元少年A『絶歌』書き込み欄
【元少年A『絶歌』書き込み欄】
日曜日、【元少年A『絶歌』】という記事をアップしたが、その記事につき敬愛する文芸評論家の神山睦美さんからFBに書き込みをいただいた。目立たない欄に書いたので、改めて書き込み自体をつないだものを新規記事としてアップしておく。非常勤出講先の講師控室にて不器用な扱いしかできないスマホでしるしたものなので、記述はそっけないですが、ご勘弁をねがいます。
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神山さん、ありがとうございます。少年Aのおかした犯罪自体が「作品」に似ていて、その犯人に分析力と離人傾向と自己顕示欲と騙り癖があるから事態が複雑になるともいえます。いわば症例の四重奏。だから彼については「ほぐしながら」の聴取が求められます。声を聞き分けるのです。「文學界」にどなたかの書評が載ったみたいなのでチェックしてみます
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作中、自己を示す人称にも興味があります。「私」が使われていたなら記述法と内容が変化しただろうと思います。一方、客観呼称が要請される場合は名前では「A」になり、小学校時代の渾名は勇を鼓し「アズキ」と標記される。著者が顔と本名を出さないのは卑劣だという意見がありますが、そんな戒律は存在しません。それと事件当時の名前は誰でも知っていますし、現在の本名が露見すると彼は生活不能になります。顔については、近影がネットアップされています。いわば自明の名前と顔を求める倒錯的身振りが主題ながら、現在の名前だけが秘匿の保証になっている。しかしこれとてネット上に諸説があがっています。彼はいま薄皮一枚で「透明な存在」であるだけ。自殺の惧れは高い
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完全な穴蔵を確保し、生活破綻を避けるのが、本当の執筆動機だったはずです。それでも被害者遺族に対し獲得した印税を全額提供する道義的可能性がまだ残されている。出版に関するそういう賭けについては指摘されていませんね
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考えるのは、罪とはもうそれじたい罰だという花田清輝のことばです。元少年Aは罰の遅延し続ける再帰性のなかで宙吊りになっている。これじたいはすごいことです
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被害者家族の意見には著しい欠落があります。淳くんは二度殺された、という意見ですが、とりあえず、その殺害と死体への加工の描写は書かれていません。著作が読まれていないのです。だからテキスト批評が必要になります。ただし淳くんの天使性、美しさを述懐した箇所は信憑の上で大きな問題があります
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著作を自負していて、被害者家族から印税を求められたら、自殺の可能性が高くなると思います
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読者には「共苦」の範囲をどこまで拡大できるかという難問がつきつけられています