江代充について・5(終) ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

江代充について・5(終)のページです。

江代充について・5(終)

 
 
【江代充について5】
 
(承前)
 
時間推移にかかわる江代的想起は、「たりなさ」と熾烈にむすびつく。ある局面からそれが円満する局面までの詩篇内推移をみたすのはじつは「たりなさ」で、これがありようとして喩辞や被喩辞のすくなさ、もしくはそれらの消滅までをも付帯させてゆく。結果、うつわ状の状態にできあがったなにかが時間化されても、それがそれじたい以外の何ものすら言明しない透明性があらわれる。この事態を江代的「減喩」あるいは「無喩」といっていいだろう。
 
じっさいそれはなにも喩えていない。詩的修辞は構文そのものにひろがっているだけで、フレーズ主義的、作為的な工夫も経由されていない。繋辞によって多時間がつながってゆくほかに残余のないエシロ語は、江代のみがしるしうる特異性により、「すくなさ」を「すくなさの喩」、「綾のなさ」を「喩のないことの喩」へと清潔に反転させてゆく。空隙をゆらすことは一部達者な詩作者ならするし、それをかたちやちからへもかえる。ところが江代的な事態とは、空隙が空間上のうつわとなって、それが時間の両端(発端と終了)を釣合わせ、みなぎることがたりなさとむすびあう点だ。もちろん「語りえないこと」を語らず、みずからを減殺していった結果だが、これが推敲による「削り」ではないとも前言した。むしろ江代詩では、「たりなさ」や「なさ」が「書いている」。
 
貞久秀紀の「減喩」は、再帰性にむけことばが翻転する、あるかなきかのその回転面積にたたえられる。したがって同語反復が指標となる(たとえば「夢」〔『昼のふくらみ』〕の達成)。いっぽう江代的な減喩/無喩では、行数がすくなくとも、あるいは構文そのものに再帰性があろうとも、語彙そのものは重複を避けられ、相互が均衡をたもつよう分岐している。おなじものの再帰によって減算がはかられる貞久詩と、ちがうものなのにすべてが認識の特異性をつうじ減算へと帰順してゆく江代詩。貞久の方法が顕在的なのにたいし、江代の方法は潜在的と映る。
 
歴程新鋭賞をうけた『白V字 セルの小径』はのちのさらなる大輪『梢にて』へつながってゆく架橋だった。敬虔な想起が豊麗さをしるしてゆく『梢にて』では自充としてあらわれたものが、『白V字 セルの小径』ではまだ「すくなさ」として凶暴なひかりをはなつ局面がある。代表格が以下の詩篇だろう。
 
【道】(全篇、以下同)
 
却ってここにきて古びたと知れるのに
わたしたちの知る窪地に堆積したごみのひとつひとつが原形をたもち
そのひろい土の範囲を円形に掘ったごみの寄せ場のちかくへきて
ここからもう一方のあそんでいる窪地へと出ていくのであり
その際を通るときにもわたしたちは
殊さら注意することなくほがらかによろこびあるいた
 
「よろこび」ということばはあるが、感情は明示的な状態では読みとれない――それこそがひとつの「世界感情」だ。あるくとごみを投げ入れられた窪地のきわにいたり、歩を転じてややあゆみすすめると、こんどは内容物のまだない窪地のきわにすすんで、そこを「わたしたち」はなかへ落ちないようあゆみをのばした――これこそがあゆみの「よろこび」であり、そうかんじる「わたしたち」がさらに「古びた」と詩篇ぜんたいが語っている。これがはたして「意味」や「暗喩」といえるのだろうか。
 
詩篇から推察される「わたしたち」のうごきは、おそらく俯瞰視線からとらえれば、不完全な8の字をえがく様相なのではないか。円満的な完了性がふたつながらにつらなりながら、それがひらかれ、さらにほぐれているうごき。このうごきは体験の習熟によって歓喜とむすびつく。それは移動する回遊であり、回遊的な未完成なのだ。

たとえば海上の渦――それも窪地を逆円錐のかたちにつくる――の中腹をまわりつづけながら奈落の中心に近づいてゆく漁船の恐怖をつづったポー「メエルシュトレエムに呑まれて」では、巨大物の中心への吸収が相対的に速く、それで船乗りが樽へと乗り換え、待機と耐乏の果てに渦の消滅を待つ経緯がスリリングにえがかれる。窪地とはその意味で「吸収の段階化」とよべる。詩篇「道」中の「際〔きわ〕」は段階化てまえの段階で、それが回遊空間だと詩篇がおそらく語っている。だがこのことは明瞭には訓示にむすびつかない。
 
