江代充について・4 ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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江代充について・4

 
 
【江代充について4】
 
(承前)
 
まずは江代充『白V字 セルの小径』から現代詩文庫未収録の以下の詩篇を引こう。いま入手できる現代詩文庫にはいっていないものをことさら引くのは、一種の読者サーヴィスにすぎない。みたところ、文庫収録/未収録の区別は分量削減のための機能的な乱数調整のようなもので、そこに優劣の基準などないようにおもえる。
 
【この機会的な】(全篇、以下同)
 
この機会的な雨戸の向こうでとなりの葉をたたき
かぞえられる程の雨の音がしはじめている
家の戸口のま上にむらがってひらかれた木枠の窓が
わたしのいまいる所とはとおい反対側にあけられ
そこからもきこえる
こまかくちいさな雨音が
すでに表のひろい範囲にわたり
ながくしずかにつづいている
 
2行目、「かぞえられる程の雨の音」が詩篇把握のための最初の肝となる。とつぜんの沛雨なら雨音はザーッという一体の厚みを開始するのだから、ぽつりぽつりと間歇的に(可算的に)聴えるためには、感覚がすでに「最初の中間」にたいし研ぎ澄まされていなければならない。詩篇がはじまるときそれが物語的な発端ではなく、こうした「最初の中間」こそを無媒介にひきよせるのが、江代詩の構造だ。
 
時間はすでに/つねにはじまっている。ぎゃくにいうといつでも終わらない。物語のように意味が開始されるために、ゼロから時間がたちあげられるのではない。どの次元でも時間の推移はとめられず、だからそこに空間とはちがう充実があって、意識的であれ無意識的であれ、その充実に想念が接続し、それで自他が反照しあうのだ。包含の基軸が自他のどちらにあるのか詮索するのも無用。この詩篇でいうなら微細な音の開始されることが、世界が音でみちていると再想起するための契機となり、その音がさらに「継続中」という充実した様相で、祝福感にみちておわってしまう。おわりのないことがおわりという、これまた一旦おもわれる「最後の中間」でおわるのだ。この意味で詩篇はなにごとかをつつみこむような祝福構造をもつ。
 
通常の詩篇ではむろん、たとえば分かち書きの行にしたがい、「構造的に」時間が推移せざるをえない。これがもっともわかりやすいのが散策詩だ。西脇は散策に想起をちりばめてメタ的な時間推移をつくるが、たとえば宮澤賢治「小岩井農場」ならより実在的な身体の移動切片が詩篇中に、さらに明瞭な気配でちりばめられる。世界が推移をしるすとき、それを保証するのが個別的な身体の、時間ごとの分立だということになる。
 
マイブリッジやマレーの動作分解写真は、とうぜんモダニズム的認知の基礎に位置していた。ただし馬の疾走の分解は等距離からという定点性に枠組されていて、じっさいは馬の走行よりも先験的に定点が下支え的に空間を実質移動している。時間推移が「機会的な」諸点から計測される充実に達していない(ベルクソンなら感覚の縮減をいうために恣意的な視点を空間に前提させた)。馬の疾走の分解は分立的で、一瞬が次瞬にとけるようなすがたでぬめらないのだ。ぬめるためにはフラッシュの等間隔性が邪魔になる。となって写真の客観性ではなく、繋辞=コプラという主観的な溶解力があらためて浮上してくる。
 
詩篇「この機会的な」での「機会性」は、(降雨による)音響の充実(それはクレッシェンドしてゆく)が、空間に溶融している主体の方向性意識を局面局面で織りあげてゆく点と相即している。これを自然付帯的といってもいい。「いまいる位置」から雨戸のある場所はもちろん機会的で、その雨戸をとおしての「となり」の範囲も機会的とよばざるをえない。
 
