廿楽順治・五百羅漢寺
【五百羅漢寺】
廿楽順治
思っているほど
わたしの石は多くない
妻が泣きそうになっている
ふたりで
まだ小さかった太一のことをはなしていた
(五百もある)
ニュースでは
なぶり殺された子どもの話が
今日だれもが思い知るべきこととされていた
知らないひとは
他人の五百をみて
うすくわらっていたのだ
青木昆陽の墓にもいってみるかねえ
ただ
ひとに喰われるだけの
お芋の身の上のことをおもってみる
冷えたので
妻は
はんぶんでいいから
もう石の姿にかえりたいと振動している
ここはどこであっただろう
ふるい場所が
三十年かけてこの世へ浮かびでてきた
石の妻が
泣きそうになっている
待たせたのかな
わたしは横でだらしない五百になる
――「現代詩手帖」15年7月号、原文は尻揃え
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「散歩詩」へと詩風を移行させつつある廿楽順治の、目覚ましい達成のひとつなのはいうまでもない。それでもわからないことがある。まずは詩篇の鍵語となる「石」がそれだ。
東京目黒区下目黒にある五百羅漢寺に収蔵されている羅漢像は、すべて寄木造りの木彫りで、石造ではないらしい。ならば詩篇の「石」が墓石かというと、狭い敷地に建てられ、まわりを都市環境で囲まれた現代的コンクリート建築のこの寺には、墓地がないような気もする(行ったことがないのでじっさいはわからないが)。一般向けの屋内霊廟ならあるようだが、そこに墓石がならんでいるわけでもないだろう。
ただしネットで写真をみると、それぞれが微妙にちがうポーズをとる羅漢像群は黒光りして、石にもつうずる冷気を湛えているようにみえる。「木石」(不感無覚な朴念仁や冷感症)という成語もあり、化石ならずとも木が石にかようという、廿楽の物質的想像力が働いているのかもしれない。
羅漢はサンスクリット語「聖者」の日本化。五百羅漢寺は和歌山や島根や大分などにも名刹がある。なぜか羅漢は十六、十八、五百などといった複数でならべられる。聖者群のまぼろしを顕すためだろうが、となると上限「五百」は世界にもひとしい飽和数とかんがえられていたのではないか。世界が「聖」そのものと一致する死の限界数。
しらべてみると、目黒の五百羅漢は受難つづきだったらしい。五百羅漢寺はもともと廿楽夫婦の生家にちかい(夫婦は小学校の同級生)本所にあって、江戸時代は一時栄えたが、のち洪水にたびたびみまわれ、衰退をけみした。安政大地震で崩壊、べつの本所内に移ったが、桂太郎の愛妾によりさらに目黒へ移築されたという。これら艱難のあいだに羅漢像も流失喪失し、当初五百のものが305身に縮減しているという。この縮減がかえって限定数500を飽満させる想像力の方式に、たぶん書き手・廿楽の興味がうごいたはずだ。
想像の延長としてはほかの五百羅漢寺の存在も詩のどこかに置かれているかもしれないが、現今の対象は目黒在の五百羅漢寺とみて差し支えない。「青木昆陽の墓」がそのためにある。目黒の五百羅漢寺の近隣には初詣でにぎわう目黒不動があり、そこに甘藷栽培で名をなした江戸時代の植物学者・青木昆陽の墓があるためだ。この昆陽の干渉により、「200ちかくが消失した500の羅漢」「子ども」「甘藷」が想像裡に系をなす作用が起こる。子どもを藷にたとえるのは不謹慎だが、もともと不気味さが主題となっているのだからしょうがない。
それにしても多産として知られる廿楽夫妻にとって「まだ小さかった太一」とはだれなのだろうか。これも謎だ。ニュースで報じられた虐待死の児童と連動して、幼少のまま夭折した夫婦の子どものようにしぜん印象されてしまうが、おそらくは仮構だろう。つまり「トラウマのないこと」「ないトラウマ」がトラウマとなる逆転が仕込まれているのではないか。この精神分析的な立脚により、羅漢はラカンにもなる。「欲望は存在しない」「女は存在しない」「災厄は存在しない」…。
「現代詩手帖」同号に掲載されている「ポスト戦後詩・20年」のほかの詩篇では、「記述」が散文系に参与してしまう平叙体もしくはそれを壊そうとする病体(=シンタックスの崩壊)なのにたいし、廿楽の詩がぬきんでているのは、書かれたことが書かれたままに「張りつめながら」、理路も意味形成も足りず、このことから「空隙」がうごく不埒さがあるからといっていい。