たった六行で構成された詩篇は、前提がない状態、いきなり「却って」の無媒介性をもって開始され、ごみ廃棄への批判もさだかでないまま、特殊な地形における歩行運動をやや迂遠な推移でしめし、それでもその歩行は進行したままの「おわりのないおわり」で中断的に終結されてしまう。けれどもこのときのうごきがひとつの時間的なうつわをつくりあげて、想起が回顧性をたちあげてゆく。
 
この不如意が倒錯的な色合いをおびずに歓喜にすりかわっているとみえる。だからこの詩を教訓化しようとするなら、そこに出所不明の哲学が介在されることになってしまう。「はじまるならおわらない」「あゆみの単位はふたつの中途半端な曲線でかまわない」。この見解のてまえをことばがみちているのだ。ことばじたいは親和とも非親和ともよべない。あらゆるもの「それじたいの」「中間性」に、ことばがひろがっているためではないか。しかも「かたりえない」以上を、ことばがかたっていない。自己の権能を誤解したうえでのなんの撞着もない。
 
『白V字 セルの小径』をひらくと、以上の冒頭詩篇のつぎの見開きにもこれまた画期的な詩篇「焚火」がすがたをあらわす。全体はややながくなるが、そこでは廃物が自己展開して、廃物として自己確定するまえに、聖なる柱を垣間みせる推移がエシロ語でつづられている。ここでも類推がきかない。炭がもえることをやめるまえの衰勢と変化が、適確に想起されているとはいえ、その炭はもえている最中でもただの物質的な炭であって、なんら「情熱」などの喩ではないし、炭化にツェラン詩などへの目配せのあるわけでもない。
 
無前提でそれゆえに単独化する詩世界がまさに「このもの」であって、ところが「このもの」へわけいるまなざしが、ひいては推移そのものの想起が繊細だから、読者は引き込まれてゆく。喩のないまま、「構造」だけに拉致されてゆくのだとすれば、構造だけがそのまま減喩・無喩にのこるものともいいかえられる。それがつまり「あるもののある」「世界」ではないだろうか。
 
音韻や律数をもちい、ことさらに音楽にみずからを寄せるわけでもないのに、江代詩が音楽に似てしまうのは、どちらも意味の具体性がないのに構造だけが前面化して、脱意味が意味を包含してしまうためだ。ところが江代の書いているのはことばであって、ことばそのものが、音符や和音、演奏音の物質性とちがい、必然的に意味を付帯させるのだから、江代詩に脱意味をもかんじるときには、音楽とことなり、ことば上の意味、その熾烈な減殺が作用していることになる。
 
これをさらにいいかえると、減殺が意味になる減喩的な事態がその内実にあらわれてくる。減喩とはむろん「圧」にかかわらない、それでもことばに課せられた別流だ。「圧」とちがい、読まれるのもことばそれ自体にちがいない。となると空隙は、ことばの背後やならびのすきまにあるのではなく、ことばの「それじたい」にある。こうした見取りが江代詩では精密なのだ。
 
【焚火】
 
燃える火は顔をかくし
立ち止まる友の口からなにを聞かされても
わたしのよろこびがくもることは
けしてなかったのに
取り片づける者たちがきて
わたしたちの足もとに
くろい消し炭があつめられる
燃えつきる冬のさなかに受入れ
赤い花をもってみなで固まると
たたかれた炭の
ひとつひとつに
しろい条のような骨があらわれ
ながい切りきずが引き裂かれると
その所所から血のしずくが滞ってながれおち
骨が割れはじめ
内部からわたしたちの
ふくらんだ肉の筋がうかがわれる
 
「条」は「きず」を経由して「筋」に変化しているが、それが「肉の筋」へと一種の倍化をみちびかれているのは、「しずく」が血色にしたたっているように炎がみえ、それが「赤い花」をもともなって感覚されるためだろう。ところがそのような焔のエロチックな動物化が、「それじたいの変容」をしるす以外のなんの効力ももっていない点がこの詩篇の清潔さなのだった。
 
「推移」への江代的なまなざしは貞久どうよう静謐だが、推移そのものへの注視が、なにが推移しているのか不分明になる渦中の恐怖を分泌することも一般的にはありうる。「赤」にたいしてあらわれたこの感覚を縮約したものとしておもいだすのが、蕪村のつぎの減喩句だ――《閻王の口や牡丹を吐かんとす》。舌の位置にあるから牡丹が赤と幻覚されてしまうが、閻王=閻魔は冥府で虚言者の舌を抜く裁き神で、彼のいとなみが彼の口許に重複して反映されている。しかもその時制が現在進行形で、潜勢が顕在にすりかわる寸止めの「渦中」なのだった。変異の恐怖、渦中。しかも渦中が渦中性しかつくりあげない。これも減喩的なものの属性だろう。
 
