ライトヴァース ENGINE EYE 阿部嘉昭のブログ

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ライトヴァース

 
 
【ライトヴァース】
 
 
大型連休が迫っているが、姪との同居解消にからんで女房がまた木場近辺へ引越しをするので、その手伝いも兼ね連休を挟み東京にもどる。帰札後がすぐ2学期開始。このところシラバスに書く授業計画がやんわりと具体的展開を外していて(そういうズルをおぼえてしまった)、けれど授業開始前には計15回の内容を確定していなければならない。それで上京前のここ一週間ほど、授業にむけての映画鑑賞(DVD)、マンガと詩集の再読に追われた。あきれるほど観て、読んだ。
 
うち北大全学部1年生用授業の題目は「ライトヴァースを読む」。谷川俊太郎を組み込むか否かで判断がゆれた。なんでも詩に書けてしまう谷川さんは詩作のモチベーションが低く人工的なのではないかとつねづね疑念を抱いていて、じつは苦手。手癖による達観も目立ち、こころに響かないことが多い。即製の気配。その納得の構造にのみ蝟集してしまう谷川中心主義の風潮も穏やかにおもっていない。それでこの授業の計画は谷川さんなしでやれるかが鍵だった。なしでやれる、と判断した。
 
授業展開は以下。一回目はガイダンスで、これはまど・みちおと松井啓子の「リンゴ」を中心にやる。その後は各二回ずつ、一詩作者をあつかってゆく。配布プリントには多めに作品を載せ、授業であつかえなかったものについては感想を書いてもらおうかとおもっている。対象とする詩作者は、「近藤久也」「松下育男」「辻征夫」「佐々木安美」「大橋政人」「坂多瑩子」「清水哲男」。7人×2、それにガイダンスをくわえ計15回となる。
 
ラストの清水さんが意外かもしれない。その前期は発想の鮮やかな暗喩詩一辺倒だが、『スピーチバルーン』あたりから詩が「軽く」「少なく」なって、部分的に詩風がライトヴァース化した。後期ではそうした詩篇にこそ傑作が集中しているとおもう。抒情の質もよい。戦中子供世代、学生運動世代、呑み助世代の追憶などはなかなかてごわいのだが。
 
あらためて探索すると、どうも好きなライトヴァースの書き手、その型があるらしい。哲学性が胚胎されていなければならず、軽さが哲学の重さを迎撃しているものにこそ心ひかれるのだ。やわらかさがつねに勝つ。哲学と詩は字間と行間もちがう。この点を精査しないと授業にはならない。しかもライトヴァースは想像で書かれた暗喩詩などとちがい、じつは構成が実体的に厳密で、書き方に峻厳さがとわれる。やわらかさが成立するためには時空の綿密な操作も要求される。女性のライトヴァースはこの点で不備が多いとおもうが、なかで坂多瑩子さんは貴重な存在だ。やわらかく書かれている異世界に哲学的な時空論がひそかに装填されている。まだ詩集四冊だが、最大限の賛辞があってよい。
 
たとえば児童詩はライトヴァースに似ていない。それはむしろことばの種類のすくない暗喩詩――そうかんがえるべきだろう。児童詩と対立するのがライトヴァースなのだ。
 
大橋政人さんは、この分野で安定をほこる最高峰ではないだろうか。「猫」「犬」「植物」「農村」「こども」などを材料にしながら、自在な哲学性をやわらかくつむいでゆく。構成も達人の域だ。モノにまつわる身体性がうるむようにせまってきて、読むと確実に世界がふえる。谷川俊太郎さんと彼を中心においた単発詩論集があったが、まだまだ大橋論は書かれていない。辻征夫なみの人気があっていいともおもうが、大橋さん自身が詩壇に恬淡だろうからそうなっていない。それで知るひとだれもが大橋さんをこころの秘密にしている。その魅力を授業でつたえたい。日本の古本屋を検索すると大橋さんの未入手詩集があらためて三冊出ていたので、あわてて注文した。
 
いずれにせよ、ライトヴァースは「生活報告」でもペーソスでもない(たしかにそういう要素もあるが)。「世界をいいあてる巧さ面白さ」ともちがう。寓話とも似つかない。表面的な理解可能性を、内奥がゲシュタルト崩壊させる多重構造がみえにくいままにまつわっているのだ。ただし詩文「それ自体」は詩の外延へ透明にひろがる。そこがぼくのいう減喩と異なるところかもしれない。減喩では詩文は「それ自体」へと穿孔をおこない、解釈が多義的どころか「無義的」になる。坂多瑩子さんにはすこしこの気味があるが。
 
高階杞一さんをどうするかでじつはまよった。手持ちの詩集も全部再読してみたのだった。みなすばらしい。ただし高階詩では愛児との死別、妻との離別を中心に置く読みがどうしても形成されてきて、そこから生ずる感銘や悲哀が、相手としては厄介なのだ。もうひとつ、高階さんには「想像」の度合いがつよい詩篇群がある。それで書かれているものが暗喩詩にちかづくかたむきをかんじる。図式を整理すれば、「暗喩=類似=想像」対「換喩=隣接=想起」。今回は後者のみを採ろうとおもっている。
 
ライトヴァースの名手は詩史的にはもっと多様に存在しているが、現存者を俎上にのせる(辻征夫のみ例外)。そのひとが生きてうちにもっと読まれてほしいとねがうためだ。そう、もう一回授業があれば、金井雄二さんか和田まさ子さんをあつかったかな。
 
今夜は来札している三角みづ紀、それと初対面の歌人野口あや子さんと感動のジンギスカン屋「ポッケ」で呑む。みづ紀さんには「真面目」といわれたが、野口さんについてわずかに予習した。読んでみた第一歌集『くびすじの欠片』、良かった。付箋をたくさんいれたその本に、今夜は野口さんからサインをもらおう。
 
 

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2015年09月18日 日記 トラックバック(0) コメント(0)












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