アート・声・数 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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アート・声・数

 
 
数日間、FBへの記事アップをさぼった。ゆううつだったからだ。
 
ひとつの要因は天候だが、もうひとつの要因はとうぜん安保法案(戦争法案)の衆院通過だ。さすがに反対デモが各地で大規模に起こったが、傲岸不遜な内閣がそれでゆれることはない。60.6.15とはそこがちがう。これも安倍の「祖父超え」なのだろうか。こんご参院でも審議遅延が生ずるだろうが、60日ルールで破滅傾斜に変化は起こらないだろう。
 
自衛隊員を庇護しろということではない。戦争放棄だけが、日本の歴史的なアジア侵略、それへの贖罪証明だったからで、その証明の無化は近隣国への完全失調まで付帯させるとおもう。しかも戦後民主主義というのは一定の世代のアイデンティティの中枢でもあったはずで、それが崩れることは、実際は身体の滅亡すら結果する。これが為政者にはわかっていない。ほんとうのもんだいは国民の身体がまもられていないことなのだ。
 
むろんいろんな意味で「デモが起きない国」というレッテルは剥がれたとおもう。それでも今後の参院での審議に同調するように、ゼネストのおこなわれる国ではない。捨て身の精神がうしなわれているのだ。この風潮をつくったのが個々人の多忙意識や生活防衛意識で、だから不況化はその意味では国民の牙をぬく作為的なものだったといえる。民主党への一旦の政権交代すら、対抗勢力を完全壊滅させる何かの意図のうちにあったのかもしれない。
 
港千尋さんの本は、出ればいつも愉しみに読むが、新刊『革命のつくり方』はいまとくに参照されるべきかもしれない。副題にあるように、台湾ひまわり運動を契機に、対抗運動の創造性をさぐる、運動神経のすばらしい、写真付きの国際ルポルタージュだ。現在的な対抗運動の創造性は以下に要約できるだろう。
 
1. 場所へのリアリズム、叡智。
2. メディアミックス(とりわけケータイによる実況化)。
3. ブリコラージュ。
4. 運動に弱者(女性/老人/ハンディキャッパー)を内包していること。
5. 攻撃化ではなくアート化。
6.声。
7.数。
 
これはラッパーたちの混ざっている現在のサウンドデモ風のデモでも部分実現されていることだ。若い世代がもっと過激になればいい。その予兆はみられるようにすでにある。ロストゼネレーションが拡大して、捨て身精神がつよくなっているからだ。そのときの「身体」がどんな様相をもつかをかんがえている。ただし5と6と7――つまり「アート」「声」「数」は、いまだに足りない。
 
 

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2015年07月17日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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