雨音の聴えが空間のありようをいきいきと想像=創造させる。微細が聴えるのなら微細が開口していなければならない。それで玄関のあかりとり(採光)のための天窓が降雨にかかわらずひらかれていて、それが4行目の一語「反対側」としるされ、わたしが玄関側に背をむけたとえば居間から庭へ顔をむけている状況が付帯的につたわってくる。つたえているのが繋辞であって、となると繋辞がそのまま感覚的時間の実質をつくりあげていることになる。この構造が精密なために、江代詩では一読での読了が困難になるのだ。
 
この詩篇の魔法は微細にみれば以下の点にあらわれている。雨戸の向こうにあるべき音を戸口のま上にひらかれた窓がつたえる「最初の中間」では雨音がかぞえられるのに、その方向性がわたしを囲繞するすべてへと無方向化された「弁別不能な時差」後では、最初の音の可算性がうしなわれ、ただの静謐な継続へと変化している――この事実が繋辞により、いつの間にか成立しているのだった。
 
江代詩では、「……を感覚していると」「……とみうけられた(おもわれた)」という(写生)構造の出現することがおおい。とくに『梢にて』以降は、この構造により、えがかれることの「異変」がほぼ消え、静謐化が更新する。この静謐と敬虔が対だと前回考察したが、たぶんその印象は、静謐を空間が受けもち、敬虔を時間が受けもつ(逆もいえる)といった二元性が、血脈のように作品の時空にひろがるためではないか。詩篇「この機会的な」はそうした江代的法則の完全成立をまぢかに予告するものといえるだろう。
 
時間に内在していると時間推移は自己的なものにすりかわってしまう。ぎゃくに時間が他在していて、自己の時間推移までもが他者的になる事態も喚起されるだろう。いずれにせよふかい次元で自己と時間とが分離できない。ただし主体が時空にたいし作用的になるときの時間は、ふりかえられれば空洞状を呈することもある。詩篇「この機会的な」からきえたのがこうした空洞性だった。「この機会的な」は無方向性を前提に充実を織りあげていたのだ。作用的であったことで回顧に空洞を定着した詩篇は江代詩が確立するまえの最初期にある(モダニズム的だが、やはり対象化する価値がある)。詩集『公孫樹』から、これまた現代詩文庫未収録詩篇――
 
【36】
 
わたしには 一体に 壁に向いたい欲求があり
菫荘の いない部屋に 花を活けちゃう悪戯
 
九月三日 あかい菊
九月四日 あかい菊 と戯れる
 
かれは時折空部屋に入り
暗い心で逆立をする
 
江代の第一詩集『公孫樹』は78年の公刊で、このころのアパートでは住人の独立(並みあって棲みながら、住人個々の空間閉塞が保持されること)が現在ほど厳密ではなかった。廊下など共有部分が街路とひとしい邂逅可能性をもち、同時に部屋の施錠もあいまいで、ともにあることが、ともにみられ、きかれあうなかでの居住共同性を牧歌的にくりひろげていた。詩篇は、ふと住人の不在なアパート一室へ、忍びこむというほどの犯意なしに、空間上の点轍をさずけるべくわたしが、部屋に置かれている花瓶に、たまたま秋の到来をつげる野菊を活けたとおぼしい状況で成立している。ふだんから交渉があったのだろう。男女の区別をかんがえるひつようはない。
 
ここでは「しのびこんだ場所」での「あるじの不在」が、ふりかえられて空洞化し、それが「わたし」のふたたび出会いたいという気持へつなげられている。二聯の《九月三日 あかい菊/九月四日 あかい菊 と戯れる》は一日幅の時間経過に「と戯れる」が加算されていて、主体が花瓶に生けた野菊が水を吸いいまだ生命感にあふれていることを数刻眼前にしてよろこんだ様相がつたわってくる。それでも無為の感触がたちあがる。
 
この秀逸な第二聯により、以後江代詩ではしるされなくなった時間の空洞化が確定している。第三聯「かれ」は、いつもどおり時間推移を経由したときの人称の変化であって、一聯「わたし」と同一だろう。最終行「暗い心で逆立をする」にはその後江代がみずからに禁じることとなる抒情の暗喩が揺曳している。
 
