真夏の詩作
どうも最近の日々が冴えない。課題がすすまないこともあるのだが、やはり日中暑いのが要因のようだ。札幌の現在は最高気温30℃ていどで、暑気災害連続の本土からすれば手ぬるいとおもわれるだろうが、クーラーなし(札幌のマンション部屋のおおむねはそう)、ただ網戸、換気扇、扇風機をもって暑さをしのぐこの「原始装備」では、30℃だって超えがたい試練だ。最近の傾向らしい。地球温暖化を恨む。
おまけにぼくの棲処は市内交通の要衝に位置していて、クルマの量も多く、とくに日中、網戸にしているとうるさくてしょうがない。冬は二重窓を閉め切った無音状態にずっとあり、静寂に慣れきって読書などに集中しているので、騒音にたいしては脆弱な神経質へと様変わりしてしまった。
これも「札幌仕様」ということだろうか。さすがにいまは汗で肌がベタベタして一日一回はシャワーを浴びているが、六月までは風呂にはいらずともずっと肌がサラサラだった。札幌暮らしでいつの間にか汗腺が退化してしまったらしい。だから夏に東京へ戻っても汗を以前よりかかず、体内に熱が閉じ込められている厭な逼塞感が出る。これでは熱中症におちいる公算がつよいだろう。
札幌仕様というのは、根っからの地元民ならもっとはげしい。だいたい北海道は色白の美少女がおおいので有名だが、以前バスのなかでこんな色白女子高生たちの会話を聞いた。ゴールデンウィーク終了の頃。「東京へ遊びに行ったらさあ、陽射しがつよくて、灼けるどころか火ぶくれまでできちゃった。もう火傷だよう」。そうして真っ赤になった悲惨な腕を友だちに披露していた。
むろんいまなら夜の21時頃から朝の9時頃までは涼しい。その時間帯にしぜんと頭が冴える。となってずるずる昼夜逆転へも移行してしまった。そうした逆転生活は、汗だくで昼寝しているあいだに世界が進行している置き去り感・疎外感をつくりあげる。それでさらに精神的に低調になる。新聞さえ読まずに溜めこんでいた。これはヤバいとおもい、昨日、一週間分をまとめ読みをした。
今日は午前中、ひとからの連絡待ち。ところがそれが空振りして調子がくるった。その時間に意図あって、いまさらジョン・レノンをまとめ聴きしていた。午後になって取り戻さなくては、と取り組んだのが、必要ある読書ではなかった。昼間が暑く、うるさすぎるのだ。かわりになんと、ゲストとして招かれている関西の詩誌「イリプスⅡnd」の、九月中旬〆切の詩稿を早々書いてしまった。昨日の「TOLTA」にひきつづき、「またもや」という異常事態だ。
どうも精神に活力の棒をいれるのがぼくのばあい詩作ということらしい。とりくんでいる江代充さんの詩に触発された詩発想があって、その自分なりの調えのうちに、判断力が澄んでゆく。そうなると、精神の健康のため詩作を日常的に活用しなければならないことにやはりなる。いま日々冴えないのは夏バテもむろんあるが、連作というかたちでの詩作を不自然に中断しているからだろう。
それにしても詩誌へゲストに招かれて書くのは、きもちがいい。最近では海東セラさんの個人誌「ピエ」にも書いた。それと、いま出たばかりの『詩と思想詩人集2015』にも拙作が載っている。「詩論」というとんでもないタイトルの「詩篇」です。東京在のかたはぜひ大書店の詩書コーナーで立ち読みを。404頁です。