江代充について・3
(承前)
江代充の詩にかかわる印象として共通していわれるのは、「静謐」「敬虔」だろう。うち「敬虔」についてはのちに解析するが、「静謐」なら(とくに日本語の用例として)吉本隆明が『言語にとって美とはなにか』で展開したような分類も可能だ。まずはそこからはいる。
「うるさいもの」という逆元をとってみよう。それは「情動の露呈」「説明過多」「自己主張(とりわけ才能にかんして)」などの共通項をもつと即座に理解される(現代詩のおおくはそればかりだ)。間投詞や感嘆符が「うるさい」のは自明だとして、品詞でとりわけうるさいのが接続詞ではないだろうか。それは論理性の補強として文脈にあらわれる。これが過多になると読者は作者の運転にクルマ酔いするようになる。江代詩ではこの接続詞がおおかた欠損している。
句読点がうるさいのも理解されるだろう。文の連鎖は内在的に分節と呼吸を指示することができる。となれば句読点の頻出は、文の呼吸にかかわる顕在と潜在の一致、それゆえの二重性の露呈であって、過剰なものと映らざるをえない。改行詩は、句読点配置のかわりに折り返しをもちいることで、ことばのつらなりをなだらかに時空間化する。ことばのつらなりを束にするのは時間的な等質性だ。それが意味形成より先験するのが、詩なのだ。
作者の個癖もまたうるさいが、これが自己主張と連絡すると、重複が結果されてくる。まずは強調のための言い換え。江代的な「文」は、冗語をはらむとみえるばあいがあるが、じつは想起された領域の分離にともなうものであって、冗語のあるときは時間的微分、さらにはそれともつれあうゲシュタルト崩壊まで結果する。原理的冗語とよぶべきだろう。
これにたいし通常の強調冗語は、冗語そのものに未整理な感情の翻転がからみあって独立する。詩作者のおおくはそこに感情の証をもりこんだ気になるだろうが、それは「おまえ」にのみかかわりのあるものであって、世界とは無縁なものにすぎない。カフカのいうように、世界とおまえとの闘いでは世界に支援しなければならない。
とうぜん論理提示と主張が野合する語尾「である」(その弱拍形である「のだ」さえ)も詩ではうるさい。「である」は文脈を断ち切る乱暴さをもって、使用直後に空白(休符性)をもたらす脱臼効果としてのみもちいるしかない。「である」が過剰使用されがちな暗喩構文「A is B」さえあらかじめうるさいし、その詩的感興をうたがうべきだ。
ぎゃくにbe動詞ではなく一般動詞を主体にし、平叙体のなかに過去形であれ現在形であれそれが間歇的に配置されると、しずかさが湧く。江代的な感覚であれば、複文構造を駆使して文末動詞の頻度を低下させる意識さえはたらくだろう。
小説を主眼においた文章指南では、過去形あるいは現在形に統一された動詞文尾が連鎖すると単調が結果されると説かれる(三島由紀夫など)。そのため体言止め(倒置が内包される)、疑問形、形容詞文尾をまぜ、文尾にヴァリエーションをもたせてはと提案がなされるのだが、これもよけいなことだろう(自由間接話法だけが、換喩と関連して、ほんとうの意味の、他在的なヴァリエーションをつくりあげる)。同一性においてこそ連鎖のぜんたいが表面性のひとつ内側にしずんで、読者と作品を媒介していた文字の直截的な現前に寡黙をまとわせてゆく。いま現前しているものが目前にありながら再現的だという疎隔感覚のほうがむしろ読者を深部へとおろすのだ。
詩発想が病んでいると気づくときがある。徴候の特異点が品詞上ある。格助詞だ。とりわけ「に」がおおいのだが、なぜかおなじ格助詞だけが舞い込んでしまう文連鎖が出来することがあれば、発想が病んでいる。文そのものをつくりかえないのなら、別の格助詞で可能なかぎり置き換えて是正するしかないだろう。江代詩の格助詞はあるときは意図して誤用的だが、それにより、同一格助詞の重複が避けられている。種類ゆたかな格助詞により文連鎖をささえることが、世界を多様性によりみつめる視点をたんじゅんに裏打ちしている。
いずれにせよ、江代的想起が想起の順に精確に展開されるとき(これがのちの「写生」につながってゆく)、視点もしくは主体位置がいつのまにか移動しているのは、世界をおりなし、むすびの全景をつくりなしている「関節」を一方向からたとえば仰角しない制約が内在化されているためだ。
