道立文学館での支倉隆子主催イベント
【道立文学館での支倉隆子主催イベント】
昨夜の北海道立文学館での、支倉隆子、川瀬裕之さん主催の詩のイベントは盛会でうれしかった。ぼくの学生もきた。展示室の川瀬さんの絵に圧倒されつつ、その会場にはさらにべつの魅惑もあった。みじかい詩句が間歇的にちりばめられている支倉さんお手製の豆本が売られていたのだ。
和紙をきれいにおりたたみ、器用に和綴じされている。ひらいてゆくと、ところどころに印字した短冊がはかなく糊付けされていたり、手書きのみじかい詩句が添えられていたりする。全体では空白が有機的に流動している。ちいさいながら、あるいはちいさいがゆえに、一冊の「ながれ」が見事に音楽的なのだ。文字で書かれた楽譜、本のすがたをしたひとつの還元不能性ととらえた。
いっけん可愛い創作物とみえるかもしれないが、不整合・融通無碍・狷介・抒情美がそこに滲んでいて、やはり支倉色が面目躍如としている。しかもそのテキストは「てのひらに置いた感触」「頁をめくるゆび触り」「頁ごとのレイアウト」をも内容にふくみ、おそらくは支倉さん自身にも、見開き単位の写真撮影など「資料」がのこっていないだろう。唯一無二という点では絵画などの展示型芸術品に似ている。出演の謝礼を軍資金にして、うちの一冊、「最初の柳」と題された手製豆本を買ってしまった(なお会場には、ぼくの知らなかった支倉さんの小ぶりの詩集『オアシスよ』〔83、砂子屋書房〕もあり、それも買い求めてしまった)。
イベントそのものは、最初に簡易な仮面(というかナポレオン・ソロ型の目隠し――ただし色は白)をつけた支倉さんの妹ふたり、それに新井隆人さんをメンバーにしての、支倉「詩劇」の上演で開始された。演者は空間内を抽象的に佇立しながら、後ろ向きのすがたを自分の発声時にのみたとえば振り返らせるなどして、詩句を連関させてゆく。ことばのぶつけあい、輪唱的な受け渡し、独吟と沈黙の対照など、身の置き方と発語内容により、三人の関係が千変万化する。川瀬さんが簡易なかたちで音響を担当していた。支倉さんの詩劇じたいは、同姓・支倉常長の慶長遣欧使節伝説を、さらに複層化、多形化したもので、音韻性が前面に出ていた。終わりにちかづくと同時発声が起きて、バベル的な混乱もふくれあがっていった。
その後は、支倉さんゆかり、北海道在住の詩作者たちによる朗読、それに支倉さんの妹・藤山道子さんのソプラノ独唱などとなり、ぼくもそのうちふたつの朗読で壇上にのぼった。
いっておくと、ぼくは朗読が不得手だ。極端に。幼児期に必要だったなにかの形成過程をあいまいに徒過させてしまった結果なのはわかっている。口唇の連続運動が不正確でだらしない(ずぼらな省力性も原因している)うえに、舌のうごかしかたも雑駁で、おそらく分析すれば、一定の母音連鎖、子音連鎖に齟齬がでていると判明するはずだ。しかも朗読用に書かれてある字にたいして視線移動が速く、口の運動神経のわるさをせっかちさが度外視するので、等時拍のリズムもがたがたになる。結果、頻繁に「噛む」恥しい次第となる。
ぼくは詩の朗読の要請をずっと恐れてきたのだが、最近はつかう語彙が平明に変化し、朗読にさらしてもよい詩篇なら、かたくなに拒むのも愚かしいとおもうようになった。それで朗読が下手だと聴衆に前置きして、「噛んでも」朗読をつづけるのもアリかなあと。満身創痍にみえるのなら、そうした自分をことさら晒してしまおうということだ。
詩が書き手じしんにより朗読される局面には、しばしば東京にいたころつきあってきた。よくいうが、「詩人さん」の朗読はおおむね以下に三分される。「アナウンサー読み」「俳優読み」「ミュージシャン読み」。
叩きつけるように書いた詩は叩きつけるように読まれる。それでリズムを強調したミュージシャン読みが成立することになるのだが、伴奏音・自演音などことば以外の音の実相を欠いていて、その欠落を侘しいとおもうことがある。とりわけラッパーが活躍する現在、ラッパーもどきながら、かつ意味の通じにくい欠点をなおざりにしている、ミュージシャン読みの独善性が滑稽に映るのではないだろうか。