江代詩の方法が確立したのは第二詩集『昇天 貝殻敷』からだが、そこでは黙示録的な徴候がみられる。時間が多義的に展開する枝分かれが、終末観をよびよせるといってもいい。異変が劇的だとかんじられる詩篇を引いてみよう。これも詩文庫未収録。
 
【帰郷】
 
木の間に首をさし入れた半身が
豚のように美しい
かれは風の強い日に帰っていった
家屋の屋根が表面をひからし
樹木のどれもが葉をひからしている
彼の頭蓋骨も 金の瓦屋根に転がるのがみえ
それも実にあるがままにあるとわたしは言う
 
異郷の槇垣にあらわれたエリカは
両腕を羽交いにされ 顎に指をかけ刎ねられると
風のくる方角にじかに向き合い
永遠のマリアと化した
 
第一聯の「つながりのなさ」に圧倒される。ただし「つながらないもの」は読解によりつなげられ、修復され、癒される。「わたし」としるされるべきが「かれ」としるされた主体は、帰郷にあたり、樹木のしげる場へ足をふみいれ、木漏れ日に半身をひたされる。強風にゆれる木の葉が陽光にかがやき、家もどうようにみえたとき、最初に「想起」された「わたし」の半身性が世界のあらゆる分離につうじて、自分の頭蓋骨が斬首後の状態で瓦屋根に転がるのまでみる(幻視)するだろう。
 
分離は世界がひとつのものでひろがっていないあかしだ。それが法則(「あるがままにある」)なのだと「わたしは言う」が、その「わたし」はそれ以前「かれ」「彼」の呼称へと分離していた。私見では以上がこの「つながらない」第一聯をつなげる、ひとつの読解可能性といえるだろう(ほかの読みもあるかもしれない)。
 
詩篇「帰郷」では、時間推移は唐突さの極点を飛躍する。ところが飛躍は「想起」により着実に跨がれてもいる。第一聯にあった多様な分離が、第二聯のエリカ(たぶん恋人に付された洗礼名的な抽象名)を分離させるのだ。エリカは世界法則にしたがって分離される。それは刎頸として事象するが、第二聯での構文の骨格はつぎのように分離される。《エリカは風の方角に向き合いマリアと化した》。刎ねられた首が胴だけの自己を風のむこうに視ることが聖女化の条件だといっているような直観が、修辞の奥をひそかに貫通している。
 
処女懐胎ではなく、マリアが聖女になった局面がピエタだとすると、江代は、イエスの屍を、斬首された自己の分離とマリアが見たと示唆しているのだろうか。いずれにせよ世界法則は江代にあっては分離状態であらわれるが、それら分離の横溢がぎゃくに世界へ柔構造をあたえる。一瞬記述された惨劇も惨劇でなくなる。それよりも分離が空間の実相で、さらには時間の生成結果だという穏やかな把握替えまで起こってしまう。
 
想起がひとまず詩篇単位で進展を終えたとき、回顧そのものの一巡的内包性をまで不如意に付帯させてしまう――それが江代詩の「時間」の第二法則だ。目的論的に回顧が志向されるのではない。あくまでも想起が「ふとしたはずみで」回顧へとゆらぐのだ。『みおのお舟』から一篇――
 
【短躯のよろこび】
 
小川から左右に這うようにながれ
わたしたちの喋り声が
ここで昇りひびきつづけた
みあげる木の葉の揺れるのはなつかしいよ
高い葉のしずんだ音にさえ
みみが慣れるのはおかげさまだ
ひびきつづけるわたしたちの輪のなかで
わたしはよろこんだ
喋りちらした声をからし
あかるい胸の思い思いがのこされた
わたしはわたしであることをよろこび
さし交わされたすべての声が
顔のうえから消えていった
 