格助詞は多様性をともなって分岐し、それで書かれている構文そのものが多様に並立する。あるときは構文どうしの因果すらはっきりしない。そのありようが、世界光景の「ありのまま」とつうじあって、静謐がもたらされてゆく。このように詩世界の細部がべつの視点でささえられ、分裂が瘢痕なしに統合されているものいがいに、詩などありえない。
約言すれば、語義矛盾のようにみえるが「同一性が多様性をわかちあっている」調整的なながめが江代詩だ。そうした江代詩を読んだ直後に、べつの詩作者の作品を読んでそこに荒蕪や脱色をかんじない例は稀だ。江代詩の内在的反響性は、江代詩だけの再読をみちびいてしまう。
けれども江代詩が他領域にゆるす繊い線が確実にある。貞久秀紀、とくに最近の川田絢音など。静謐さの横溢のために、表面的な理路を否定する一群だ。そこでは「わかりやすさ」「抒情の同一性」がかんがえられていない。ことばの存在意義だけがしずかな呼吸でおもいつめられて、それが自発的に流露する。
以上、江代詩の「静謐」にかかわる使用言語/文法(分布)上の組成をみた。ところがじっさいのところ静謐は詩そのものの主題とも密接にかかわる。「生成のきざし」「それによる関係の微細な変化」がそれだ。以下にそれを分析してゆくが、『昇天 貝殻敷』『みおのお舟』期に考察を集中させるひつようがある。その後ではとくに「写生」の主題が、「生成のきざし」にゆるやかに添ってくるためだ。現段階では「写生」は分離しておく。それではまず『昇天 貝殻敷』から、現代詩文庫未収録「父」の全篇――
【父】
なつかしいとうちゃんの仕事場の
なつかしい職人の投げ出した足をこえ
消えゆく薄荷の匂いに導かれて
その意味はなぐさめの
特有の顔へ移っていく
地に向い
かがんであるくあのひとのかげ
その影から身をひいて立ち去るときも
わたしは正確に仰向いて
苦しむ顔を模倣していく
現代詩文庫に併載されている江代インタビューによると、江代の実家(静岡県藤枝市)の生業は洋服の仕立て屋で、おおくの職人をかこっていたという。繁忙期は徹夜にちかい作業を職人みながしていたのではないか。毛布にくるまり、ゆかで仮眠をとっていた職人たち。
仕立て屋の空間には奥がある。幼年のわたしは奥へゆくひつようがあった。ひとりの職人がうすやみに上体をおこし、わたしの挙動をぼんやりみている。わたしを許容している。やがてたちあがって、たとえば水を飲みにあるいてゆく。疲弊は色濃く、そのからだの移動をじかではなく影でたしかめると、すがたに俯きがかんじられる。
ちいさなものを許容する者にある赦しの本質――わたしは職人たちのなかでひとり、その職人を「あのひと」とよぶ聖別をこころにしるしている。仕事ぶり、容貌などに差異があるのだろう。わたしはその者と別方向へむかう。このとき影と実在、あるいは俯きと仰向きの差をこえて、「わたし」の顔が「あのひと」の顔とおなじに「生成」されてゆく。どちらもくるしみをかたどるためだ。ところがそれは自然な生成ではなく、わたしの自発的な「あのひと」への「模倣」によっている。
江代の詩世界内部にある幾段かの階梯を踏みわけるひつようがあるかもしれない。まず詩篇の全体イメージが「聖画」化するとき、とくゆうの呼び名が顕れる事例がおおい。「エリカ」がそうだし、「あのひと」もそうだ。どちらも具体名の脱色にかかわっているが、多くシフターが排除される江代の詩法則にあって、「あの」という指示性で名指された「距離を置く存在」は、礼拝対象になる趣をたたえる。「ここ」から「あそこ」へは渇仰の予感がわたるのだ。そうして地上にふつうにいる者でも「あのひと」と抽象化されて聖人化が起こる。「あのひと」の措辞はそのまま生成の一契機となる。
主題はみられるように、顔から顔への、主体だけに意識された反映だ。しかも江代的な世界では「模倣」と「生成」に弁別がない。なぜなら主体が生与的に敬虔・謙虚で、「なること」は「なぞること」でしかないという自己限定がともなっているためだ。
