怪だ。たぶんファンだったM選手(このイニシャル表記は、詩集末部ちかくに収録された「順風満帆Ⅲ」で、たぶん「三木選手」と同定される)が頸部裂傷(骨折?)事故による意識不明で入院していて、その病床で彼と詩の主体がありえない会話を交わし、その後、M選手不在のレースが観戦されるという入れ子型の経緯をもっている(しかもそれが無媒介にしるされる)。
 
前段を説明しておくとM選手の現実味のない譫言からは「ぎおう」「とじ」「しゅんかん」「あわのないし」「これもり」「ときこ」(これらは「祇王」「杜氏」「俊寛」「阿波の内侍」「維盛」「時子」と、『平家物語』ゆかりの語に漢字変換できる)などと選手名がかたられ、それらが出場しているレースが何層にもわたる変換(たとえば選手たちはイヌ化される)を介在させて超絶技巧的に描写(実況)される。その聯(最終聯)――
 
(見てな
先頭を走っている犬
あいつはレースに関係ねえんだ)
Mが前に言ったとおり
風よけの「ぎおう」一匹
弧を描いて
コースを大きくはずれ
Mが前に言ったとおり
残りのイヌが
全力で走り始めたら「M」
次のレースも私は「M」
(きょうのレース
おれ出てねえんだ)
ただ M選手だけ
呼びつづける
 
不在のM選手の車券を買いつづけ声援を送る主体の逸脱のほか、レースの先頭を走りつづけるイヌも示唆され、そのイヌが先頭のゴールをいつも切っている見切りが間接的に生じるが、だとするとそのイヌこそが主観的にはM選手ではないのか。ここには不在者がたえず勝利するという鉄則があり、同時にその事態には配当金がないという絶望もある。

それとともに、レースという伸縮性のある帯状の配列に、不在者の加算が起こっているのだが、そのことがじつはその配列を意味的に減少させている逆説もうかびあがってくる。耕衣が貝割菜に「女一人」と「二少年」を同時に視たように、ここでは「犬たち(多数)」と「先頭を走る(レースに関係ない)犬(一匹)」の等価性が示唆されているのだった。競馬では騎手の落馬した失格の裸馬が、騎乗体重がなくなった自由さから先頭でゴールを切ることがよくあり、その馬に賭けていた客が「勝った勝った」と客席からよく冗談を飛ばす。
 
本稿の冒頭で引用した耕衣「両岸」句であきらかになったように、減喩では「身体」がみえなさのなかでうっすら実質化する。この点は松井啓子でも詩作の主題系のひとつをなしている。一般に「書き足りている詩」がすこしもこわくなく、また「書き足りないとなげくことでじつは書き足りている詩」も自意識過剰でめんどうなのだが、松井的措辞はいつでも耕衣とどうようの無媒介性によって「書き足りなさ」=「減少」が、身体を造形する深遠をひらく。現在の多弁な詩作者たちへの薬となってもらいたいくらいだ。
 
『順風満帆』所収「霹靂」は《落雷で割れただけなら 心配ない/たとえ粉ごなになったとしても/あとでまた もとの大甕にもどるから と/野に出て/ばりばりと/稲妻を浴びてみたのだ》という、クライマックス感のある聯から無媒介にはじまり、あとは時と場所をかえて自他の弁別なく、「身体」異変の光景が淡々と並列されてゆく全体構造をもつ。いずれも風雲急をつげる状況ながら、書かれかたにユーモアや脱臼があって、しかも「冗長」により可視性まで低下してくる。詩篇全体が「外れた場所」から書き換えられている二重性の感触があるといっていい。このとき要約不能性のなかに一瞬、おそろしい「俳句素」が閃く。こうした不如意な構造は、意志的な韜晦をふくんでいる。この詩作上の毒素が、松井啓子から以後の詩歴をうばっていったのだろうか。第六聯――
 
私は走った
最後のひとりの私として
屋根のあるところまではと
油紙になって
飛びこんだあの店の
ビッグ・バーガーがあまりにも大きくて
どれくらい大きかったか
というと
「この世も
すこし遠出すると
あの世そっくりになるでしょう」
店の主人が言ったのだ
それっきり
店中の電気が消え
いくら呼んでも誰も出て来ない
 
「店の主人」の引用科白は俳句的な光芒をはなつが、それが奇怪な物語とありきたりな空間のなかで故意に展開され、抒情性が錯綜してしまう。いってみれば「意地がわるい」のだが、「 」内の店主のことばはそのことで逆に読者をはるかさにむけて呪縛してしまう。それは詩文の「身体性」が、抒情性の減少のなかでこそ真に抒情化される(あるいは哲学性の減少のなかでこそ真に哲学化される)減喩詩の構造をメタ的に外化しているというべきではないのか。
 