読みにドラマチックな抑揚をつけ、ときに顔の表情変化まで昂然と打ち出して、自愛モードをつくりあげる俳優読みは、読み手が陶然とさせる美男美女なら別価値も出ようが、詩の現在的な権能にたいして無頓着すぎるかんじがある。書かれた詩が書いた作者とこれほどたやすく熱狂理に「一体化」していいものだろうか。詩はそんなポジションにはないだろう。
他人の自己愛に直面する恥しさは否めない。そういう裏地を殺伐とモノ化する本当の俳優への崇敬もない。驕慢なのだ。たとえば萩原朔太郎の自作朗読は、のこっている音源を聴くかぎり、方言まるだし、ゆっくりと侘びていて、あれは朔太郎のキャラクターを不可解にモノ化する余栄にとんだものだった。老人めいた声と身体に、ちゃんと老人めいた隙間があって、上州のからっ風がふきわたっていたのだ。
詩の朗読は、その性格ではなく、さらに読み方でも二分できる。「朗々読み(腹式発声が活用される)」「ぼそぼそ読み」だ。ぼくはおおきな美声で朗々と詩を唄われると辟易してしまう。鼓膜もひびきすぎる。これも詩への権能づけの誤りではないか。詩の現在的条件は黙読で、その黙読からあふれてくる言外の声のもんだいなのだ。この声は、作者の声と読み手の声、それぞれを反映しつつ中間域にあるものだろう。だから詩を自分「のみ」の声で転写するときには、倒錯を告知する不如意の感覚がひつようとなってくる。それでじつは「積極的に」ぼそぼそ読みが選択されるのではないか。
このぼそぼそ読みの「いい感じ」に往年の西荻窪・葉月ホールハウスで出会ったことがある。松下育男さんが小池昌代さんの詩を読んだときがそれだった。
昨日は川瀬・支倉夫妻の「作品」の展示は特別展示室でなされたが、詩のイベントは館内喫茶ホールの椅子をならび換えておこなわれた。30席ほどがぎっしり客で埋まったので、最後列は演台からかなりとおく、朗読は声を「飛ばす」ひつようがあった。ぼそぼそ読みができない。それでたぶん口腔や咽喉に要らぬ緊張がはしったのだろう。おおくの朗読者(ほとんどが中年以上の女性)のする流暢なアナウンサー読みのなかにあって、ぼくの朗読は噛みまくる、不恰好なものに終始した。それでもそんなに恥しくはなかった。
会場に来てくれた学生の感想によると、「リレー詩「札幌は」」は可聴性があったようだ。これは朗読をもともと意識して書いたものだった。朗読の練習は事前にしなかったが、音韻と意味形成の一層性そのものが、すんなりとした朗読を喚起したといっていい。
ところが刊行予定の詩集からの詩篇は、朗読可能と自己判断したものの、勝手がちがった。同音異義の語彙がなく、字の視覚性が前提になっておらず、なるべく和語が使用され、意味が継起的に加算されてゆく詩篇をえらんだ。選択にはまちがいがなかったとおもうが、読みのリズムがときどきガタガタに崩れてしまった。つまりぼくの口腔の運動神経がクリアできない母音連鎖、子音連鎖があったのだ。はっきりとした読みにならず、読みながらこまごま復誦訂正をせざるをえなくなって、詩にもともとあったはずの等時拍が分解してしまう聞き苦しさがところどころ出てしまった。そうなると聴くひとの耳から心地よさが失われ、読まれる詩への没入がむずかしくなる。
ぼくの朗読は「一勝一敗」にちかかったようだ。まあ能力なりの結果といえるだろう。それでも壇上で「愉しかった」のが、朗読拒否をくりかえしていた以前からの変化かもしれない。今後、朗読用の詩篇を積極的に書くかどうかは決めていない。自分が朗読に向かない書き手だとは重々知っているからだ。
詩のイベント終了後は、学生ふたり、それに弘前からいらして見事な朗読を披露なさった船越素子さん、司会・朗読と八面六臂の活躍をなさった海東セラさんと飲んだ。川瀬・支倉夫妻には、来週、別途会いにゆく。