以前「ガニメデ」ヘ寄稿した文では、江代の達成のうち、この点にかかわりふたつの箇所をひいた。日記体裁(しかし日記的な事実性がたぶん部分的に詩性へと再編成されている――その意味で「文集」というよりやはり詩集とよぶべき)『黒球』(97)、その七四年七月六日の日付をもつ記載。《みゆき橋の夜。〔…〕わたしはそこを歩いた。わたしのKになって。》。「相似」のとつぜんの成立としては――《方方へ風が吹くので/倒れこんだくさむらの窪みにわたしは似ていた》(長詩「露営」〔『みおのお舟』〕冒頭)。
顔から顔への反映はむろん「愛情的」だ。たとえばそれで接吻もすでにくちびるどうしの接触のまえに自他の溶解をたたえる。接吻では溶融が接触するのだ。ところが、接触が予定されなくても顔への反映が成立する。このためにはむしろ遠隔が作用する。ベンヤミン『パサージュ論』に超越的な一節がある。《人間の顔は星の輝きを反射するために作られているという箇所は、オヴィディウスのどこにあるのか。》(『パサージュ論』Ⅱ、78頁)。顔は遠隔性からのエクランだ。江代詩では、そうした映写幕のようなものが仕立て屋の仕事場で、職人とこどものあいだにゆらめいたのだった。
「みあげること」は江代的な仕種のなかで生成を付帯させてしまう。その動作をみちびく恩寵が梢のなかにいてさえずりのみをつたえてくる小鳥だ。江代詩において「鳥」は初期から特権化されているが、のちには鳥と「わたし」のあいだに同一化生成が起こり、やがて鳥が科白として詩を吐く「鳥詩篇」の系譜が、『梢にて』、さらには『隅角 ものかくひと』(05年)にあらわれてくる。そうした系譜の端緒にあたる位置に、以下の『昇天 貝殻敷』所収詩篇がある。
【秋】(全篇)
プラタナスの葉がブリキのように曲がる地上の秋
雑踏する暗い胸が幾何の鼓動で大空をめぐり
どこかの入口からぬけ出した一羽の鳩が
つちつちと悲しみにぬれながら過ぎさった
わたしは羽音からきた金属のさえずりを持てあまし
探るような額で路上から仰いだ天使だった
叙景のつらなりを保証するのは「わたし」の視点だが、みられるもののほうが先験されれば「わたし」が消去される。ところが江代的聖画では最後の最後、「わたし」がつつましく可視化され、聖画世界の一角にとりこまれる。
詩で鳩、もしくは鳩の周辺におわされているものは、「ブリキ」「曲がり」「幾何」「金属」と存外にきびしいものだが、それは外界のもつ親和性がまずは非親和性として出現する事実に対応している。「羽音」が変成した「金属のさえずり」がつづくから、「わたし」は音の出処を渇仰するしかない。そのとき「わたし」は天使へと生成される。むろん単純な位置付与によるものだ。《わたしは〔…〕天使だった》と縮約されてしまう最終構文はけして自己愛的ではない。意志の場所はいつも疎隔状態に置かれる――そうした天使の立脚がわたしに作用しただけだ。
江代は小鳥類の鳴き声にオノマトペをつかう。朔太郎の「鶏」(『青猫』)にしるされるその鳴き声《とをてくう、とをるもう、とをるもう。》ほどには創成的でない。「とを=とほ」「くう=空」をふくみ、詩ではしののめの時間帯がつづられるので、朔太郎の鶏は空に鳴き声を投げながらも、「るもう」で自己再帰的な反転をともなうように、たしかに「かんじられる」。つまり「こう聴えた」以上の形象化をこの秀抜なオノマトペがふくんでいる。江代はそうした形象化を「減らす」のではないか。
「つちつち」はたとえば「キチキチ」にちかいが、「土・土」と異言化される潜勢をにじませる。空から大弧をえがいて降下し再浮上した鳩の群れのなかで(通常の飛翔軌道を超えて)空の「入口」から脱出してきた「鳩」にもじつは生成がまつわっている。その飛翔軌道の「曲がり」は黄葉して枯れ散るプラタナスの葉片の曲がりの反映をうけているのだ。プラタナスは地上から伸びている。だから鳩の「羽音からきた金属のさえずり」(とはいえそう書かれて、音の発祥基盤がどこなのかゲシュタルト崩壊する)が「土・土」とひびくのだった。