いずれにせよ、松井的身体は、詩篇「くだもののにおいのする日」で洗髪の女からふたなりの動物に女湯内の視野が移ったように変貌する。身体の変貌可能性こそが女性性もしくは人間性だという信念があるかのようだ。この「くだもののにおいのする日」の聯を延長させたかのような詩篇「情話」がじつは『順風満帆』にある。そこでは銭湯の女湯に「大仏」がはいってきて、いったんは「庵主さま=尼」と換言され、ただしだれにともなく語られる来歴述懐により越後獅子唄いとも、もしかすると瞽女ともなり、いよいよ対象性が分裂してくる。「遍歴が形象をふくんでいる」ためだ。
 
このことが詩篇の最後の聯で、詩行のわたりそのものへと収斂してゆく。減喩的な詩行のわたりは、理路に似ない脱同一性を進展力にするかぎり、じつは連句的進行を志向するとわかる。連句にいう「打越」での相似の忌避は、分岐性とともに減少の創造をももたらすはずだ。その最終聯――
 
根も葉もないうわさを あちこちに
ばらまいて
体の前を洗っただけで
女湯から男湯へと
大仏は
はしごした
 
語連関がすばらしい。名詞をひろいだしてみようか。「根」「葉」「うわさ」「体」「前」「女湯」「男湯」「大仏」「はしご」。けっして理路ではつながらない単語どうしが最短距離の簡潔な構文でつながり、その語間に「付合」的なスパークがあるとともに、不規則にみえてもじつは練られている詩行分岐そのものも連句の長句短句のつらなりをおもわせる。けっきょく大仏は「ふたなりの動物」だったのだが、その「動物」のもたらす遍歴幻想は、人間の外側をはるかに荘厳し、人知以遠の領域を線型化もしくは円環化させている。
 
ともあれ「詩そのものの身体性」と「詩のなかに現れる主題としての身体」が意味や説明の「減少」によって同時にあやふやな変貌可能性をもつ点が松井詩の真諦だった。彼女は女性詩隆盛の80年代、危険な賭けをしたのだろうか。そうはおもわない。それは趨勢を「すこしだけ」進展させた誘導だったし、女性の変貌可能性なら支倉隆子などにも共通していたものだった。
 
ただし松井詩の特有性は、変貌と減少とが相似るということだったかもしれない。たとえば「とあるからだ」からそのものの負う声とは「べつの声」が出てしまうモチーフが松井詩に散見される。それは「べつの声」を基準にすれば増加なのだが、「とあるからだ」を基準にすれば減少になるという回転双面性をもつ。意外なことにこのことは、前言したように耕衣句の展開と並行していたのだった。このモチーフを『順風満帆』から引こう。最後に収録された「私の声」の冒頭と終結部をつなぎあわせてみる。
 
 ある日ふと、出かけてこよう、そして帰ってくることにしよう、と思ったので、立ちあがりました。
 それでも、出かけてゆくところを見られないで、またここにもどってきているとしたら、どこへも行かなかったきのう、おとといと同じです。せめてそのことを声に出して、「きょうはちょっと出かけてくる。でもじきにもどってくるわ」と言ってみました。すると、その声は私の声ではありません。一度も聞いたことのない、男のひとの声でした。
       *
 やがて声は、私の口からひとりでに飛び出して、「きょうはひどくさむいな」と言い、「もっと薪をくべろ」と命令します。ときには優しいときもあり、「ふとんをもう一枚重ねたほうがいいぞ」と声が言えば、私はそれにしたがいます。
 あれから私がしみじみと考えていたことは、「どういうことについて、おまえは、しみじみ考えていたのかね」と声が言い、つまり私は、この先、私の声といっしょに暮らしていくことになっているらしいのです。
 
「私」を主体化している女性詩としては飄々としすぎ、作者の抒情否定の狷介さをかんじるという向きがあるかもしれない。この詩篇は「声」を軸にして、「差異性」こそが「同一性」だとかたっているのだろうが、それをしも熾烈にすぎるとおぼえられるかもしれない。ならば身体の変貌が遍歴性を加算して、抒情性を吸着してゆくフレーズ(これだってじつは熾烈だ)を最後に引いて、この一連の松井啓子を導入項とした詩論をとじよう。像の分岐が「減少」をも想起させるせつなさを以下にかみしめてほしい。第一詩集『くだもののにおいのする日』から詩篇「夢」の最終部分――
 
私はひとりのひとと二夜交わることがない。陽が昇るたびに、どこかの村はずれのような道端で私は目覚め、くり返しはえそろう草のようにくり返し、花嫁になることだけが決まっている。
 
 

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2015年05月17日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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