改行をほどこされながら意味形成の単位となってゆく構文が相互関係の断絶をしるしていた最近までの廿楽詩の定石が、彼の初期に復して、微妙に構文相互が連絡しあう機微をとりもどした点に気づく。だから「消失した羅漢」「死んだ子ども」「甘藷」が、喪失の連盟として数珠のように像をむすびあい、欠落形の世界の冷えた感触をせりあげてくる。これが「三十年」を経て生じる感慨なら、「太一」は三十年前に死んだ、という物語までしめされようとしているのかもしれない。「ひとに喰われた」にちかい無慈悲。このとき逆に「聖者の聖性」が、羅漢から「死んだ子ども」「喰われた甘藷」にまで舞い降りてきて、なにか途轍もないもの(「世界構造」といったもの)が追悼されている奥行が生じてくる。
「泣きそうになる」「妻」が詩篇のもつ悲哀の感触の中心にあるのはむろんだが、修辞が(空隙をもちながら)満ち足りる全体の構造により、悲哀は世界の容積とおなじに拡散さえしてゆく。それで妻恋の詩篇であるかがおぼつかなくなる。それよりも、妻にかんしてはこういうべきだろう。彼女は詩行の理路を飛躍と捨象によりくるわせる、脱論理の機縁になっていると。それは冷遇ののちの厚遇、もしくは厚遇ののちの冷遇というべきで、むろんそうした存在規定の多元性がこの詩篇を貫通している認識なのだった。
《思っているほど/わたしの石は多くない/妻が泣きそうになっている》――発語の運動としては足りているのに――「多」という字さえ一回もちいられているのに――そこから「目減り」が無媒介にはじまる、この詩篇の書きだしにざわつかない読者はいないだろう。いつもどおりの廿楽詩の威嚇性。むろん威嚇はそれがいかめしいときには自己実現がならず、やわらかく欠落しているときにこそ威嚇じたいになるという、ことば(のはこび)の判定が廿楽にできている。とうぜんのことにすぎないが、それがわからない無恥の体系こそ一般にいう「現代詩」なのだった。
詩が論理による骨組だというかんがえもあるだろうが、それには与しない。ひとのけしきとおなじように、骨組がはっきりしなくても骨に肉がつく風情がまぼろしにみえたり、そのまぼろしが動作するのがおかしかったりするのが詩ではないか。つまり「空隙」がゆらめくことで、逆に動作だの肉だの骨組だのが阻害されるどうしようもない感覚の相関性に、ことばのはこびの苛酷さがひっそりやどる。逆説的にとられるかもしれないが、詩のことばが存在する時間はそこにしかない。
妻をもちだすことでの脱臼工事(照れもある)――むろんその白眉が、次の四行だろう。《冷えたので/妻は/はんぶんでいいから/もう石の姿にかえりたいと振動している》。のちには「石の妻」という言い方もでてきて、「石胎」の気配が不穏に生ずる。あるいは「塩の柱」となってしまう死=崩壊=結晶化の様相もにじむ。ただし骨子は「はんぶんでいいから」の限定だ。これこそが「そうなっていつつ」「そうなっていない」――つまりA=非Aの融即図式を召喚している。見消〔みせけち〕といってもいい。そういうものが「振動している」のだ。
「減ること」がえがかれるなかに、「減ってもまだあるもの」が同時に確保されている。この四行のことばのはこびは廿楽詩の真骨頂をしめすようにわたりが破壊的だが、それが同時に芳醇であるようにもみえるため、破壊の痕跡すらはっきりしない点がなんともすばらしいのだ。
「減りつつ書く」のが減喩の骨法だ。喩は減る(なくなる)。かわりにことばの空隙が仕種を散らし、書かれていることの残余が空白の身体性をもって「うごく」。ことばの亡霊が、ことばのすがたを温存させたまま、耳目に感知されてゆく。そのことで不気味になる。だが減っているのは意だけではない。作者の位置も減り、すべて世界に包含されてしまうぎりぎりわずか手前に、点のようなものだけがのこるのだ。そこにこそ「ないものの痕跡」が存在している。
もともと羅漢の五百は限界飽和数だったが、それをしめすには305になる減数がひつようで、こうした補完作用により、すでに305までもが限界数へと再規定されてしまう。この見切りがくりかえされれば、「わたし」もまた「一体のまま」《五百になる》。ごらんいただいたように、詩篇が最後にたどりついたのはそんな哲学だった。