この詩には根底的な不明性がわたっている。「わたし」はどこを仰角視したのか。鳩の飛翔軌道にたいしてというのは一義的な読解で、冒頭一行、葉を落とし裸木になりかかっているプラタナスの樹冠部分すらふくまれるのではないか。「わたし」の「天使化」は透明なものを経由しての大俯瞰のもとに位置づけられる。この詩は、鉛直性を方向として読者が得るひとつの換喩構造のなかにしかない。そのきびしさが自己愛を峻拒する。気をつけるべきは、生成が多方向で、しかも徴候的だという点だ。それらが総体で均衡をつくりあげている。だから静謐なのだ。そこを「つちつち」が割りこむ。
生成は転移をともなう――これも江代的な法則だろう。それをしめす詩篇をさらに『昇天 貝殻敷』から召喚しよう。現代詩文庫未収録の詩(全篇)――
【白鳥】
私が魅せられた窓の女は
別の場所で私にはげしく触れてくる
別の女に酷似していた
星がのぼる冬
寮の裏手にしのび
輝く汚物焼却炉をのぞいていたとき
わたしたちが怖れたのは
そこの暗闇にかくれ
足から血を流している
もう一羽の白鳥だった
前回紹介した「顕現」と似た変容がみとめられる。終わりから4行目「わたしたち」とはだれとだれで構成されるのか。最終行「白鳥」になぜ「もう一羽の」という文節がうわのせされているのか。試験問題的な解釈ならば、一行目「窓の女」がわたしにくわわる「もうひとり」にならざるをえないが、それが三行目「別の女」をも包含しているというのが詩的な解答ではないだろうか。
「窓の女」「別の女」の分岐が「もうひとつの」というオルタナティヴを予感させ、結果、わたしと窓の女が「汚物焼却炉」の「暗闇」にみいだしたのもオルタナティヴということになる。
さらに問おう――そこではなにが「もうひとつの」という意外性をもともなって顕現しているのか。「別の女」「窓の女」を「先験的な白鳥」「別にあらわれた白鳥」に反映させ、なおかつ白鳥と女にもともとの反映があるとするなら、わたしの窓の女が焼却炉の暗闇にみたものは、ほんとうのところ、「窓の女」「別の女」「先験的な白鳥」「事後的な白鳥」、それらの分離しがたい混淆体=キメラではないのか。
それは分離しがたいのに、その「しがたさ」があらかじめ分離している。逆転のようだが、それが生成のかたち――きざしだと詩がしずかに、しかも恐怖感をもってかたっているのだ。
『昇天 貝殻敷』から別詩篇を。これも全篇引用するが、ここで分岐のかたちで生成されるのが、場所ひいては時間だということが気づかれるはずだ。
【内海の死のほとり】
海は海自体で反響している
わたしはうしなわれた波の上で
あなたへの声が自分にさえ聞えないと知った
わたしはゆうべどんな理由で
あなたの近くにいたのか
内海の死のほとり
静謐さのなかで、いくつかの驚異すべき点がある。1行目、空気や風とこすれあわないそれ「自体」の内部のうごきは、はたして反響として聴えるのか。つまり荒れ狂う海は水のなかを鳴らしているのか。物理的な水準でよくわからない。2行目「うしなわれた波」は「凪」につながって海のとどろきを消す効果をもつはずなのに、3行目、耳を聾せんばかりの波音によって、「あなた」への発語をみずから聴認すらできない事態がえがかれている。撞着かと捉えると、ふと2行目が《わたしはうしなわれた/波の上で》に分離してゆく。
主体が自ら(の発語)を聴くことが思考だとするデリダの音声中心主義は江代に参照されていないとおもう。声の喪失の多元化が主題になっていて、海自体の反響すら海のなかでは反響ではなく水流だとされているのではないか。「わたし」の自己発語はそれを模倣しているのだ。
4行目以降が、行空白なしに飛躍する。これも静謐の技法だ。《わたしはゆうべどんな理由で/あなたの近くにいたのか》と自問がなされれば、「愛の理由で」というのが解答だろう。ところがその解答は、自己内反響が水流になり、その声の判別がうしなわれる。とつぜん場所の代置が起こる。それが最終行《内海の死のほとり》だ。それはかたちのうえでは「あなたの近く」と同格で、このことを了承した途端、遡行が起こり、冒頭「海」との同定/非同定、あるいはおなじ場所の様相のちがいが「ゆうべ」からいまにかけて問われることになる。