なんとすばらしい詩篇だろう。「なつかしいよ」という具体的な述懐のみならず、動詞過去形終了の文尾が「回顧」的全体を調弦している。ただ江代的回顧はかたられるべきものに想起でとどくかとどかないか、ぎりぎりの全体性として組織される。音は小川のせせらぎと「わたしたちの喋り声」と葉音を混和し、ものごとは「揺れ」、「わたしたち」はふくすうである本懐を遂げるため「輪」形をなしている。
 
わたしたち、とりわけ「わたし」はとりわけ想起≒回顧のなかで、世界にたいして短躯でなければならない。なぜなら「みあげ」をつうじ世界事物に純粋に囲繞されることが敬虔さのあかしだからだ。至福にかこまれることは、主体的にはちいさくなることを付帯する。木立をとびだすほどの巨人の背丈などひつようない。ちいささは、顔からかこみにむけ声がきえるあまやかさまでよびこむ。時間が推移するためには以上の空間的な条件が要るのだった。それにしても植物を視ることが江代的知覚の根幹をいつもなすのはおどろくべきことだ。
 
この意味で短躯の存在論ともいえる詩篇だった。現実の江代さんはたしかに小柄だ。その意味で実在の身体が詩篇のなかに刻まれている。ところが短躯は子どもの条件でもあり、しかも木立との比較では人間や動物そのものの刻印なのだ。声がひろがるように、ここでは短躯というからだのありかたが、全生物的に時間領域を浸透している。このことで「内包」が結果される。
 
時間が上方を見出すのなら、それは条件次第では水平方向にたかみをも見出すだろう。おなじ『みおのお舟』から――
 
【鍵】
 
ある日母が駆りだされてゆき
ふるい寺院の修復工事に加わっていた
わたしはその高い屋根が見渡せる所までしりぞき
手洗い場のはしらのちかくから
ひとりの姉とみあげていた
あれはどこの高い屋根で
わたしを誰だといっているのだろう
かえりに姉が鍵を買って
わたしのてのひらにのせると
それはしずかな水紋をたててしずみはじめ
道すがら底ふかくみえなくなった
 
古刹の修復を地縁で実母が手伝ったというのが、作者の具体的な記憶内容であるのはいうまでもない。母はその増員仕事に忙殺され、母のいるだろう場所を姉と「みあげる」この一事から、幼児期に訪れやすい寂寥がおよんでくる。たぶんわたしはこの母の不在傾斜により、「鍵っ子」状態を濃くした。それで姉が必要だと合鍵を買いあたえた。
 
「理路」をそのように「修復」的に読んで、とおくの水平をわずかな仰角でみあげる(しかも「見渡す」には「しりぞく」ことが必須となる)詩篇の力の方向性が、とつぜん変化する。つまりてのひらに鍵がしずかにおとされる鉛直性にすりかわり、しかもそのてのひらがさざなみをたたえる湖面となって、水紋の中心に鍵を降下させていったと「回顧のみだれ」が生じてゆく。時間推移は方向性の錯綜により、回顧をこうして内破する。ところがその内破の瞬間こそが回顧の真の対象なのだった。作者はその出来事が「道すがら」の学校帰りに起こり、起こしたのが姉で、その理由がなんであったかも(言外にだが)しるしている。
 
力の方向性を想起することが付帯的な回顧をも具体化する。さらに『みおのお舟』から引こう――
 
【庭】
 
せまい庭先に生き生きとかがやいていたあの草のあるひかりのなかへ
そこのあばら屋で 歯をみがいていたやさしいひとの視野のなかへ
こざっぱりとした体つきでわたしははいっていった
そこで腕をひろげ
口をつきだし
前かがみになってながれる物音をきいていた
わたしたちの吐きだした水が溝へゆかず
おい立ったみどりのくさのなかへ 主張してまぎれこんでいくのを
 
