山わさびたら子
【山わさびたら子】
土曜日は天候もいまひとつで、ならば来札した女房と、一日バス乗車券でバスのつなぎ小旅行でもしようかと、札駅バスターミナル(JRバス)のバス路線図をみながら行先をふたりして相談していると、見知らぬ老夫婦から積丹半島・古平の新家〔しんや〕寿司が旨いと話しかけられ、予定を変えてバスの長距離移動でその古平へ行くことにした。
いまだに『マッサン』ブームがつづいていて余市のニッカウヰスキー蒸留所までは道路が渋滞、その後はすいた。それで古平に着いたのがちょうど昼時となった。迷わず新家寿司にはいった。迷ったのは、うに丼にするか地魚握りセットにするかだったが、後者をえらび、カウンター席でぱくついた。世評どおり、やすくて旨かった。土瓶蒸しとエビの殻焼き付。堪能した。
二階に大人数の団体客を入れた混雑のさなかで(そのためクルマで通るフリの客を制限するため道路に面した入口シャッターを閉じていた)、寿司を供するのが遅れるかもしれないといわれたが、大将の手さばきが神業のように早く、待つこともほとんどなかった。
客あしらいのあかるく多弁なおかみ、その夫の大将、それと夫婦のたぶん息子の三人体制で、そこに地元のパート女性陣がくわわっている。ベテランのパートのおばあさんがうに丼の担当らしく、ミョウバンに漬けられていないナマのバフンうに、ムラサキうにを素手で手早く、酢飯を張ったお重にペッペッともりつけている豪快さにおもわずわらってしまった。団体用のうに丼が次から次へと完成されていった。
どこにでもあるような夫婦行脚。食後、古平のさみしい、ときには小雨まじりの漁村をぶらつく。漁船はもやい、漁師はいない。ひと気がない。そのうち「かねきち吉野」という小ぶりの水産加工場兼直売所が眼にとまる。はいってみると、古平の名産・すけとうだらからのたらこ加工品などがならんでいた。そこで「どこにもないもの」と出会う。
一体に北海道はたらこの水揚げ量全国一だが、たらこの加工品には恬淡で、デパートやスーパーの魚コーナーにも「ふつうのたらこ」が「ふつうに」売られているだけ。たらこはそのまま食べれば充分という、気のないスタンスみたいだ。むろん東京のデパートなどではいまや「めんたいこ」のほうが優勢で、博多の評判店からの名物品さえ目白押しだが、札幌ではめんたいこの比率がすごくすくない。つまり北海道から取り寄せたたらこを博多がめんたいこにして、北海道以外の全国に売っている。一次生産品だけ全国にながして加工品をつくらない、相変わらずの北海道産業の典型のひとつがたらこなのだった。
「かねきち吉野」はそうした風潮に一石を投じようとしているらしく、たらこの北海道ならではの加工品の品ぞろえを、ちいさい構えのなかに誇っていた。とうぜんめんたいこもある。ほかにはつぶ貝の塩辛もにしんの加工品もある。おばあさんの売り子の熱心に薦めるなかから、「やまわさびたら子」を買ってみた。あの静岡名産のわさび漬けの味がたらこに浸潤している、というあたらしい発想の品らしい。
翌日からごはんの供にと、食してみると、これがじつに旨い。女房も、あんたのつくる、チューブねりわさびをしぼりこんだめんたいこスパゲッティにつうじる味と絶賛。めんたいこをはじめて食べた小学生のときの驚きが、べつの味ながらたしかによみがえった。道産のたらこ加工品としてこれは全国制覇すら可能なのではないか。とはいえ、古平の港に「ひそかに」という印象で直売所をひらいていたあの「かねきち吉野」は、北海道のデパートに出店するなど積極的な営業展開をしておらず、「山わさびたら子」も現段階では知るひとぞ知る逸品の域にとどまっているにすぎない。
いずれは――たぶん十年後くらいに――名産品になるはずのものを、「いま」食べているという不可思議な感慨は、どこかで「味の未来」に接している体験の錯綜ともふれあっている。このことも、旨さに輪をかけているかもしれない。
滅多にしないことだが、このお店の連絡先を書きとどめておこう。
kanekichi@tarako-tarako.jp
当日は帰りのバスを待つあいだ、さらに古平の町を女房とあてもなくぶらついた。吉田一穂の詩碑があった。もっと行くとちいさな川の河口があって、そこにウミネコがいっぱいいた。一羽だけ、黒いウが羽をひろげて、周囲にウミネコを遠ざけていた。羽をひろげたまま静止している。まったくうごかない。そのすがたが威厳ある魔王みたいだった。