理路が混乱する。「聴えていること/いないこと」「海/内海」「いま/ゆうべ」が論理的に弁別不能だと確認されてしまうのだ。一種の「様相の潰れ」(入不二基義『あるようにあり、なるようになる』)が顔を覗かせようとしていて、しかもすべてが寸止めの手前にあることで奇妙に静謐なのが、この詩篇の「場所」ではないのか。
それらが末語の「死のほとり」という天秤皿にのせられ均衡がはかられているが、ならば「もうひとつの」天秤皿にはなにがのっているのか。均衡であるかぎりおなじものが載っているとしか答えられない。つまり弁別不能なものどうしがつりあっていると使嗾する恐怖がこの詩篇の主題でもあった。
『昇天 貝殻敷』につづく『みおのお舟』では、「想起」にたいし(妙な用語になるが)「事実生起の写生」の気味合いがよりつよくなり、ほんのわずかだが、詩篇の趨勢が「よりながくなる」。気をつけるべきは、江代詩では回想が想起にずれる換喩的な鉄則のある点だ。そのとき「だれがだれを」という関係性が、いわば「世界原理」に逢着して不安定にゆらぐ。まずは以下を全篇引用――
【隣家の庭】
ながい午後の土間をとおり
ひとのいる部屋のまえを見舞って
友の名を呼びながら
あかるい戸口から庭のなかへ出ようとすると
見えない友の
寝たきりの祖母が
その友の名をはっきりと呼んだ
いまはここに
わたしひとりしか居てないので
まだちかいところへ
裏木戸からのがれでた
埋もれたとりでのうえから
友の声音でこたえようとするわたしなのか
計13行が連用つなぎの複文の駆使で、たった2文で構成されている(それぞれの文尾は7行目「はっきりと呼んだ」、最終行「わたしなのか」)。その構造じたいに錯綜感がある。「わたし」は場所の移動をともないつつその過去像を想起されていて、この不安定要素により、隣家の友の寝たきりの祖母が気配をかんじて友の名を寝床から呼ぶその声に、惻隠のあまり「わたし」が友の声音でこたえようか否かの葛藤が起こる。
「わたし」から「友」への生成が起ころうとしているが、詩篇の最終時制は、その寸止め的直前で、「――しようとするわたしなのか」という奇異な構文をつくりあげ、静謐が確保されることとなる。「わたし」にかかわる再帰的疑問文は、もともと逸脱的だ。現に問うている者と回答を第一に期待される者が同一だという自己言及パラドックス。詩ではそこに「わたしという亡霊」が二重化する。二重なものが一重に「潰れている」様相は静謐だ。杉本真維子の自己再帰文の奇妙な一節をふとおもいだした――《わたしは/やさしいか》(「やさしいか」『袖口の動物』)。
「わたし」もまた隣家とどうようの祖母をもつのか。あるいはもともと「祖母」というものに弁別などないのか。そのような根源的な不安におちいらせるように、『みおのお舟』では「祖母」主題のべつの詩篇も置かれている。「隣家」では「声への応答可能性」だった主題が、つぎにしめす「蛇」では可視化のむずかしい幻影が主題となる。書かれていることがわからないのは、カフカ的な精確さが過剰なゆえではなく(たとえば「父の気がかり」における「オドラデク」の描写)、「想起」そのものにある錯迷が「たりなさ」と手をむすび、それじたいの場所が余白となってしまった、倒錯的な光源化のあるためだ。その全篇――
【蛇】
白い手をつつみこみ
よこたわった祖母のいる物静かな部屋も
わたしのいる廊下も全部あかるいが
それはほかの者が暗い場所で
眠りつづけるからだろうとかれはおもった
わたしの膝頭はひかっている
よく転ぶ子どもだったからだ
白い蛇が廊下を這ってゆくと
近づいた部屋の障子に立ちあがる
おおきな鳥の影が仰ぎみえた
それはいっぱいに羽根をひろげ
わたしの白い手を孔雀のようにつつみこむと
またしずかによこたわって
うごかなくなった
対象が想起内の視点移動により「よびかえられる」江代詩では、5行目「かれ」と直後6行目の「わたし」はおなじ人物だ。祖母が(病)床に寝ている気配。家人のほかも寝ているとすれば、それは休業日の朝だろう。「子ども」の「わたし」のみひとり起きて、ひまをもてあましている。
