市川春子・宝石の国 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

市川春子・宝石の国のページです。

市川春子・宝石の国

 
 
市川春子のコミック『宝石の国』が大傑作だ。さきごろ第四巻が出て、未明あらためて全巻を読みなおした。
 
設定はSF。多くの月を分離してひとつの岸辺のみになった陸に、金属的結晶体の生物20数体のみが残る。それらは意志をもち、うごけ、しかも再生すら可能で、ひとりの超越的な僧侶のもとにそれぞれ役割分担をもつ。とりわけ月人たちの反復攻撃にたいし、それぞれの特性をもちいてどう対処するのかが描き分けられる。しかも主人公の定着により、自己実現の葛藤が主題化される。『エヴァ』以降の歴史観が体現されているのだ。
 
結晶体たちは、それぞれかわいい女の子にみえるが、性別がないらしい。しかも年齢はみな数百歳以上。「彼女たち」が飛翔し、しなり、ひるがえり、くだけ、その細片がふたたび結集して再生にいたるさまなどがノンセクスなもの特有のエロスをおび、動悸がやまない。大した生成的少女論だ。それに見合って、仏の物象を借りた月人たちも、斬られればその断面が蓮型で、しかもそこから細糸の束や漿を吹き出したり、複合をくりかえしたりする。徹底したメタモルフォーゼ表現なのだ。
 
相互に類似し、判別のむずかしい多様なキャラクターが多数登場するので、「だれがだれか」をつかもうとするだけで何度でも繙読にむかう。世界観も上記のように極度に複雑。なめくじのキャラクターが出てくるときに、謎めいた設定の「奥」がすこしあらわになる。かつてはこの星に「にんげん」がいた。それらは月の分離時についに、そのものが分離した。そのうちの「肉」が海中にただようなめくじになり、「骨」が主人公たちの金属的結晶体生物になり、「魂」のみが月へ昇って、それが月人になったという。つまり月人による金属的結晶生物への攻撃は、「復旧」「回帰」を目的としているらしい。ただしその仮説が真実か否かは予断をゆるさない。
 
矩形のコマのみと、コマ割がスタチックだが、戦闘シーンでは異形の形象、異形の能力による変化が細分的に展開し、そのなかで投網状の「放射」、落下、切断、飛散、移行などが連続し、「うごき」が極度に幻惑的になる。うごきそのもののエロスを堪能するために、読む者の視線移動は、スローモーション的な粘着変化を味わおうと、しぜん遅延化してゆく。結果、それぞれのコマ連関・コマ内はアニメよりもふかい機密性をもって「うごく」のだ。なんたる奇蹟。
 
運動線はいっさいない。ところが破壊や変容にともなう具体物としての「線」「光条」が運動線に似た運動の散乱をしるしづけ、なにがどううごくのかが、わからないものまでふくみつつ「すべてが」「実際にうごく」。ゆるやかなのに高速という運動感知の二元性は、麻薬的な陶酔をもたらすだろう。もういちど言う、「うごき」がエロチックなのだった。ほんとうに作画がすぐれている。市川春子は現在のマンガ家では、森泉岳土とともに天才だとおもう。
 
コマ割そのものに、「運動」を分割し、相互接着させてゆく展開の魔法があるとわかる。戦闘の向こう側、奥行は、遊星的な寂寥にひたされている。時間はコマ割によって空間化されているように一見おもえるが、空間が時間化されているのが実相だ。この確認により、さらに空間が空間化し、時間が時間化する再帰運動・再帰認識も付帯してしまう。この再帰性がほんとうのところ「うねっている」。
 
マンガはコマ割にともなう特異な表現だ。この特権に介入はゆるされていないが、詩でもこれをやりたいと、いつもおもってしまう。
 
 

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2015年06月30日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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