この奇怪句を視野にふくむと、蕪村のほかの牡丹句も、「渦中の渦中性」、その自己再帰的恐怖を放っているとかんじられてくる。ただの絵画性に蕪村を収斂させてはならない。《牡丹散て打かさなりぬ二三片》《寂として客の絶間のぼたん哉》《地車のとゞろとひゞく牡丹かな》《ちりて後おもかげにたつぼたん哉》《牡丹切て気のおとろひし夕かな》《山蟻のあからさま也白牡丹》。減喩がひとつの時間操作だとすると、それは渦中の脱自明的な露出にかかわってゆくのではないか。
 
江代の「渦中」もまた可変的――よって脱自明的だという例を、おなじ詩集から例示してみよう。
 
【道のなか】
 
滝沢さんと息子とが店の前にでて
通りがかったわたしの名をしきりと呼んでくれ
わたしが入ってゆくと
野原から道のなかへ
捧げるように持ち帰ったくびれた棒を
二人はよいものとしてほめてくれた
杖をつくと
わたしの腰にまでとどき
横にすると
それよりもさらに長目にみえた
投げてごらん
蛇になるからと彼女がいった
棒はただちに転がって三つのかたい音を立てた
それは道の上から
野原へのたうち這ってゆくことも
みずから隠れることもなくしずかに蛇にかわり
わたしたちが囲み
みつめ合うまなざしの只中に
捨ておかれていた
 
「蛇」が樹木や鳥につぐ、江代詩のけしきなのはいうまでもない。江代はむろんキリスト教世界につうじているから、それを原罪の象徴とみなすこともできるだろうが(ただし現代詩文庫表4の著者略歴にしるされているように、江代の受洗はなんと09年にいたってからだった)、象徴詩的な還元にもともと江代詩は馴染まない。そのように読解しようとする接近を詩篇そのものがはじく。だからこそ減少などの「構造」がいわれなければならない。
 
最後から二行目の「只中」が蕪村で指摘してきた「渦中」だ。路面店をいとなむ「滝沢さん」とその「息子」が媒介になり、わたしが「野原から」「持ち帰った」棒(それが「くびれ」をもつことから牝性もわずかに分泌する)が「杖」へ、やがて路上に投げられて「蛇」へと「変容」する。ならば「変容」「可変性」が詩篇の主題なのかというと、最後の「捨ておかれていた」にあるように、変容の静謐すぎるのが奇妙なのだ。
 
「道のなか」と詩篇タイトルにあるように、ぜんたいは水平性が内部をもつ平滑空間(「条理空間」と対比されるドゥルーズ用語)を舞台にしている。「管理」権力によって平準化のもたらされる条理空間にたいし、平滑空間では無媒介な邂逅や連接が起こり、事物の潜勢力がとつぜんに点滅しだす。棒から蛇への変容はそうした位置に置かれている。
 
ところが減喩的な空間の提示が詩篇の眼目だとすると、その空間内部の潜勢力が棒状のものの綻びになっている。ドゥルーズをはなれ、この詩的直観がすばらしい。ドゥルーズとはべつの奇観なのだ。それは事後の静止ではなく、事後のゆらぎつづける脱自明性、その微視的なしずかさと均衡している。蕪村のさきの牡丹句でいうなら、《ちりて後おもかげにたつぼたん哉》《牡丹切て気のおとろひし夕かな》とひびきあうものだ。いずれにせよ、聖性にかかわってもかまわない江代的な「象徴」はかわいているし、終わりから二行目の「みつめ合うまなざしの只中」のなかにこそ「もと棒の蛇」がいる。蛇は、ほんとうは路上にはいないのではないか。そうかんがえて負の潜勢力がただよう。
 
ゆれる可能性のあるものが、ひろがり「およぶ」とき、江代的な想起は至福へたどりつく。ただしそのための要件は「すくなくて」済み、この枠組にあるミニマリスムが江代的な謙虚さ、敬虔さともいえる。以前に夢のなかの「沢蟹」にかかわり、『白V字 セルの小径』から「底の磯」を引例したが、貞久「夢」とはちがう「夢のなかの」「つつましいあふれ」をおなじ詩集から引こう――
 