詩篇のおわりが不安定とみえるが、「きいていた」の反復が省略されているとかんがえればよい。一読のさいには情景がのみこめなかったが、成瀬巳喜男『驟雨』での佐野周二と小林桂樹をおもいだした。往年の日本人は朝の歯みがき(口の漱ぎをともなう)を庭先の空間でおこなう習俗があったのだった。
 
「やさしいひと」の庭には簡易な水飲み場がもうけられている。そのひとはそこで歯をみがくが、「わたし」はそのひとを意識し、ならんで歯みがきをおこなうのをためらい、なおかつそのひとの視野にはいって自分の存在化を望んでいる。「こざっぱりとした体つき」が抜群の修辞だが、それは「わたし」のもともとの属性であるとともに、寝巻から一日再開のための身支度をおえ、すがたがととのえられたことをもしるしているとおもう。
 
水飲み場からの排水溝は庭をほそくえぐり、それが庭のそとへとつづいている。わたしが歯みがきにえらんだのはその中途だ。そうすると口から漱がれた歯みがき粉のとけた水は、排水溝でそのひととわたしのものをまぜる。それが合一をときめかす。ところがときめいた途端に、そんな愛着が不純だと「主張して」、それは「みどりのくさのなかへ」「まぎれこんでいく」のだった。自己抑制。
 
ひとがひととともにある時間のひと齣がこのように回顧されたとして、それが回顧にとどまらない時間推移なのは、その「やさしいひと」と「わたし」が空間的に並置されつつ、しかもおなじように口許から鉛直に、くちにふくんだ歯みがき粉のとけた水を、ややかがみながら降下させているためだ。つまり並置の水平性と、漱ぎの鉛直性、その縦横の双対性が空間を織りなしたとき、それこそが想起されるべき時間の質だと認識されていることになる。こうしたものの至純形のひとつが小津『父ありき』の父子の流し釣り場面だ。ミニマルな事実依拠のようだが、「双対的な空間成立」が「時間想起」を付帯させる点は、想像=創造力の原基だという点を確認しておくべきだろう。
 
時間は空間と分離できない。ところが時間単体は分離的だし、空間単体も分離的なのだ。ということは、すべての縫合をなしとげているのが、それじたい分離であるものが別次元で複合されるときの、一種のかがやきにほかならないことになる。複合に力の方向性があって、江代詩はたんに事実の回顧ではなく、以上の世界法則を定着させるために、精確に「想起されている」。おなじ詩集から、①「奥」への力から何が「分離」していったか、②夕映えた山肌から何が「分離」していったか、それぞれをしるすことで、時間を実質化させていったみごとな二詩篇を立て続けに転記してみよう。①が「幹をつたって」、②が「山の小鳩」。解説は付さないが、どちらにも聖なる顕現=エピファニーがある。むろん時間が劇的になるのはこのエピファニー時だが、江代的なそれはことさらミニマルであろうとする。この意味で「敬虔は敬虔により二重化されている」といえる。
 
【幹をつたって】
 
幹をつたって葉のしげみにはいると
こちらから見えるものすべてが
太陽のひかりに揺られ
その輪郭をあらわにしている
蛇のようにまがり伸びたほそい幹から
無関係にささげられた枝のさきまで
かさなりあった
おおくの美しい葉のしがらみのなかに
なによりも明晰な意味をもつとおもわれる一枚が
張りきったみどりと
周囲に棘のあるみずみずしいかたちをあらわにした
 

 
【山の小鳩】
 
松や土屑を切りくずし
蓮のしおれた湖水を吹き渡っていた風が
山頂の
ゆるやかな斜面に火をはなった
そのすがすがしい対岸の山焼きにみえたものが
ほのおを空へ隣接したままきえてゆくと
それまで足もとのなだらかな斜面をはなれ
崖の枝にまぎれて
ながく丘に触れていた色も淡い小鳩が
むらがる岸のかがやきを背に
形状のないひかりのなかへ飛び去っていった
 
(つづく)
 
 

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2015年08月13日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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