白い蛇が家の廊下を這い、その不吉な気配におどろいた鳥が羽根をばたつかせ、空中に逃げようとする状態を、わたしは障子ごし、鳥影として仰ぎ見たのだが、そのうごきにわたしの手がつつまれ、その手のなかで鳥はおどろきをしずめて、またしずかにうごかなくなったと、のちつづられる。想起内容そのものの理路がこわれているのは、子ども時代のおぼつかない記憶が想起されたためだろうか。
江代的想起では自他の弁別があいまいになり、その曖昧化の推移に、世界様相が定着されるとすでに何回かくりかえした。この法則を過激化すると、廊下を這う白い蛇もまた「わたし」であり、その「わたし」におどろく「おおきな鳥」も「わたし」というさらなる逸脱が起こる。
この詩篇でいちばん咀嚼しがたいのは、冒頭1行「白い手をつつみこみ」が浮いている点だろう。独立して「わたし」の再帰的な動作がしめされているととりあえず了解すると、かたちをかえ終わりから三行目《わたしの白い手を孔雀のようにつつみこむと》が出てくる。当初予想された「自己再帰」は「他者干渉」に変貌しているが、本質的な差異がないと達観したとき、「わたし」「白蛇」「おおきな鳥」それらの差異性が同一性にむけて「潰れて」しまう。しかもその潰れすら、最終2行の再平定によって、あったかなかったかがわからなくなる。
江代は回想を起点とする想起そのものの不可能性を再帰的に想起しているのではないのか。これは無から無への一巡しかつくりあげない。そのはずなのに、ことばが具体的な連鎖としてつらなってしまう。けれども発語の前提がそうであるかぎり、ことばは静謐にみたされてゆくしかない。
いずれにせよ、江代はなにかの「中間」、その様相の本質的な静謐を想起している。最後に『みおのお舟』から現代詩文庫未収録詩を全篇ひいて、その奇妙さの内実とふれあってみよう。
【沈んだ娘】
波打ちぎわのふれる浜辺には
大腿骨に似た白い木切れがおちている
肩にかついで子供たちの前へ出ていくと
木切れにくいこんだ
おおくの砂つぶに気がついて
海からの木であることがわかってきた
はやくお前もかがやく飯をたべておしまい
その海からの温かな棺さながら
みどり児のいる肋木の道をかえりつづけ
庭へいこう
庭へいこうと歌おうではないか
庭には物干竿がみちあふれ
娘は周囲の見る眼にも分断されて
それぞれの分け前になるのだ
わたしたちが担ってきたのは
あの娘たった一人の世界でもあるにちがいない
終わりから4行目に「娘」がとつぜん現れるが、唐突さの印象はただしいのだろうか。江代詩にはめずらしく終わりから5~7行目の行頭が「庭」の字で揃う磁場が形成されていて、それで唐突な唄文句「庭へいこう」が具体的に庭を召喚するちからを備えたとみえる。しかも浜辺でひろった大腿骨のような木切れと物干竿に同一化が起こり、その大「腿」骨が娘の肉体の所在に喰いこんで、娘そのものが浜辺のしろい木切れにすりかわる。冒頭から3行目の「かついで」と最後から2行目の「担って」も近似物どうしのスパークを交わす――そんな騙し絵的な構造が次第に判明してくる。そうして娘のいる場所に物干竿が「みちあふれ」ているのみならず、木切れ=娘という図式が浮上してくるのだ。
明示されていないが、窃視症的な衝迫がかんじられる。たとえば娘が物干竿にしろいシーツをひろげて干す一瞬には娘の上体はそれに隠され、下半身のみが視野にのこって、「大腿骨」の存在が強調されるのではないか。からだの「部分化」が、そのからだへの視線の部分化を付帯させてしまう。そうして娘は終わりから3行目《それぞれの分け前になるのだ》。「世界の恋人」というものがあったとして、前提となるのは、事物から当人への対象推移と、それが視線により分有できる体制の確立だろう。詩篇はそんな愛の欲望にふれつつ、同時にスピヴァクのいうような女性性の本質、自体性をたちあげる。
むろん詩篇を虚心に読みすすめていったとき(あるいは即座に再読したとき)にはポストモダン的な欲望論など作動しない。ことばのすすみそのものが、偶有的な概念接着剤をひらめかせ、あやうく自己展開してゆく「ひかりの移り」のみがある。それでも江代的エロスとはなにかを読者はおもいなおす。そこで恋愛詩にとうぜん前提される「対象性」が、江代詩では審問にかけられていると気づかされるのだ。これこそがしずかな生成にかかわっている。
(つづく)