【こころ】
 
ゆうべやすむためにねむろうと
わたしの閉じてなじんだ眼に
時田骨接〔ほねつぎ〕の曲がり角がうかび
そしてそのほそい横道にあたる山川小路を歩いてきたか
これからあるいて行こうかと立ち止ってみていると
まえからしたしいこの道の先を
木の蓋つきの素朴な井戸がさえぎり
半分は土に埋もれたさまざまな小石が
眼の前のちかくそこいらに散らばってうごいていた
いるべきかれのいないところを
こまかく踏みなじむこの私そのもの
つぎにさらにひとつのもの
ちかくに隔たった土地のうえに生きてふくまれる
父母のいる家が思い合わされてくると
その骨接の白壁のあたり
鉢植えのおおきな白いはんなが並んですがたをあらわし
あかい飛び火のまじったはなびらの幾つかが
留めたそのあしもとへ屈むように咲きおよんでいた
 
途中《いるべきかれのいないところを/こまかく踏みなじむこの私そのもの》のくだりが幽体離脱的だ。園芸用「カンナ」とちがい、「はんな」が植物かどうかわからない。「鉢植え」で「白」の「はなびら」に「あかい飛び火のまじった」「すがた」をもつとしるされているが、「エリカ」同様、「ハンナ」の洗礼名=女性名かもしれない。名称はあやふやであっていいのだ。冒頭2行から知れるように、就寝まえの瞑目にうかんだ往年過ごした場所、その夢うつつの光景のなかに詩篇がひろがっているからだ。
 
それは「内部」から「内部」への方向性をもつ。奥津城のあふれとして「咲きおよぶ」幻影のようなものに詩篇がむかっている。思念の自己規定が不能なこと。そうした患部がしろいという就眠直前の自覚がうつくしい。
 
「最深部」へいたりつくすまえに、現実から非現実へのグラデーションをもつ「中間」が経由される。記憶の具体物としてなまなましい「時田骨接」(おそらくは往年の藤枝の商店街に存在していたのだろう)、それの位置する曲がり角から、「想起」は川沿いに迂回する。井戸がみえ、「小石」がみえてくる。それが「そこいらに散らばってうごいていた」と感覚されるのだが、では「うごき」の動力はなんなのか。水力、傾斜、風力、それらのいずれとも明示されず、主体の歩行が沿っているはずの「川」すら涸川かどうかわからない。だから「散らばってうごいていた」が反物理性として不気味に突出する。
 
夢の記述は自己再帰の逆説にいたりつく契機となるが、「とりちがえ」「自己の分立」「同心円的外延」「類推の横行」「輪郭の消滅」「光源の喪失」「身体の稀薄化」など、ロマンチックな翻転を予定しがちだ。ところが江代的な夢では、大々的な模様替えがおこなわれず、やはりその極小がつつましくほころびるだけだ。それでも「咲き」「およんでいた」の措辞にある「および」が区分侵犯をしるしづける。むろんこの法則は現実(想起)にも適用される。
 
「および」はあふれて、形象としては「数」へと転化する。江代的な数は「無数」「総数」としてやがて瀰漫との弁別をなくす。「数」として抽象化されたものが、けして矮小化とかかわらない点も特異だ。算えられないか、あるいはあいまいに算えられる数は、範囲であり、ひろがりであり、それじたいからもれでたオブスキュアなのだった。
 
これもまた『梢にて』以降に完全定着される世界認識だが、その端緒となる詩篇が『白V字 セルの小径』にあった。そこでは「鳩」が期待になり、ふくらみをつくる「この手」(その一部のかたちがV字をつくる)がうつわの可能性として限定的ながらひらかれている。この詩篇の引用をもって以上の江代論をおえよう。これまでしるしたことから、『梢にて』以降の江代詩へも、すでに対面のための自然な経路ができているとおもう。『梢にて』は詩文庫でその全容を読める。
 
【V字】
 
ふたりで十歩にも満たないうち
出掛けるべきはこの薄い日差しに関連した
ただ土のわき道に身を置いたこの場ではないか
鳩をみるあいだ
手でふくらみを作ると
からだの盛り上がった鳩が生きてうごいていた
ここで餌を得ることのある鳩が十数羽
ひくく地べたをあるき
この手のなかにもと
眼の前のわたしのなかへ願うきもちがたかまると
鳩がいてかれらが近寄り
総数として左右へのひろがりをみせていた
 
(この項、おわり)
 
 

スポンサーサイト

2015年08月13日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












管理者にだけ公開する